岩手県知事 増田寛也 元建設省紛争調整官
島根県知事 澄田信義 自民・公明・保守推薦
福岡県知事 麻生渡 自民・民主・公明・自由・社民・保守・自連・農政推薦 元特許庁長官
三重県知事 野呂昭彦 民主・自由・社民推薦 元松阪市長
福井県知事 西川 一誠 自民・民主・公明・社民・保守推薦 元副知事・自治省企画課長
山口県知事
知事のプロフィール 二井 関成(にい せきなり)
出身・略歴
山口県美祢市生まれ 昭和18年(1943年)3月20日
身長169cm 体重63kg 血液型A型
昭和41年(1966年) 3月
東京大学法学部卒業
昭和41年(1966年) 4月
自治省入省
昭和46年(1971年)12月
長崎県総務部財政課参事
昭和47年(1972年)10月
長崎県総務部税務課長
昭和49年(1974年) 7月
中小企業庁指導部組織課長補佐
昭和51年(1976年) 7月
自治省選挙部政治資金課長補佐
昭和54年(1979年) 4月
山口県総務部財政課長
昭和55年(1980年) 4月
山口県総務部次長
昭和57年(1982年) 4月
消防庁消防大学校教務部長兼教授
昭和58年(1983年) 4月
(財)日本消防協会事務局長
昭和59年(1984年)10月
山口県企画部長
昭和62年(1987年) 4月
山口県民生部長
昭和63年(1988年)10月
山口県総務部長
平成 6年(1994年) 7月
山口県出納長
平成 8年(1996年) 4月
山口県出納長退任
平成 8年(1996年) 8月22日
山口県知事就任
平成12年(2000年) 8月22日
山口県知事再任
平成16年(2004年) 8月22日
山口県知事再任
平成20年(2008年) 8月22日
山口県知事再任
家族
妻、一男、義母
趣味
スポーツ(特に野球)
読書(好きな作家は司馬遼太郎【愛読書は「坂の上の雲」】
座右の銘
人生の舞台は常に将来にあり(尾崎行雄)
(On life’s stage,always be prepared for the future.)
山口県知事
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長崎県知事
知事のプロフィール
県知事あいさつ プロフィール 県政方針 主な施策 記者会見 知事への提言
金子知事
プロフィール
氏名 金子 原二郎(かねこ げんじろう)
出身地 長崎県平戸市生月町
生年月日 昭和19年5月8日
履歴事項
昭和 43年 3月 慶應義塾大学文学部 卒業
43年 4月 日本水産株式会社 入社
44年 8月 兼井物産株式会社 入社
50年 4月 長崎県議会議員
54年 4月 長崎県議会議員(二期目)
58年 4月 長崎県議会議員(三期目)
58年 12月 衆議院議員
61年 7月 衆議院議員(二期目)
平成 2年 2月 衆議院議員(三期目)
建設政務次官
3年 11月 自民党国会対策副委員長
5年 7月 衆議院議員(四期目)
衆議院石炭対策特別委員長
6年 9月 衆議院法務常任委員長
7年 9月 衆議院議院運営委員会理事
8年 10月 衆議院議員(五期目)
10年 3月 2日 長崎県知事
14年 3月 2日 長崎県知事(二期目)
17?
6月
3日 九州地方知事会長
18年 3月 2日 長崎県知事(三期目)
熊本県知事 蒲島郁夫(かばしま いくお)
大変珍しい経歴の持ち主
* 1965年3月 熊本県立鹿本高等学校卒業
* 1971年9月 ネブラスカ大学農学部入学(豚の精子について研究)
* 1974年5月 ネブラスカ大学農学部卒業
* 1977年5月 ネブラスカ大学大学院農業経済学専攻修士課程修了
* 1979年11月 ハーバード大学大学院政治経済・行政学専攻博士課程修了
職歴 [編集]
* 1965年4月 稲田村農業協同組合勤務
* 1968年 渡米(農業研修生)
* 1980年9月 筑波大学社会工学系講師
* 1984年4月 ワシントン大学国際問題研究所客員准教授
* 1984年6月 プリンストン大学国際問題研究所客員研究員
* 1985年11月 筑波大学社会工学系助教授
* 1991年4月 筑波大学社会工学系教授
* 1996年 筑波大学大学院国際政治経済学研究科長
* 1997年4月 東京大学大学院法学政治学研究科教授
* 2007年8月 熊本県立大学客員教授(2008年3月まで)
* 2008年3月 東京大学辞職
* 2008年4月16日 熊本県知事
* 2008年6月 東京大学名誉教授
学外における役職 [編集]
* 日本選挙学会理事長(2000年-2002年)
* 21世紀臨調運営委員
人物 [編集]
高校時代は優等生ではなかったが、政治家、小説家、牧場主のいずれかになることを夢見ていたという。卒業後は自動車販売会社に勤めたが3週間で辞め、地元の農協に就職した。農業研修で渡米したことが転機となり、途中で学問の道に転身。農学を修めた後、政治学に転向した。異色の経歴が話題になることもしばしばで、東京大学教授就任時には「農協職員から東大法学部教授に」とマスコミを賑わせた。
ハーバード大学院時代はサミュエル・P・ハンティントンやシドニー・ヴァーバの指導を受け、帰国後は政治学者として投票行動の実証的研究や政治参加に関する政治発展理論において業績をあげた。特に戦後日本における投票行動について、「有権者は自民党の政権担当能力を信頼し、自民党が政権を担当することを基本的に支持しているが、国民への応答性を求めるために政局は与野党伯仲をよいと考え、自民党政治の腐敗、独走が生じた際には警戒した投票行動をとる」としたバッファー・プレイヤー説が有名。また、東大・蒲島ゼミ生による研究書を木鐸社から発行するという画期的な試みも行った。
2008年3月5日、東京大学を退職し、翌3月6日、熊本県知事選挙への立候補を届け出た。無所属での立候補で、「幅広く支持を求めたい」として政党からの推薦も受けなかったが、自民党の実質的な支援を受けて選挙戦を戦った。3月23日の投開票の結果、対立候補に大差をつけて初当選した。のちに<中央公論>に「自分の選挙を自分で分析した」論文を載せている。
なお、1991年の知事選挙にも出馬要請を受けたが、断ったという。(この選挙では現職の細川護熙が3選に出馬せず引退。当選者は福島譲二)
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大分県知事
広瀬勝貞(ひろせ かつさだ)
昭和17年6月25日 日田市豆田生まれ
血液型 A型
趣味 音楽鑑賞・園芸
好きなスポーツ ハイキング
好きな食べ物 そば
語学 英語・スペイン語(いずれも少々)
【略歴】
昭和30年(1955) 日田市立月隈小学校卒業
昭和41年(1966) 東京大学法学部卒業
昭和41年(1966) 通商産業省入省(現・経済産業省)
昭和51年(1976) 在スペイン日本大使館一等書記官
平成 3年(1991) 中小企業庁計画部長
平成 3年(1991) 内閣総理大臣秘書官
平成 6年(1994) 通商産業省貿易局長
平成 9年(1997) 通商産業省機械情報産業局長
平成11年(1999) 通商産業省事務次官
平成13年(2001) 経済産業省事務次官
平成14年(2002) 経済産業省退官
平成15年(2003)4月 大分県知事当選就任