曇り空の朝、午前8時頃に日差しがあり洗濯物を干せば、23.0℃と午後1時迄で
最高気温となるが、北風と黒雲に覆われて雨粒がぽつりと屋根を打つ。
日本海側から寒気が流れ込んできたようで、午前10時過ぎには16.1℃と今日の
最低気温を記録した。
時折雨粒をもたらす雲も次から次へとやって来て、結局洗濯物は洗濯機の乾燥
コースへと洗濯槽へ逆戻りに。
でも午後1時過ぎから天候は回復して、明日・明後日と五月晴れで、一気に
気温は30度に近づき、気温の変動が大きく体調管理が大変ですね。
10時、16.4℃、57%
お隣のTVアンテナで「イソヒヨ・磯鵯」のオスがよく通る声で囀るも・・・
さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はバラ科の「バラ・薔薇」
南半球にはなく北半球の温帯域に広く自生するバラ属の総称、低木または木本
性のつる植物で、葉や茎に棘を持つものが多く、葉は1回奇数羽状複葉です。
花は基本的に5枚の花びらと多数の雄蘂を持つ。
なお日本の原種として「ノイバラ」や「Japanese Rose・ハマナス」も入り、
全世界的に園芸種として品種改良が盛んで、毎年のように新品種が登場する。
バラは和語で、由来は「いばら」の転訛したものと言われる。
漢語「薔薇」の字をあてるが、音読みで「そうび」「しょうび」とも読む。
なお漢語には「玫瑰・まいかい」や「月季・げっき」の異称も。
花言葉は「愛」
ご近所からの頂き物
4月29日、葛井寺から歩き全国第2位の規模「誉田御廟山古墳(応神天皇陵)」
、誉田八幡宮、道明寺天満宮と道明寺を廻り、近鉄道明寺駅から帰路に
経路は黒線(国土地理院地図より)
何故、こちらに廻ったかと言うと・・・
玄関には皐月飾りとして、奈良一刀彫の兜(荒木義人作 )を。
一方床の間には五月人形、大木平蔵作の皐月飾り「応神天皇」がおられる。
今回葛井寺近くの「応神天皇陵」、ご祭神となる「誉田八幡宮」にお参りに。
ついでに神仏分離令前は道明寺天満宮と同じ境内にあった道明寺、隣に移設されている。道明寺は桜餅の材料、道明寺粉(蒸したもち米を乾燥)の由来になる寺です。なお関東の桜餅は小麦粉からです。
参照)五月人形:明治時代の東京辺では神功皇后と武内宿禰、金時、鍾馗など
が主に飾られ、関西では応神天皇、名古屋辺では大将人形などと。
(コトバンクより)
葛井寺の南大門から東へ向かい「大水川」に沿って南東へと向かえば、
古市古墳群
まだ咲き残った川べりの桜に出会いました。
羽曳野市に入れば、御陵橋を通り誉田御廟山古墳(応神天皇陵)拝所前に。
左側は直径50mの円墳「誉田丸山古墳」
1848年に国宝の金銅製龍文透彫鞍金具が出土誉田八幡宮保存
その横に参道を行けば、宮内庁書陵部古市陵墓監区事務所でその前に井戸が
さらに進みます。
自然林でびっしりと生えている。
航空写真が提示されていた。
墳丘長425m、後円部直径250m、同高さ35m、前方部幅300m、同高さ36mの
5世紀前半の前方後円墳で、大仙古墳(仁徳天皇陵)に次ぐ大きさだが、容積
は143万㎥で全国1だとか。墳丘は三段で斜面は一面に石が葺かれる。
現在地👇 誉田八幡宮👇
西周りに外堀を見ながら誉田八幡宮へと思ったが、通りかかった人に聞けば、
170号線を通らないので、旧道(東高野道)の東回りの方が良いのではと。
目の前に「大鳥塚古墳」5世紀前半の墳丘長110mの前方後円墳で、後円部直径
73m、前方部幅50mで、古市古墳群では唯一登ることができます。
高速沿いを南下して住宅地を行けば、テニスコート奥に「東馬塚古墳」があり
一辺30m、高さ3.5mの方墳で「応神天皇陵い号飛地」となる。
さらに奥に応神天皇陵の堤上にある「二ツ塚古墳」、墳丘長110m、後円部直径
73m、同高さ10m、前方部幅60m、同高さ8.6mの前方後円墳で、4世紀後半か
らで、その後に応神天皇陵が巻き込むように築造されたよう、訳は???
(写真が撮れていなかった)
住宅地から東高野道に入り、雰囲気のある旧道で、誉田八幡宮の標識が・・・
(続く)