午前6時前迄降っていた雨も上がり、9.5℃と暖かな朝、10時頃から日差しも。
10時、11.2℃、73%
良く降った雨のおかげで、ドウダンツツジも落葉が盛ん、あぁー、掃除が。
落葉が盛んといえば、11月30日山の辺の道・奈良道を歩き、ブログ「正暦寺」
も始まり、次に訪れた虚空山「弘仁寺」はイチョウの落葉に出会えた。
正暦寺から菩提仙川沿いの道を下ります。
100mと下れば、落葉と枯葉色に
200m程下りた一番手前のバス駐車場付近では、もう色が・・・寂しい。
直ぐに正暦寺手前に「泣き笑い地蔵」さんと
200体ほどの石仏がおられ、その脇から100m程続く、
5m程の高さのサツキが植えられており、6月には満開に。
暫し歩くと集落の入り口に「ハナキレ地蔵」がおられる。
真ん中の地蔵仏は163㎝大で鎌倉時代の作、1961年の第二室戸台風で
頬・肩・腰の部分とこの建物「地蔵堂」が折損したらしい。
まだまだ下れば「舎人稲荷」への登り口を示す石碑が
三叉路まで下りれば時計台がある。
この辺りは「清澄の里」で、下りてきた方を眺めれば、
東3㎞に城山(528m)に、大和に睨みを利かせた筒井氏の「山之城」で、
現在は「椿尾上城跡」になる。
この地点からも奈良盆地がよく見える要衝に築かれている。
左側が虚空蔵山になります。
虚空蔵山に取りつき、裏道から上がれば弘仁寺の奥の院不動尊「寿楽庵」で、
眼病に効果のあるとされる「閼伽井戸」があり、弘法大師が三鈷杵で掘られた
と伝わっている 場所です。
山道を上れば、紅葉がきれいな虚空山弘仁寺・山門前に到着。
東側から入山すれば入山料200円、別に拝観は400円と。
山門をくぐれば、左に庫裏があります。
右側に明星堂と本堂が建つ。
「弘仁寺」は高野山真言宗で、弘法大師創建と伝わるお寺ですが・・・
平安初期に創建された寺院で、創建には二説ある。
嵯峨天皇の夢に老人が現れ「奈良の南に霊山が・・・寺をたてて衆生を」と
嵯峨天皇がその地を 探され、現在の虚空蔵山にあたり、815年創建と。また
807年に虚空蔵山に流星が落ちるのを見た弘法大師が霊山として開基と。
1572年に松永久秀により焼失するも1629年に再建され、現在の伽藍となる。
4月13日の「十三まいり」弘法大師作と伝わる「虚空蔵菩薩」が祀られ、
近隣の人々からは「高樋の虚空蔵さん」と。
虚空蔵菩薩は、智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩様、
十三歳の厄を払い、知恵を授けていただけるとして十三参りがなされる。
その他に「大日如来」平安・鎌倉時代の大仏師・運慶の作と伝えられる。
十一面観音像(室町時代)、子安観音像(室町時代)、江戸期の不動明王
本堂の外陣に掲げられた寅・富士・仁王・牛などの絵馬が面白い。
知識や記憶としての「算額」が奉納され、当寺には2つの算額があり、
いずれも奈良市指定有形民俗文化財に指定されている。
明星堂があるが、「明星天子像 」平安時代・重文は奈良国立博物館へ
明星堂
その横から鐘楼へ登る石段が
突然の風で、イチョウの葉が舞い落ちている。
最後にもう一度・・・静かな山寺で清々しい雰囲気に呑まれました。
石段を下る。
池のたもとにに石碑、左「こくうぞう」、右「い?いせ」と
この道は伊勢神宮への参詣路、旧伊勢街道になるのですね
逆にJR帯解駅へ戻ることになるのですが・・・
天理市和爾町に入れば、ここから山の辺の道は南下しているのですが
ここで分かれ、暫し和爾町を北上して奈良市内窪之庄に戻れば、
窪之庄の「八坂神社」や柴野町の「八坂神社」にも「皇祖遙拝所」が目につく
伊勢神宮との関連性が伺われる。
窪之庄 柴野
古代からの山の辺の道、飛鳥時代の上津道、その後伊勢本街道の一部となり、
この辺りで伊勢別街道になっているのかもしれない。
169号線と帯解への戻る交差点から鳥居が見える。
「森常稲荷大明神」で、「ベンショ塚古墳」の後円部に建てられている。
古墳は100m程の周濠を持つ前方後円墳で5世紀中頃と推定されている。
JR帯解駅に着けばホーム端から西側に大きな池が見え「広大寺池」という。
奈良市内で一番広いため池、聖徳太子が613年に近隣を流れる菩提山川の水を
ひいて秦河勝に築造させた和珥池(わにいけ)と伝わる。
最近「コウノトリ」が飛来したらしい。
さらにこの池の南に広大寺・又は光台寺があったとされる。
駅近くに高野山真言宗「龍象寺」があり、光台寺の奥の院と言われ、
柳生十兵衛と伝える墓もあると。
奈良に住んでいて知らないことばかりですね。