秋晴れの朝、気温は11.2℃から21.2℃まで上がった奈良、明日迄は洗濯日和と
なるも、週末は台風25号の進路上にある前線を刺激して暖かな雨となると。

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「ヒマラヤスギ・喜馬拉邪杉 」
スギ科ではなくマツ科の常緑針葉樹の高木、原産地のヒマラヤ山脈西部から
アフガニスタンの標高1500m~3200mの地域では50mを越えるものも。
ヒンドゥー教では聖なる木とされ、花言葉は「あなたのために生きる」
日本には明治初期1879年にカルカッタ経由で英国人が種子を入れたようだ。
花期は10 - 11月で、雌花の松かさは樽形、長さは10cm前後、幅は7cm前後
一年で成熟すると崩れて翼状の種子を落とす。
雄花の松かさは5cm前後で上向きで、秋に花粉を放出する。

先日の開花天皇陵周辺の社寺めぐり、徳川家康が関与する3社寺から
元ワシントンホテル奈良の東の道を、北へ向かえば浄土宗「永亀山霊巌院」、
境内墓、本堂と元鐘撞堂?が見えてきました。

門前ですが柵がされて入れず。

境内を柵越しに除けば、本堂屋根の両脇の瓦は古そう、創建時なのかな?

亀山肇叡寺と号し、ご本尊は阿弥陀如来坐像、露座の「地蔵菩薩」 そして
阿弥陀三尊石仏(1430年)などが・・・
浄土宗年鑑によれば
1591年霊巌雄誉(後に知恩院32世門跡で中興の祖、大鐘堂建立)により開基。
下総国(千葉)の竜沢山大巌寺から南都へ移り庵を結ぶ。
*念仏三毒滅不滅論(念仏の功徳で、人の煩悩が滅してから極楽に往生する
か、あるいは往生してから滅するのかという論争)
で三毒不滅論者は追放され、近い立場の霊巌も身を引き、布教の旅へ。
その折弟子60人ほどが随身したため、寺院を建立し霊巌院とした。
3年後の1593年に徳川家康の命により、再び千葉の大巌寺へ戻る。
*館山市立博物館HP「霊巖上人の生涯」参照
*千葉へ戻る折、弟子の念譽廓無(ねんよかくむ)を第一座に。
*その後の記載はない
境内には『奈良坊目拙解』の著者村井古道(1681~1749)の墓や庚申堂がある。
1730年に村井古道50歳で記した奈良坊目拙解では
「靈巖院 浄土宗十三箇寺其一所也 在東西小路北側因謂此小路云靈巖院辻子」
「永亀山靈巖院肇叡寺者靈巖雄譽上人開基也文禄二癸巳年靈巖和尚依宗論去於
総下州生實龍澤山大巖寺」
「而後來住於南都當郷結菴雖被隠遯門弟所化等數口逐和尚碩德而來于奈良艸庵
欲為隨身」
「故上人不得止建立一寺稱靈巖院是當寺草創之権権輿」

そして右側には庚申堂でしょうか。

東側に駐車場が有り道から撮れば、背後の開化天皇陵の森も

浄土宗中興の祖の名前が出てくるなんて知りませんでした。
ここでも江戸幕府を開かれた「徳川家康」の関与があるとは・・・。