「前オーライ」
配線の多さに往時はどうだったのかなって思うけど、棒線駅なので列車的には単線の駅
保守用車などの収容に使うための線路だろうから、正確には配線と言えるような代物ではないのかもしれない
往時はどんな駅だったのだろう
ちょっとググると当時は駅長も助役もいて、官舎も敷地にあったとか 今じゃ考えられない時代です
今でも朝の123Dあたりは学生が多く利用する駅なので、そこそこの町ではありますが
数日後、天候は晴れ。背景の越後っぽい雪山も素敵
森も雪が解け、桜が咲いた
咲き始め。もうね、咲き始めからしてシブい御姿の一本桜。あれだけあった雪もわずかに残るばかり。
ようやく満開になったかな?と長野を3時半に出て、夜明け前の森で。
日の出が随分と早くなった。暗いうちから撮るつもりが、現着5時前後でもギリギリ青い空気感。
少しばかり雨が降っててくれたのが良かった。間もなく県境を越えて信濃川となる千曲川から上がる朝靄も気持ちがいい。
駅に回って、”飯山色”と、最近何かと気に掛けてる”おいこっと”と
猛烈な豪雪地帯である当地であるから、冬の残滓のごとく残った雪の塊が気になった
翌朝は、川霧が本気だった。予報は快晴。気温差の激しい春らしく、地上はこの通り。よくあることだ。きっと空は予報通りの快晴だ。
確かに善光寺平では快晴だった夜空も飯山あたりから視界が真っ白になり、当然のごとくその先はずっと霧で覆われ続けていた
時折、そんなガスの間から見える星空が恨めしいが、こうなっては夜明け後の快晴への期待も捨てるしかないのである
こういう時に遣う言葉は、「峠ですから。」
ここもある意味で県境であり、峠だ。
飯山線の奥と言えば戸狩より十日町寄りのイメージだけど、私の感覚も森宮野原より奥が飯山線の奥になりかけている。
森始発の戸狩行き、案の定のシルキーである
追い掛けて撮る場所にも随分と悩まされた
事前の撮影計画なんてものはパーである、元々クルクルパーとはいえ
それでも予報は外れてない、地上の靄が晴れれば一転の快晴の青空が広がり、日差しも眩しい
逆光で浮かび上がる、という程にカッコつけるもんでもないけど、新緑と一本桜が気持ちのいい森宮野原は、単行気動車と相まって、ローカル線風情を感じる。
そんな、”森”でございました
咲き始め。もうね、咲き始めからしてシブい御姿の一本桜。あれだけあった雪もわずかに残るばかり。
ようやく満開になったかな?と長野を3時半に出て、夜明け前の森で。
日の出が随分と早くなった。暗いうちから撮るつもりが、現着5時前後でもギリギリ青い空気感。
少しばかり雨が降っててくれたのが良かった。間もなく県境を越えて信濃川となる千曲川から上がる朝靄も気持ちがいい。
駅に回って、”飯山色”と、最近何かと気に掛けてる”おいこっと”と
猛烈な豪雪地帯である当地であるから、冬の残滓のごとく残った雪の塊が気になった
翌朝は、川霧が本気だった。予報は快晴。気温差の激しい春らしく、地上はこの通り。よくあることだ。きっと空は予報通りの快晴だ。
確かに善光寺平では快晴だった夜空も飯山あたりから視界が真っ白になり、当然のごとくその先はずっと霧で覆われ続けていた
時折、そんなガスの間から見える星空が恨めしいが、こうなっては夜明け後の快晴への期待も捨てるしかないのである
こういう時に遣う言葉は、「峠ですから。」
ここもある意味で県境であり、峠だ。
飯山線の奥と言えば戸狩より十日町寄りのイメージだけど、私の感覚も森宮野原より奥が飯山線の奥になりかけている。
森始発の戸狩行き、案の定のシルキーである
追い掛けて撮る場所にも随分と悩まされた
事前の撮影計画なんてものはパーである、元々クルクルパーとはいえ
それでも予報は外れてない、地上の靄が晴れれば一転の快晴の青空が広がり、日差しも眩しい
逆光で浮かび上がる、という程にカッコつけるもんでもないけど、新緑と一本桜が気持ちのいい森宮野原は、単行気動車と相まって、ローカル線風情を感じる。
そんな、”森”でございました
通勤中の顧問に「松電を撮ってるのは由々しき事態だ!」と言われながら思い出した
上高地も近くなってくると、山々も随分と迫ってくる
上高地線ってこんなところ走ってるのか、ってなくらいなんだけども、奥に行けば行くほどに山が近すぎてアルプスなんて見えやしない
私的には雪山も見えなくなっちまったことが由々しき事態なんだけど
ある意味で、これも峠なんだろうな、鉄道では越えられないけど