今朝は朝日が輝く頃にシーズン最低の9.8℃迄下がり、朝露が下りた奈良、
日中は昨日よりもさらに暖かく、25.1℃の夏日となり暑いと思えるほど。
フィリピン北部から西へ進む台風22号が発生し、今週の木金は北国では雪が
降り冷え込めば、その後一転してまた気温が上がるようで寒暖差が激しい。
まだまだ続く夏と秋の高気圧のせめぎあいのようだ。

さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「イヌタデ・犬蓼」
日当たりの良い道端などで春から秋まで咲き、日本全国および中国などに自生
し、雑草扱いされるタデ科の一年草です。
食用のヤナギタデに反して食用にならず、有用な植物に似ていても「否(いな)」
「違う」とか「役に立たない」という意味でイヌタデと名付けられたと。
古く万葉集(巻11-2759 作者不詳)でも詠まれている。
原)『吾屋戸之 穂蓼古幹 採生之 實成左右二 君乎志将待』
詠)我が宿の 穂蓼古幹(ほたでふるから) 摘み生し 実になるまでに 君をし待たむ
意)私の庭の穂の出た蓼の実を採り、育てて実がなるまでもあなたを待とう

茎は赤味を帯び、茎の先端から長さ1~5cmの花穂を出し、紅紫色をした2㎜
程度の小さな花を密に付け、色は薄紅色で花弁はなく4~5に裂けた萼をもつ
花は長さ2ミリほどの小さな円柱形で、枝先にできる長さ5㎝迄の花穂に密生
色は薄紅で花弁はなく、深く4~5つに裂けた萼だけがあり、雄蕊は8本で、
花柱は3本あるとされる。
その後に、紅い萼の中に黒みを帯びた果実できる。
そのことで赤飯に似ることや、その花や実をママごとの御飯に用いたことから
別名を「アカマンマ」や、秋の季語となる「アカノマンマ」と呼ばれた。
花言葉は花命に反する意味で「あなたのために役立ちたい」と。

話は先日の警報の出た土曜日、相国寺の特別拝観の鳴き龍に。
食事場所近くの京都地下鉄烏丸御池駅から乗車し、今出川駅で下り地上に。
雨が降りしきる中、西門から相国寺拝観受付場所まで8分間歩きました。

相国寺の正式名称は「萬年山相國承天禅寺」といい臨済宗相国寺派の大本山
1392年に夢窓国師(夢窓疎石)を勧請開山として、室町幕府三代将軍の足利義満
により創建され、京都五山二位となる。

幾度も焼失と復興を繰り返し、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺の
三寺は山外塔頭、そして山内塔頭の12寺から相国寺一山となっております。
相国寺の「法堂ほっとう」は現存中日本最古、1605年に豊臣秀頼に再建された。
5回目の再建で、重要文化財に指定されている。

本来畏(おそ)れることなく説法を聞くお堂「無畏堂・むいどう」で、仏殿を兼ねる

方丈表庭園と方丈勅使門からの法堂
ご本尊は運慶作・釈迦三尊像、釈迦如来坐像、脇持:阿難尊者像、迦葉尊者
天井には「鳴き龍」として有名な狩野光信「蟠龍図ばんりゅうず」
何処から見上げても目は合う龍、指定された場所で手を丸めてたたけば、
ワーンワンワンーと数秒に渡り反響するのですが、雨音で二秒足らず・・・

「方丈ほうじょう」1807年の再建で表裏合わせて六間168畳

文字絵の「法華観音図」
パンフより

襖絵の「老梅図」は伊藤若冲の弟子で相国寺第115世・維明周奎の筆

聴呼の間の襖絵「八仙人図」は原在中の筆
御所参内用の籠(六人で担ぐ)
お庭も、表と裏の対比が面白いと

苔庭に石の川が造られている。

靴を履き直し、15m程の先の「開山堂(開山塔)または円明塔とも」は、
開山・夢窓疎石像を祀る堂で、礼堂と祠堂からなる。

桃園天皇の皇后・恭礼門院の女院御所内にあった黒御殿を1807年に下賜されて
現在地に移築したもの。

開山堂の庭園は「龍渕水の庭」と呼ばれ、手前が枯山水庭園

奥が山水庭園です。

有名な「庫裏」、1807年再建の写真を撮るのを忘れていました。
大きな破風や壁面が印象的ですね。

午後2時前、雨が降り続く中、歩いて年4日間特別公開「冷泉家」に向かった。
天候の良い日に、もう一度承天閣美術館へ行かなければなりませんね。
それとも名古屋へ遠征ありかも
名古屋の「愛知県立美術館」で特別展「相国寺承天閣美術館開館40周年記念
相国寺展──金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」が11月27日まで開催中。
