しばらくはk1で頑張っていただきたい。
猪木選手と対戦するのもよい。そして二人して国会に戻ってきてもらいたい。
「猿は木から落ちても猿だが、国会議員は木から落ちるとただの人である。」
いえいえ、そんなことはありません。ただの人が国会議員になってもただの人ですよ。バカなら誰でも陥る錯覚にすぎません。国会議員なんかはみんなただの人なんです。地位が人間を変えたように勘違いするだけです。警官を同じです。逮捕特権を持つと神様になったような気になるだけです。裁判官も検察官もみんなただの人です。
それでもプロレスラーが国会議員になるとプロレスラーなのです。
猪木にない箔が松浪健四郎落選議員にはありまる。つまりこうです、ヤクザプロレスラーの国会議員。本人は侍だと言っていますが、侍はちょんまげを切らずに腹をきるものです。それが本当の侍で品の無いプロレスラーとの違いです。
「顔を洗って出直してこい。」と凄みのある言葉がわたしの頭の中にも残っています。
松浪健四郎落選議員の弁解
http://www.kenshirou.com/diary/diary.cgi?date=040324&mode=show_diary
敗者の論理
民主主義の原則は選挙である。
この選挙に敗れれば、いかに有能な政治家と言えども、政治家と呼ばれず、公式の場での発言ができなくなる。かつて川嶋正次郎自民党副総裁(故人)は、「サルは木から落ちてもサルだが、政治家は選挙に落ちればタダの人」と表現された。まさにその通り、いや「タダの人以下」という実感を私は持つ。
旧知の多くの代議士と会う機会は今も少なくないが、おしなべて「選挙は早いぞ!」と私に言う。これは、選挙の準備のために、しっかり活動しておけ、という激励である。小泉内閣が崩壊し、次の内閣が誕生して一年くらい、あるいは三年先の解散までは総選挙は実施されないと見るのが常識な線であろう。
「イラクで事が起これば解散!」と吐かれる人たちも存在するけれど、私はイラク問題では、いかなる事態が生じようとも解散はないと信じている。いや、イラク問題を政局の糧にしてはならないとも考える。
イラクで最悪の事態が生じ、国会がそれで右往左往するようでは、日本の信頼が国際的に地に落ちる。与野党問わず、自衛隊の活動に拍手をおくり、かれらの安全のために最大の支援を行う、それ以外に政治は動くべきではなかろう。「イラク解散」など、絶対にあってはならないのである。
山崎拓前自民党副総裁は、一時、落選直後から国政復帰のために参院選出馬を口に出されていたが、やはり次回の衆院選挙まで待つと公言された。派閥の領袖がノーバッチではカッコがつかないだろうし、影響力低下を防止するには参院選出馬が好都合だったにちがいない。しかし「福岡2区で国事に献身するという初心を貫徹したい」と述べられ、捲土重来を期すことになったらしい。
山崎拓前副総裁ですら、国政復帰のためにフラフラになられるのだから、私などメダカでもフラフラになるのは申すまでもない。が、私は参院への転向など考慮せず、ひたすら衆院選を睨み続ける。もちろん、参院選に「出ろ、出ろ」と提言してくれる支援者も多数いるが、三年半を待つ勇気と根気なくして、有権者の理解を得るのは困難だとも思う。
落選してバッヂを外すと、公式行事への案内はゼロとなる。たとえ「前議員」であろうとも公人でなくなるのだから、当然である。しかも葬儀に参列して、焼香順位を待っていると、時に町会議員の先生方の後になることもしばしば。現職優先社会であるがため、落選すれば、どんと軽い扱いをうけるのだ。それくらいはまだまだいい。国会の議員会館を訪問する際、前議員証を忘れると、面会証を受け取るために並ばねばならないのだ。当然のことだが、これは前議員として最大の屈辱となる。まさに「タダの人」であろう。
ともかく反省の上に反省を重ね、捲土重来を期すしかないのだ。大学に戻って教壇に立って生計をたてるとか、TVに復帰して収入を得るとか、執筆に精を出して著作で稼ぐとか、生きる方法は沢山あるけれど、国事に携わりたいと強く希望するかぎり、ここはガマンのしどころだと認識している。
代議士時代、本当に超多忙だった。殺人的なスケジュールで動いていたのも事実である。小党に在籍していたことも原因だろうが、ともかく早朝から夜遅くまで働き続けた。あんなハードな生活を続けていると、遅かれ早かれ、長嶋茂雄監督と同じ病に倒れていたかもしれぬ。
天は、私に試練だけではなく、休養も与えて下さったのだと私は落選を捉えている。そのように解しないことには、地元を自信をもって回る勇気が湧いてこないのだ。毎日、こんなに正しい日課の生活なんて、私は今までの人生で経験しただろうか。鋭気を養いつつ、健康を確かなものにし、再起を狙う。次回のオリンピックを待つ競技者の心境である。
いずれにしても、多くの方々に迷惑をおかけした。心配もさせたにくわえ、疲労困憊させた罪は大きい。これらの現実を想起するとき、私自身が落ち込む。責任の重大さと、多くの皆さんの名誉を汚したことを一人になると、ついつい考え込み、やがて落胆する。だから、落選後、私は腹から笑ったことは一度もない。
多分、山崎拓前副総裁をはじめ、落選された人たちは同じ心境であられるにちがいないと思う。勝負は時の運だとはいえ、敗戦理由は必ずあるものだ。そしてその責任は本人にある。つまり不徳の致すところなのである。
逆に勝者には勝利した理由がある。実力もあろうし、敵失もある。風もある。いや悪知恵もあろう。私の一番嫌いな言葉は、「手段を選ばない」だ。私は堂々と真正面から戦う者で、小細工をしたり、裏での取り引きや工作を好まないタイプ。で、時に「政治家らしくない」と叱られる。
そんなことはどうでもよい。堂々と己の敗北を認めることが大切だと思う。敗者はその現実から逃避して、敗北を認めたがらない例を台湾の総統選挙でも見られたが、私は自らの責任で敗れたと認識している。それだけに、よけい責任を感じるのである。
落選して良かったと思う事柄も幾つか気づく。まず、家族のことを考える家庭人に復帰した点だ。ついで目線を一般大衆のレベルに降下させ得たうえに、自分も大衆の一員になれたことである。バッヂの偉力で生活していると、自然と特権階級に座っている事実を忘れてしまうものだ。普通の人、タダの人もいい、自由に泳げる今を大切にしたいとも思う。
何を言っても負け惜しみになるのだろうが、私のような雑草は、あらゆることを経験して太くなるのかもしれない。あんなに神経を使い、雑音や誹謗中傷の飛び交う中で、平常心を保つのは疲れる。
電話が鳴っただけで驚いたり、家の光を外にもらさないように家中を目張りしたり、異常な体験を余儀なくされたけれど、これらもすべて私の肥やしとなっている。あんな攻撃を甘受せねばならなかった運命、支援者の皆さんには誠に申し訳なく思うばかり。
敗者は、サバサバしてカラッとしているのが肝要であるような気がする。たとえ第三者の眼には惨めに映ろうとも、「ニコッ」と笑顔を造れる余裕も求められよう。
常在戦場を忘れず、日に日に努力、頑張り続けたいと決意する。ま、元気に精一杯、初心に戻って、しつこく生き続けます。
2004年3月24日