白爺が初めて沖縄に上陸したのは、1972年の夏でした。
沖縄が日本に復帰したのが、1972年5月15日ですから、復帰した年に沖縄に渡ったことになります。
冒頭の写真は、このときの国際通りの景色です。
まだ、車も少ないし、歩道橋も見られません。 ×
桜坂通りと写真には書いてありますが、あの繁華街もまだ沖縄の姿が残っていたようです。
白爺の沖縄行きは、テニアン島から引き揚げて会社を興し、いずれテニアン会の会長を勤められたK氏に招かれたから出かけました。
国際通りにあった会社の特別室に宿泊させていただいたのですが、「まだ早い。ま
だ早い。」と帰宅を止められて、長期の滞在をさせてもらいました。
滞在中には、沖縄本島の南部から北部まで、全ての観光地をドライブ案内してもらい、沖縄本島の大きなことと歴史の重さに感動してきました。
まだ、観光地には風葬の後が残っていて、遺骨も写真に残っています。
場所は定かではありません。
多分斎場御嶽(セーファーウダケ)だと思いますが、違っていたらお許しください。
現在では、遺骨を直接拝める場所を探すのが難しいですねー。
この場所も現在ではどこにも見当たらないのですが、水とハブというから玉泉洞でしょうか?
分かる人がいたら教えてください。
日本軍司令部の玉砕地点には、このような標識がありました。
現在は自決を強要された等と騒がれていますが、日本にやっと復帰した頃には、遺族会も一緒になって日本国のために戦死された方の冥福を祈っていたようです。
Kさんの自宅から見た、那覇市内です。
まだ高いビルが少ないですねー。
電話局の鉄塔も見えますが、数十年後にこの鉄塔の前に、白爺の娘が自宅を構えるなどとは、この時点では全く考えていませんでした。
翌年の1973年には若草国体が沖縄で開催されましたが、今度は娘達が渡島して
思い出を残してきました。
長女の長女(孫娘)結婚披露パーティ(東南植物園)
あれから35年!。
長女が沖縄に嫁ぎ会社まで興すとは、当時白爺は夢にも思っていませんでした。
あれも運命! これも運命!
一寸先は 闇だぁー!
沖縄が日本に復帰したのが、1972年5月15日ですから、復帰した年に沖縄に渡ったことになります。
冒頭の写真は、このときの国際通りの景色です。
まだ、車も少ないし、歩道橋も見られません。 ×
桜坂通りと写真には書いてありますが、あの繁華街もまだ沖縄の姿が残っていたようです。
白爺の沖縄行きは、テニアン島から引き揚げて会社を興し、いずれテニアン会の会長を勤められたK氏に招かれたから出かけました。
国際通りにあった会社の特別室に宿泊させていただいたのですが、「まだ早い。ま
だ早い。」と帰宅を止められて、長期の滞在をさせてもらいました。
滞在中には、沖縄本島の南部から北部まで、全ての観光地をドライブ案内してもらい、沖縄本島の大きなことと歴史の重さに感動してきました。
まだ、観光地には風葬の後が残っていて、遺骨も写真に残っています。
場所は定かではありません。
多分斎場御嶽(セーファーウダケ)だと思いますが、違っていたらお許しください。
現在では、遺骨を直接拝める場所を探すのが難しいですねー。
この場所も現在ではどこにも見当たらないのですが、水とハブというから玉泉洞でしょうか?
分かる人がいたら教えてください。
日本軍司令部の玉砕地点には、このような標識がありました。
現在は自決を強要された等と騒がれていますが、日本にやっと復帰した頃には、遺族会も一緒になって日本国のために戦死された方の冥福を祈っていたようです。
Kさんの自宅から見た、那覇市内です。
まだ高いビルが少ないですねー。
電話局の鉄塔も見えますが、数十年後にこの鉄塔の前に、白爺の娘が自宅を構えるなどとは、この時点では全く考えていませんでした。
翌年の1973年には若草国体が沖縄で開催されましたが、今度は娘達が渡島して
思い出を残してきました。
長女の長女(孫娘)結婚披露パーティ(東南植物園)
あれから35年!。
長女が沖縄に嫁ぎ会社まで興すとは、当時白爺は夢にも思っていませんでした。
あれも運命! これも運命!
一寸先は 闇だぁー!
貴重なお写真を拝見できました。
ありがとうございます。
国際通りといい、王泉洞といい、時の流れを感じさせてくれますね。
お褒め頂きアリガトウ。
沖縄がお好きなようですねー。
白爺のブログカテゴリー「沖縄」も見てください。
(笑)白爺さんらしいですね!!
ここのところ四国に行ったり東京に行ったり
明日はバーベキューで筑波山山麓に行ったり
ちょっと、飛びまわってます。
連休明けはゆっくりと芝桜とネモヒラを見に行きます。
今まで、離島にしかいったことが無く、今年2月はじめて沖縄本島をじっくり回る旅に出かけ、私も「こんなに大きな島なんだぁ!」と、びっくりしました。
沖縄料理の大ファンになり、こちらに戻ってきてからも、よく沖縄料理のお店に行っています。
(新宿に近くて、白爺様のお店にもっと簡単にいかれれば良いのに・・・)
風のにおいとか、光の色とか、テニアンにいるような気持ちになるときがあります(w)
沖縄には過去5度ほど訪れてますが、好きだった廃墟のアクアポリスが消えてしまって以降、一度も訪れてはいません。
あの頃まだ建設途中だったモノレールが出来、那覇の町もすっかり変わった事と思います。
今年は久しぶりに行けるかな・・。
ちずさん びらぼんさん 白爺はそこまで気が廻りませんでした。
流石に気配り満点。
心から驚いています。
沖縄に行くと娘のベンツでこの通りを走っているのですが、この頃だと右側通行なので走れなかったなーと、あらためて考えています。
東京都内は運転できても、テニアンはダメですから・・。
HTIおじさん
本当に忙しいですねー。
ゴム銃を作る暇がなくなっているのではないですか?
今週の土曜日に沖縄から娘達夫婦が来るのですが、「どこか山に登りたい」と言っているので、「国土地理院の孫に案内させて、筑波山へでも登って来い」と言ってやりました。
ハブとマングースの決闘とか、黒糖作りとかが展示されておりました。
有難うございました。
琉球村は何回も行っています。
勉強になりました。
娘達がやっている「だいこんの花」にも行ってみてください。