カメラを片手に

正倉院展の歴史を学び、御即位記念特別展が東京で

東の空は夏雲が顔を、そして頭上は真っ青な空、陽の光が眩しい。
今日も猛暑日になりそう、でも台風10号の行方、予想より西に向き
お盆に本州襲来が心配されますね。
11時  

火曜日から3日間、奈良大学と奈良市との共催講座「正倉院と天平文化」
を受講してきました。
三日目は「正倉院展の歴史と共に宝物が彩る華麗な世界」と題して、
奈良大学副学長、関根俊一教授の講演でした。
1.正倉院宝物の成立
1260年以上にわたり約9000点の宝物を守り伝えてきた正倉院正倉、
国宝8世紀

校倉造(あぜくらづくり)の大規模な高床式倉庫で一棟三倉からなり
全長33m、奥行き9.4m、高さ14m、床まで高さ2.7mで人が立てる
向って右から北倉、中倉、南倉
読売新聞

北倉には奈良時代の天平勝宝八歳(756)6月21日、聖武天皇の七七忌の
忌日に、光明皇后は天皇の御冥福を祈念され御遺愛品など六百数十点と
薬物六十種を東大寺の本尊盧舎那仏(大仏)に奉献され、その後5回続く
聖武天皇・光明皇后ゆかりの品々であり、目録の5巻からなる献物帳も
保存され、それぞれ『国家珍宝帳』、『種々薬帳』、『屛風花氈等帳』、
『大小王真跡帳』、『藤原公真跡屛風帳』と通称されている。

中倉は当初仮置きされる部屋が、後に東大寺の儀式関係品、文書記録、
造東大寺司の関係品などが収められていた。

南倉には大仏開眼会をはじめ東大寺の重要な法会に用いられた仏具類の
ほか、平安時代中頃の天暦4年(950)に東大寺羂索院の倉庫から正倉に
移された什器類なども加わっていた。

現在宝物は南側のコンクリート造りの西宝庫・東宝庫に分納保存され、
宝物の世界性として、唐の品にペルシャの名残があるように、一つの
宝物に多くの国の要素が込められている。と・・・

2.宝物観の変遷 
①平安~鎌倉時代
  宝物の出入=天皇の借用(皇族)は書法・屏風や楽器等の名宝的価値観
  1019年 藤原道長は摂政関白、貴族で初めての宝物拝観
  1360年 後光厳天皇の琵琶出蔵要請を東大寺が断る。
               ・・・東大寺の力が強くなっていた。

②室町時代
  皇族の権威が低下により、足利将軍家の宝物(唐物)に接近
               ・・・武家の宝物拝観・拝領へ
  名物的価値への変遷⇒蘭奢待や名物裂
  1385年 足利義満宝物拝観
  1429年 足利義教宝物拝見、碁石や「紅沈香」を二切(先例に倣う)
  1465年 足利義政宝物拝見、蘭奢待を載る
  1574年 織田信長 蘭奢待を載り、一つを正親町天皇に進める
              ・・・天皇を差し置いて、武家の力の強さ
  1610年 盗難事件 盗品が諸方で売買され骨董的価値が高まる
              ・・・一般庶民は関係がない

④江戸時代
  1603年 徳川家康宝庫を修理し、長持32個を献ず
  1693年 宝庫の開扉と修理 徳川綱吉両種の櫃を東大寺に寄進 
      宝物の調査と宝物図の作成(写しが初めて造られたが下手)
      鴨毛屏風の修理
  1872年 宝庫・宝物修理のため開封・  
      宝物図の作成(上手)、屏風修理

⑤明治時代以降
  1875年 宝物を奈良博覧会に出陳する。
      国民の正倉院宝物に対する興味を喚起し、
      厳格に保存すべき宝物として国家的価値観になった。 

3.宝物の公開
①奈良博覧会1875年~1880年、
  第一回は東大寺大仏殿で80日間で17万人
 *目的は殖産向上も兼ねるも湿度管理はなく、文化財保護の観点では☓
②正倉院の庫内に陳列棚を設けて公開 1889年~1940年虫干し期間中
  1922年英国皇太等の賓客には特別開封もあったと
③染織品の展観 奈良帝室博物館、1924年、1928年、1932年
  染織品整理事業の過程で、朽ちるばかりなので、切って市中に一部
  流れたが、最終的には修理をすることになり、現在に。
④皇紀2600年記念正倉院御物特別展 1940年11月 
  140点 20日間で42万人 東京帝室博物館
・・・戦中で疎開し、奈良帝室博物館などへ・・・

⑤正倉院展 1946年から正倉院御物特別拝観などで1949年まで
      1952年からは現在の「正倉院展」で2019年で71回目に
      *通常は60点ほど展示されるが、東京では多い
⑥皇太子殿下御結婚記念「正倉院宝物展」1959年11月141件
   東京国立博物館 *東京まで、国鉄で貨物として運んだと
⑦特別展「正倉院宝物」昭和天皇80歳(傘寿)記念 
     1981年10/31-11/25 東京国立博物館
予定
⑧御即位記念特別展「正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美ー」
   東京国立博物館 前期10月14日〜11/4、後期11/6~11月24日
  皇室が守り伝えてきた正倉院宝物と、法隆寺献納宝物の代表作を含め
  約110件、貴重な文化財を更なる未来に伝えるため、今なお行われる
  保存・修理・模造の取り組みなどを多角的に紹介される。

 *前売りは始まっているのに、詳細の発表遅れており、概略の発表文で
  紹介された。(説明文等は、正倉院HPより)
通期の目玉は
・中倉135『黄熟香(蘭奢待)』長156.0 重11.6kg、散孔材の香木で
   巨大な沈香。産地はベトナムからラオスにかけての山岳部とされる。
   雅名である「蘭奢待」には、「東」「大」「寺」の三文字が隠れている。
   名香として珍重され、足利義政や織田信長、明治天皇などが切り取らせた。
 

前期の目玉
・北倉158『国家珍宝帳』目録で全長1474cm
     本紙白麻紙18張 墨書 朱印 軸端は白檀 軸木は杉
  *楷書体で記された墨書の上から、一辺8.7cmの天皇御璽が
   全面に三段ずつ押されている
国家珍宝帳部分

・北倉29『螺鈿紫檀五絃琵琶』 全長108.1 最大幅30.9cm
   槽から海老尾・転手は紫檀 腹板はヤチダモまたはシオジ 
   捍撥は玳瑁地に螺鈿で文様 槽には螺鈿・玳瑁(伏彩色)で宝相華文
   国家珍宝帳記載の楽器。五絃琵琶はインド起源といわれ、頭部が折れ
   曲がらない直頸形式が特徴とされる。例として四弦を例示された。


南倉101 楓蘇芳染螺鈿槽琵琶 第1号

細部のち密さが・・・
 

後期の目玉
・北倉43『漆胡瓶』高41.3 胴径18.9cm 水指で国家珍宝帳の所載の品、
   鳥頭に象った蓋を持つペルシア風の水差し。木材を細長い薄板にした
   ものを巻いて作り、表面に黒漆を塗る。草花や鳥獣に切り抜いた
   銀の薄板で文様を表わす銀平脱で、把手は金属 銀製兵庫鎖をつく
   漆胡瓶(正倉院宝物)と金属の竜首水瓶(法隆寺献納宝物)も同時展示
漆胡瓶

竜首水瓶

・北倉42『八角鏡 平螺鈿背 第13号』国家珍宝帳所載の品。
   径27.4 縁厚0.7 重2150.3、青銅鋳造(銅約70%・錫約25%・鉛約5%)
   鏡背に螺鈿で花鳥文をあらわした鏡。花心には赤い琥珀を、
   また文様の間地は黒い樹脂様の物質に白や水色のトルコ石の細片を鏤める。
 

東京には素晴らしい品々が展示されるようで、行けるかな???

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