土呂付近 ・・・散策 地名の裏を覗くと・・・
土呂駅(JR宇都宮線)
土呂駅を東口で降りて10分ぐらい歩くと、『市民の森・見沼グリーンセンター』に辿りつきます。「市民の森」は見沼田んぽ、芝川、見沼代用水に隣接した面積約14万㎡の緑あふれる公園です。ここには、「りすの家」と「展示温室」があります。中央部は、芝生。
さて、土呂ですが・・・「『とろ』とは、水の波なく静かなる形容にして、瀞(とろ)の音浄くして、垢なしの意義あり」から由来したのでしょうか。土呂に隣接する盆栽町の町つくりの創始者・”清水利太郎”さんの”号”は”瀞庵”というのでしたっけ。見沼が大きな沼だった頃・・・この付近は”瀞”だったのかも知れません。「アイヌ語」で”とろ”は湿地を意味するようですが。とにかく大宮の土呂は、見沼の田圃と向かい合っています。
市民の森・大宮グリーンセンター
大宮駅から宇都宮線でひとつ隣の駅が「土呂」駅です。大宮駅から土呂駅までの車窓を眺めていると、わずかひと駅で、田園都市風景に変わります。よくもここまで景色がかわるものかと驚きます。駅周辺は大きな樹木やガーデンが設置され清潔感があり綺麗。畑もちらほら。また周辺には「大宮公園」「市民の森」をはじめとし大小さまざまな公園があり、視覚で四季を感じられるエリアです。本来、利便性と環境は反比例の関係にありますが、土呂駅周辺は、見事に両方を備えたエリアであり、そこがたぶん人気の秘密でもあります。
駅の西口の方に、約110店舗とイトーヨーカドーなどが集まるショッピングセンター「ステラタウン」などのショッピング施設や「さいたま市北区役所」などの生活利便施設が全て徒歩圏に揃っています。
ステラタウン・ステラモール
「ステラタウン」の前身は、富士重工の跡地で、飛行場のあった地に創られました。
この場所の地史を辿れば、戦前には中島飛行機(現:富士重工業)の飛行場、飛行場廃止後には大宮競馬場があった。競馬場は戦時体制の影響で北葛飾郡幸松村に移転(粕壁競馬場)、跡地は中島飛行機の工場となり、戦後はそのまま富士重工業の工場となった。ただし、ここでは自動車ではなく小型汎用エンジンを製造していた。。富士重工業当時は大きな煙突があり、「スバルの大煙突」として旧大宮市北部のランドマークになっていました。
大宮富士重工 工場跡・・・ここではエンジンのみで自動車の生産は無し・(写真借用)
大宮の中島飛行機飛行場 データ
設置管理者:中島飛行機
空港種別:陸上飛行場
所在地:埼玉県さいたま市北区宮原町
沿革
1917年12月 中島知久平、群馬県尾島町に飛行機研究所設立
(現ステラタウンの場所に中島飛行機飛行場建設)
1931年 大宮競馬場開場
1939年 競馬場閉場
1942年06月 中島飛行機大宮製作所着工
1943年03月 製作所完成。海軍機のエンジン生産
1945年08月 敗戦。 富士産業大宮工場となる
1950年08月 大宮富士工業(株)となる
1955年04月 富士重工業大宮製作所となる。「ロビン」ブランドに代表される汎用エンジンや発電機などの生産
1995年09月 大宮製作所、埼玉製作所(北本市朝日)への移転完了
1999年03月 旧中島飛行機大宮製作所の大煙突解体工事開始
2004年04月 ステラタウン開業
参考;吉見中島飛行機工場・・空襲を避けて・・(写真借用)
零戦(写真借用)
余談: ・・
実は、中学時代、飛行機小僧でして・・・
といっても、竹ひごをヒュームで繋ぎ、翼と形作り、薄い紙を貼って、動力はゴムという、「ライトプレーン」の話で・・・たかが「ライトプレーン」でしたが、ずいぶん懲りました。均整がとれて、反りや歪みがなく、上手に出来ると、こんな「ライトプレーン」でもかなり飛びます。秋の晴れた日に、60°ぐらいの角度で離すと、どんどん上昇し、20~30Mぐらいまで高度を上げます。上昇気流にでも乗れば30分ぐらい、ゴムの動力がなくなっても飛び続けます。「ライトプレーン」のミソは、動力のゴムの巻き方にあります。ワインダーというゴム巻機を使って、目一杯引き延ばしてから、ゴムに瘤を作りながら巻きます。ゴムは4,5回でぼろぼろになります。そんなわけで、「ライトプレーン」の諏訪で開催された県大会にも出場しました。・・・普段どうり飛べば、自分が一位だと思いつつ、二位に甘んじましたが・・・
そんな飛行機小僧は、いまでも”風立ちぬ”や”永遠の〇”のような”飛行機”に関係する映画や小説が出ると胸が騒ぎます。中島飛行機という名も、懐かしさが繋がってきます。百田さんとはかなり考え方が違いますが・・・