[ 小魔人の小部屋 ] 枚方市の学習塾“ベスト学習会”の別宮利彦の一昔前の回顧録

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別宮利彦の『小魔人の小部屋』
こっそり垣間見てにんまり微笑んでください

エジソンと石清水八幡宮

2006-01-08 | あるある探検隊

前回のブログの続きというような記述ですが…

さて、タイトルをごらんになって「なんじゃこれ?」と思ったかもしれない。
しかし、石清水八幡宮に参詣したことのある人ならピンと来たでしょう。

初詣に行ったとき、まず、京阪電車の八幡駅前のロータリーに、エジソンの胸像を見つけた。

 ちょっと怒っているような表情だった…


ロータリーの中央には、竹と白熱電球のオブジェの非核宣言都市のモニュメントもあった。
しかも、この駅前のお土産店などが軒を連ねる商店街は「エジソン通り」と呼ばれている。

お参りを終えた後、立ち寄った男山山頂付近の神苑内にある食堂や売店などがあるレストハウスがある広場の一角に、デーン!と『エジソン記念碑』があった。

 立派な記念碑の後ろにも竹が生い茂っていた

エジソンは、生前、最大の発明は何かとの質問に、彼は白熱電球と電気システムであると答えたそうだ。その白熱電球の実用化にこの地の竹が貢献した。

エジソンは、幼いころから人一倍好奇心が旺盛で、“なぜ?どうして?”を連発し、大人を困らせたようだ。1876年、ニユージャージー州に研究所を建て、1878年に「エジソン電灯会社」を設立し、白熱電球の研究に取り組んだ。そして32歳のとき、綿糸を炭素フイラメントにした白熱電灯が45時間も輝き、人々の顔をはっきりと照らした。

実用化のためには長時間灯し続ける必要があると考えてたエジソンは、フイラメントの改良に取り組み、全世界から集められた6000種類にも及ぶいろんな材料を炭にして実験をしていた。ある日、偶然机の上にあった竹の扇子を見つけた。その竹をフイラメントに使ってみると、200時間も灯った。フィラメントの材料に竹が適していることを知った。そして、当時の金額で10万ドルをかけ、全世界へ材料を探すため20人の竹採りハンターたちが派遣された。

1880年、エジソンの助手のウイリアム・H・ムーアーが日本に来日。時の首相伊藤博文、山県外務大臣と会い、「竹なら京都へ」とのアドバイスされた。そして、八幡男山付近の竹が約2450時間も灯り、最もよい成績であることを発見した。この地域は、鉄分が豊かな土質のもと、柔軟で堅固な竹を産していた。

その後、八幡の竹は1894年に セルローズのフィラメントに取って代わられるまで 10数年にわたりエジソン電灯会社に輸出され、八幡の竹を用いた白熱電球が毎年何百万個の馬蹄型フィラメントの白熱電球が作られ、全世界に明かりを灯し続けた。

身近な場所に、偉大な人物の足跡があったものだ…。

エジソン記念碑には、彼のあの有名な言葉がされていた。ヽ(^_^)ノ


Genius is one per cent inspiration and ninety-nine per cent perspiration.


天才とは1%のひらめきと99%の汗の結晶である。”

Thomas Alva Edison


 


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