南河内へ、歴史探訪に…。
【大阪府立近つ飛鳥博物館】
ここは平成6年にオープンしていたのだが、訪ねたいと思いながらなかなか行く機会がなかった。
だが、やっと訪れることができた。
はるばるという距離だが、期待以上の満足度だった。
この博物館の『近つ飛鳥』という呼び名は、『古事記』の中に記載があるのだが、大陸との本格的な窓口が難波の港に設けられた頃、難波宮からみて近い方の飛鳥(河内の飛鳥)ということで、現在の大阪府南河内郡辺り一帯を言ったものである。奈良県の明日香村を遠い方の飛鳥(大和の飛鳥)ということで「遠つ飛鳥」といった。
こちらは、ただ「飛鳥」と呼ばれるようになる。
その「飛鳥」に対して、当時劣らない文化を持っていたということで『近つ飛鳥』と呼ばれていたようだ。
そびえ立っているのは、「黄泉の塔」というものらしい。
階段状のへんてこな豪華な建物。もしや、アンドー?と思ったが、
入館してリーフレットを見てみると、案の定、安藤忠雄の設計によるものだ。
この博物館、展示物の案内をしてくれる音声ガイドを無料で貸し出ししている。
これはありがたい。いいとこだ。
でも、説明がとても細かく、ゆったりしたアナウンス。
1.5倍速とかないんかよ~って思った。
博物館の周辺一帯は、近つ飛鳥風土記の丘という史跡公園になっており、
日本を代表する規模の群集墳「一須賀古墳群」がある。
上の写真は復元されたレプリカの古墳の一つだ。こんなのがあっちこっちにあった。
次に、大阪芸術大学や上宮太子高等学校が近くにある、南河内郡太子町の
『 叡福寺 』を訪れた。
ここには聖徳太子(厩戸皇子)の墓所がある。
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聖徳太子の没後、伯母さんにあたる推古天皇が土地建物を寄進し、
墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされている。
この寺のずっと奥にある、叡福寺北古墳。
ここに聖徳太子本人とその母・穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)、
太子の妃・膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)が眠っているとされている。
聖徳太子御廟
聖徳太子にまつわる伝説や聖徳太子虚構説など、様々な論争があるが、
今後の教科書ではどうなることやら…
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