四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

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松浪健四郎落選議員の弁明

2009年09月03日 12時38分33秒 | 日毎起こること
松浪健四郎落選議員の弁明を記録しておこう。
しばらくはk1で頑張っていただきたい。

猪木選手と対戦するのもよい。そして二人して国会に戻ってきてもらいたい。
「猿は木から落ちても猿だが、国会議員は木から落ちるとただの人である。」
いえいえ、そんなことはありません。ただの人が国会議員になってもただの人ですよ。バカなら誰でも陥る錯覚にすぎません。国会議員なんかはみんなただの人なんです。地位が人間を変えたように勘違いするだけです。警官を同じです。逮捕特権を持つと神様になったような気になるだけです。裁判官も検察官もみんなただの人です。

それでもプロレスラーが国会議員になるとプロレスラーなのです。
猪木にない箔が松浪健四郎落選議員にはありまる。つまりこうです、ヤクザプロレスラーの国会議員。本人は侍だと言っていますが、侍はちょんまげを切らずに腹をきるものです。それが本当の侍で品の無いプロレスラーとの違いです。
「顔を洗って出直してこい。」と凄みのある言葉がわたしの頭の中にも残っています。

松浪健四郎落選議員の弁解

http://www.kenshirou.com/diary/diary.cgi?date=040324&mode=show_diary

敗者の論理

 民主主義の原則は選挙である。
 この選挙に敗れれば、いかに有能な政治家と言えども、政治家と呼ばれず、公式の場での発言ができなくなる。かつて川嶋正次郎自民党副総裁(故人)は、「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちればタダの人」と表現された。まさにその通り、いや「タダの人以下」という実感を私は持つ。
 旧知の多くの代議士と会う機会は今も少なくないが、おしなべて「選挙は早いぞ!」と私に言う。これは、選挙の準備のために、しっかり活動しておけ、という激励である。小泉内閣が崩壊し、次の内閣が誕生して一年くらい、あるいは三年先の解散までは総選挙は実施されないと見るのが常識な線であろう。
 「イラクで事が起これば解散!」と吐かれる人たちも存在するけれど、私はイラク問題では、いかなる事態が生じようとも解散はないと信じている。いや、イラク問題を政局の糧にしてはならないとも考える。
 イラクで最悪の事態が生じ、国会がそれで右往左往するようでは、日本の信頼が国際的に地に落ちる。与野党問わず、自衛隊の活動に拍手をおくり、かれらの安全のために最大の支援を行う、それ以外に政治は動くべきではなかろう。「イラク解散」など、絶対にあってはならないのである。
 山崎拓前自民党副総裁は、一時、落選直後から国政復帰のために参院選出馬を口に出されていたが、やはり次回の衆院選挙まで待つと公言された。派閥の領袖がノーバッチではカッコがつかないだろうし、影響力低下を防止するには参院選出馬が好都合だったにちがいない。しかし「福岡2区で国事に献身するという初心を貫徹したい」と述べられ、捲土重来を期すことになったらしい。
 山崎拓前副総裁ですら、国政復帰のためにフラフラになられるのだから、私などメダカでもフラフラになるのは申すまでもない。が、私は参院への転向など考慮せず、ひたすら衆院選を睨み続ける。もちろん、参院選に「出ろ、出ろ」と提言してくれる支援者も多数いるが、三年半を待つ勇気と根気なくして、有権者の理解を得るのは困難だとも思う。
 落選してバッヂを外すと、公式行事への案内はゼロとなる。たとえ「前議員」であろうとも公人でなくなるのだから、当然である。しかも葬儀に参列して、焼香順位を待っていると、時に町会議員の先生方の後になることもしばしば。現職優先社会であるがため、落選すれば、どんと軽い扱いをうけるのだ。それくらいはまだまだいい。国会の議員会館を訪問する際、前議員証を忘れると、面会証を受け取るために並ばねばならないのだ。当然のことだが、これは前議員として最大の屈辱となる。まさに「タダの人」であろう。
 ともかく反省の上に反省を重ね、捲土重来を期すしかないのだ。大学に戻って教壇に立って生計をたてるとか、TVに復帰して収入を得るとか、執筆に精を出して著作で稼ぐとか、生きる方法は沢山あるけれど、国事に携わりたいと強く希望するかぎり、ここはガマンのしどころだと認識している。
 代議士時代、本当に超多忙だった。殺人的なスケジュールで動いていたのも事実である。小党に在籍していたことも原因だろうが、ともかく早朝から夜遅くまで働き続けた。あんなハードな生活を続けていると、遅かれ早かれ、長嶋茂雄監督と同じ病に倒れていたかもしれぬ。
 天は、私に試練だけではなく、休養も与えて下さったのだと私は落選を捉えている。そのように解しないことには、地元を自信をもって回る勇気が湧いてこないのだ。毎日、こんなに正しい日課の生活なんて、私は今までの人生で経験しただろうか。鋭気を養いつつ、健康を確かなものにし、再起を狙う。次回のオリンピックを待つ競技者の心境である。
 いずれにしても、多くの方々に迷惑をおかけした。心配もさせたにくわえ、疲労困憊させた罪は大きい。これらの現実を想起するとき、私自身が落ち込む。責任の重大さと、多くの皆さんの名誉を汚したことを一人になると、ついつい考え込み、やがて落胆する。だから、落選後、私は腹から笑ったことは一度もない。
 多分、山崎拓前副総裁をはじめ、落選された人たちは同じ心境であられるにちがいないと思う。勝負は時の運だとはいえ、敗戦理由は必ずあるものだ。そしてその責任は本人にある。つまり不徳の致すところなのである。
 逆に勝者には勝利した理由がある。実力もあろうし、敵失もある。風もある。いや悪知恵もあろう。私の一番嫌いな言葉は、「手段を選ばない」だ。私は堂々と真正面から戦う者で、小細工をしたり、裏での取り引きや工作を好まないタイプ。で、時に「政治家らしくない」と叱られる。
 そんなことはどうでもよい。堂々と己の敗北を認めることが大切だと思う。敗者はその現実から逃避して、敗北を認めたがらない例を台湾の総統選挙でも見られたが、私は自らの責任で敗れたと認識している。それだけに、よけい責任を感じるのである。
 落選して良かったと思う事柄も幾つか気づく。まず、家族のことを考える家庭人に復帰した点だ。ついで目線を一般大衆のレベルに降下させ得たうえに、自分も大衆の一員になれたことである。バッヂの偉力で生活していると、自然と特権階級に座っている事実を忘れてしまうものだ。普通の人、タダの人もいい、自由に泳げる今を大切にしたいとも思う。
 何を言っても負け惜しみになるのだろうが、私のような雑草は、あらゆることを経験して太くなるのかもしれない。あんなに神経を使い、雑音や誹謗中傷の飛び交う中で、平常心を保つのは疲れる。
 電話が鳴っただけで驚いたり、家の光を外にもらさないように家中を目張りしたり、異常な体験を余儀なくされたけれど、これらもすべて私の肥やしとなっている。あんな攻撃を甘受せねばならなかった運命、支援者の皆さんには誠に申し訳なく思うばかり。
 敗者は、サバサバしてカラッとしているのが肝要であるような気がする。たとえ第三者の眼には惨めに映ろうとも、「ニコッ」と笑顔を造れる余裕も求められよう。
 常在戦場を忘れず、日に日に努力、頑張り続けたいと決意する。ま、元気に精一杯、初心に戻って、しつこく生き続けます。

2004年3月24日





生活保護は甘くはない 生活保護受給を紹介している人の話を聞くと良く分かる

2009年09月03日 11時02分03秒 | 日毎起こること
生活保護と年金では根本的な考え方がことなる。

生活保護は生存権の問題で発生したが、年金は互助制度の考えから相互自助を行うものである。年金は国が一元化して行い、国も負担を負うという考えである。

生活保護は憲法の精神から生まれ、憲法遵守精神からは絶対的なものである。
つまり近代法の精神から法の下の平等を行うということである。
日本国民の3大義務は、教育を受ける義務、勤労の義務、納税の義務である。
教育を受け、勤労に必要な知識を得、働いて税金を支払う。
つまり国家の運営のために、人は国の民となるのである。

ところが勤労ができない場合には生活もできなく、税金も納められない。
こういう状態においてのみ生活保護は受給できるが、生計を営む上での周囲の環境も考慮して尚且つ自立できない場合のみ支給される。だから頼れるものは頼り、金になるものを所有する内は支給されない。

年金受給をしても生活保護のような制約はない。年金を受給しながら保護を受けることも可能である。そのかわり制約がいり込み自由が奪われる。

生活保護を受給した場合には確かに特典が生じるものがあるが、世間でいわれるほどのものではない。

国民年金 支払う必要はないが、保護が打ち切られてから支払うため受給年数に達しない場合には年金受給は難しくなる。

市県民税 支払う必要はない。

固定資産税 固定資産そのものが認められていない。特殊な場合に該当する保護受給者は限りなく0に近い。

上下水道の基本料金 これは自治体によってことなる。多くの自治体は免除制度を扱っていない。

NHKの受信料 こちらは無料。

市バス 身体の不自由な人など特定の場合のみ。市バスを有している市町村は少なくなっている。

地下鉄のフリーパス 地下鉄のある都市部のみ。健常者は取得不能。

保育料 条件がある。

医療費 福祉課でいちいち医療券を貰わなければならない。市外での診療はほとんど認めていない。旅行中のけがなどでは病院へ行くのが困難である。そもそも遊興そのものが認められていない。海外旅行は禁止されている。もし渡航した場合は生活扶助費から旅行代金分が減額される。


 病院を指定することはできない。福祉課が指定する病院でのみ受診が可能である。時には最悪の藪医者に当たると最悪の事態が起こりえることも覚悟しなければならない。

だから、病気が治っても治らなくともあまり変わらない存在感のないものが医療保護を受ける場合が多い。悪徳医師たちのよいカモになり、元気な内臓がいつの間にか無いぞうと、驚くことがある。



半年以上入院すると住宅扶助が停止される。つまり、家賃が出ないため帰る場所がなくなる。家財道具なども始末しなければならない。病院では食事がつくのだから、生活扶助も相当額減額される。身の回りのティシュペーパ程度が買える程度だと考えておくべきである。


健常者では保護受給は極めて難しく、身寄りがない、貯蓄がない、生命保険等に入っていない、財産になるようなものがない。援助してくれそうな人がいない。自動車を所有しない。その他さまざまな制約があり。申請者の数は増えるばかりであるが、審査は厳しくなっている。自治体によっては、絶対に支給しないところもある。

民生委員などからの監視の対象となり、別収入がある場合は申告しないと詐欺で告訴される。
常に就職活動をしなけれならず、報告書を受給日に提出する。米・野菜・缶づめなどの支援物資等についても報告しなければならず、減額対象とされる。

過酷な辱めの屈辱的な日々が続き、厄病神に見舞われ、底なし沼からは逃れられなくなる。
結局社会の通念は駄目な人間のレッテルとして見る。

しかし、基本的人権と生存権の問題から考えると、最低限の人間の生活を保証するものであって、文化的な生活を保証するものではない。この点が日本の役所のごまかしが入る。

受給に有利な家族構成は3~6人構成位である。
年寄りの一人暮らしの受給額は少なくなる。一人の場合は40歳位までが有利である。

生活保護世帯には借金が困難であるし、借金をすると収入とみなされる。また、クレジットカードの加入も難しい。すでに持っている人も所有を中止される場合がある。

今やクレジットカードは社会的信用を保証するものである。
保護受給者は自動車の運転も禁止される。保険に加入できないためである。
事故を起こした場合の弁済にも困る。事故を起こした場合に怪我をしたり入院したりした場合には医療保護は受けられない。けんかなどで怪我をした場合も医療保護は受給できない。

生活保護を受給しないためには、日ごろから物欲を少なくし、カードは1枚を限度とし、ポイントを稼ぐなどという考えを捨て、食事カロリーを1800kal以内に節約することである。

現状の生活保護受給者は月の内、10日間はおかずが買えないような生活をしている。自ら節食する自発的な行為とは異なり、お腹が減ると人相が悪くなり血色も悪くなり、かなりみすぼらしさを感じさせる。地獄絵さながらの羅生門の世界の住人と変わらなくなる。

世間でいうほど甘くはない。市会議員なども勘違いしているのが多くいるが、全国の市会議員の中で知性を持っているのは1パーセントにも及ばない。自治体のレベルが低いと事の真相が分からなくなる。

生活保護世帯で裕福なのは一部の関係者と一部のヤクザである。大阪の同和対策はそれこそ天国である。橋本知事はここにはメスを入れようとしない。いわゆる被差別と言われた人々の生活が保護され豊かであるとはいえない。保護すべき人たちは置き去りにされ、したたかな人々はうまく立ち回る。

できるだけ貰わない対策を講じるためには、自分の得意分野を広げることである。
漫画やファッション雑誌やゲームからは足を洗い、技術力を高めたり、その技術を生かすための手段を見つけなければならない。若い時は贅沢をせず、爪に火をともす生活をしながら、自分を磨くために投資しなければならない。若い時にそれだけのことができなければ、この地獄のような人生に成功の明かりを見つけることはできないであろう。ただし、健康管理は怠ってはならないので、スロージョギングを常に心がけることである。

今や、国家も自治体も税収減に苦しむ時代である。これからは保護などという救済措置もなくなる可能性が出てくる。憲法が改正されれば当然、生類憐れみの令のような生活保護も無くなるであろう。

五体不満足の人間でもちゃんと仕事をしている例を逆手にとって、31歳から60歳までは青年、61歳から85歳までは中年、86歳以上が老年となる。つまり年金が受け取れる年齢は86歳からとなる時代が近づいている。