前に、九死に一生の思いで、テニアンから帰国した話をしました。
今日からは、引揚げ後の話を 不定期シリーズでお知らせします。
テニアン島から引き揚げてきて、白爺家族は横浜の旅館に案内されました。
案内をしてくれた人は、多分南洋庁東京事務所の人だと思うのですが
「テニアンが空襲にあったことや、潜水艦が攻撃してきた ことを絶対に人に言わないこと」
と命令調で言いました。
東神奈川の駅から近い所で、木賃宿のような旅館でした。
夕食に出た料理は、今でもはっきり覚えています。 筍と蕗の煮物です。
特に、蕗は初めて食べる食材なので、穴の大きさまで強烈に覚えています。
蕗の季節になると、白爺は毎年横浜を思い出しています。
翌朝白爺は道路に出て、驚きました。
小鳥が、道をあるいています。 人の姿を見ても逃げようとしません。
今考えれば、この小鳥はスズメでした。(テニアンには、当時スズメはいませんでした)
当時のテニアンでは、鶏を除けば 鳩でも道路をあるかないし、人を見れば、全部姿を隠してしまいます。
白爺は 超ーオドロキ。
この旅館に2・3日泊まって、いよいよ日本の故郷に帰郷です。
故郷は、福井県三方郡の由緒ある禅寺です。
白爺の母の父親(簡単に言えば祖父)が、この寺の住職をしているので、ここに決めました。
(母は、「東京は空襲になる可能性がある」 と判断し、田舎に決めたようです)
係の人に東神奈川駅まで送ってもらい、汽車に乗りました。
反対側の線路には、兵隊さん貸切の汽車が 止まっていました。
(不連続シリーズ )
(シリーズに使用する写真は、
1930年~40年に南洋興発が発行した写真集から借用します)
(入植したら先ず我が家つくり)
(砂糖キビの植付け)
今日からは、引揚げ後の話を 不定期シリーズでお知らせします。
テニアン島から引き揚げてきて、白爺家族は横浜の旅館に案内されました。
案内をしてくれた人は、多分南洋庁東京事務所の人だと思うのですが
「テニアンが空襲にあったことや、潜水艦が攻撃してきた ことを絶対に人に言わないこと」
と命令調で言いました。
東神奈川の駅から近い所で、木賃宿のような旅館でした。
夕食に出た料理は、今でもはっきり覚えています。 筍と蕗の煮物です。
特に、蕗は初めて食べる食材なので、穴の大きさまで強烈に覚えています。
蕗の季節になると、白爺は毎年横浜を思い出しています。
翌朝白爺は道路に出て、驚きました。
小鳥が、道をあるいています。 人の姿を見ても逃げようとしません。
今考えれば、この小鳥はスズメでした。(テニアンには、当時スズメはいませんでした)
当時のテニアンでは、鶏を除けば 鳩でも道路をあるかないし、人を見れば、全部姿を隠してしまいます。
白爺は 超ーオドロキ。
この旅館に2・3日泊まって、いよいよ日本の故郷に帰郷です。
故郷は、福井県三方郡の由緒ある禅寺です。
白爺の母の父親(簡単に言えば祖父)が、この寺の住職をしているので、ここに決めました。
(母は、「東京は空襲になる可能性がある」 と判断し、田舎に決めたようです)
係の人に東神奈川駅まで送ってもらい、汽車に乗りました。
反対側の線路には、兵隊さん貸切の汽車が 止まっていました。
(不連続シリーズ )
(シリーズに使用する写真は、
1930年~40年に南洋興発が発行した写真集から借用します)
(入植したら先ず我が家つくり)
(砂糖キビの植付け)
今よく目にするスズメ達は、いつどこからやって来たのでしょう…?
蕗は初めてとありましたが、筍はテニアンでも食べていましたか?
テニアンで竹を見かけたことがあるのですが、こちらのマーケットで筍に遭遇したことがないので…食べる風習がないのかなぁ~
筍ご飯…
上の名なし書き込みは、学習しらずのフレームツリー☆です
ほんとにすみませぬ…
日本の息がかかると発展する速度が速いとゲイブのお父さんは言っていました。
私は蕗という字が読めなくて辞書を引きました。
情けなーい!
ただ、砂糖きびを刈り取った後に伸びてくる芽(あと芽)は食べていました。
東北で売っている、細い筍と同じでしたよ。
それから、バナナの実が終わった木は、40cmくらいに切って、芯が出るまで剥いて、その芯を食べると筍に似ていて美味しいですよ。
椰子の芯は最高です。