どちらも一期工事の材料運搬線について書かれた資料の一部である。左が昭和10年、右が昭和14年。
具体的には以下に示す資料からの引用である。
鐵道省信濃川電氣事務所長 釘宮磐, 鐵道省信濃川水力發電工事, 工事画報 昭和十年七月号, 土木学会, pp.15
鐵道省信濃川電氣事務所(昭和十四年八月), 鐡道省信濃川發電工事概要及現況, 鐵道省, pp17
ここで私が注目したいのは、昭和14年の「鐡道省信濃川發電工事概要及現況」に示されている其他側線である。其他側線として軌間762mmの側線で4km200m、軌間1,067mmの側線が5kmと計上されている。
こんなにも長い側線がどこにあったのか、まったく見当もつかないのである。
なお、昭和14年の「鐡道省信濃川發電工事概要及現況」は私が持っている一期工事の資料としては最も最近のものだ。正直、私は一期工事当時の信濃川水力発電工事現場一帯の何処にそれだけの軌道を敷いたのかが見当もつかない。
特に1,067mmは本線と同じ軌間であり、主に変圧器や水車などの大型機器輸送に使用される線路だと認識している。そのため、その線路を5kmも必要とする現場があったのかが疑問となっているのだ。
以上、工事の進捗により材料運搬線も変化するという認識を整理するため、昭和10年~昭和14年の5年間でどういう工事が着工されていったのかを以下に示す。
昭和6年 4月 信濃川電気事務所 再設置 4月~ 堀越清六 初代所長
8月 一期工事 着工 (第三隧道着工)
12月 第一隧道 着工
昭和7年 3月 宮中取水堰堤 着工 第二隧道 着工
昭和8年 3月 宮中沈砂池 着工 4月~ 長屋脩 二代所長
昭和9年 6月 圧力隧道 放水路 着工 8月~ 釘宮磐 三代所長
昭和10年10月 千手發電所 着工
昭和10年11月 連絡水槽着工
昭和10年12月 鉄管路着工
昭和11年 6月 宮中取水堰堤 竣功
昭和11年7月~ 倉田玄二 四代所長
昭和11年 7月 調圧水槽着工
昭和14年7月~ 阿部謙夫 五代所長
昭和14年11月 一期工事竣功 千手発電所発送電開始
昭和15年 4月 二期工事着工
昭和10年~昭和14年までに新たに着工したものとして、千手発電所、連絡水槽、水圧鉄管、サージタンクが挙げられている。これ等の現場を全て結んだとしても、5kmにも満たない。工事の着工を整理した所で、やはり見当もつかないのである。
そのため、何か知見がある方のご意見を頂きたく、この記事をしたためた。軌間762mmの側線が4km200m、軌間1,067mmの側線が5kmの内訳はどうだったのか。