Skb-RS ~ロードスターはじめました~

北海道でロードスター(NB8C)と
デミオ・スポルト(DE5FS)を放し飼いする日記。

Skb-RSとは・・・

今年も・・・

2009-11-11 23:19:58 | Weblog


朝、起きたら、車や土の上に雪が積もっていた。
その寒さに、イラっとしてしまった。

犬山を玄関から出させてみようとしたら、彼は雪を見るのが初めてなので、怖がって雪に足を踏み入れないでいた。


道路はまったくアスファルトが出ていて、凍結しそうにもなかったけど、そろそろタイヤを交換しなくちゃいけなそうだ。

写真でもわかるように、山の上のほうは完璧に雪化粧。


寒いのは嫌いだ。





札幌の山奥の、定山渓温泉に行ってみたけど、雪は全然だった。






野球の日

2009-11-10 23:04:41 | Weblog
今日は、休み。

朝の9時から札幌のモエレ沼公園の球場で、会社の野球部の練習だった。


全国大会を間も無く控えているので、最近は毎週練習だ。

それにしたって寒かった。



朝早く起きたから眠い。




日本シリーズは巨人が勝った。

日ハムにも頑張ってほしかったけど、やっぱり巨人は強い。
巨人の、文句なしの戦力に、チーム力が加わったのだから、今年は無敵だった。

小笠原とラムレスという主砲が、しっかりチームバッティングに徹していたあたり、チームとしての強さがあった。とても好感が持てた。
チームバッティングを得意としないイ・スンヨプが外れていて、代打として控えているのが、むしろ相手にも脅威となった。



日ハムの強さも、すごいものがあった。
2007年の前回の優勝のときと同じで、やはり戦力としては見劣りするのに、チームとなると数字では測れない強さがあった。
「四番・高橋」は確かに良い選手だけど、彼が四番であることはチームとしては当初は苦肉の策だった。
昨年は、四番に小谷野を使っていたりしたくらいなのだ。
長距離砲不在のなかで、これだけ打線の強さをもって優勝したのは、すごかった。

結果論から言えば、そういう「戦力」の足りなさを、最終戦のような悪い流れの試合のときに、打破しきれなかったのだろう。

ああいう、似たような展開で負けそうだった第5戦の巨人は、亀井と阿部の2本のホームランで勝ってしまった。

ああいうのは日ハムにはない強さだった。

梨田監督の采配に疑問が残る場面も何度かあった。


2001年の近鉄や、今回の日ハムでもそうだけど、勢いで勝っていくチームだった。
それだけに、今回もゲーム終盤に出る、虎の子のような1塁ランナーを、併殺で死なせることが何度も見られた。

そのときに併殺打を打った高橋や森本は、ファンから非難されるけど、

彼らはチャンスに強いバッターだ。
ただ、いくらチャンスに強くても、7割~6割5分は凡退するのだ。
であれば、ヒット打つ3割にかけるより、終盤の大事なランナーなら進塁させるのが最優先であるはずだ。

きっと、シーズン中は、ああいうのを強行で打たせて、ヒットが出て勢いづいて勝ってしまうっていう試合もたくさんあったんだろう。


でも、日本シリーズでそれは無謀だった。リスクが高かったように思う。




なんて、素人のタワゴト。

今年のプロ野球が終わってしまって、寂しい。



さて、阪神は田中秀太が引退。
今年も、また少しずつ、憧れた選手が引退していきます。

田中秀太(登録名:秀太)は、守備のスペシャリストとして重宝された選手でした。
ブレークしたのは、野村監督が阪神に就任した年からで、この年、阪神は7月まで首位争いをしたんだけど、そのときのキーマンの1人が秀太だったと思う。
ちょうど、阪神では久慈が中日に移籍したことや、和田豊がスタメンを外れることが増えてきて、そこに台頭したのが秀太だった。

2000年には、不調の坪井に変わって1番打者のポジションを獲得しかけた。
ただし、打撃は今一歩。

以降は守備や代走の要員として起用された。
内野の守備がとても上手い選手だった。


まだ35歳だそうだ。。。

寂しいなぁ。


最近の子供

2009-11-06 23:25:03 | Weblog
今日は、子供をひきそうになりました。

社用車の軽自動車を運転していたら、まじで、自動車学校でテレビ画面見てヴァーチャルなシミュレーションのやつで練習するやつみたいに、子供が飛び出してきました。

住宅街の中道だったので、速度は30km/hくらいしか出てなかったんだけど、
交差点でも何でもないところで、いきなり家の影から自転車が飛び出してきました。

飛び出してきた瞬間にはすでに、自転車の下半分は、俺から見るとボンネットの下に隠れているくらい、それくらい接近した距離でした。

住宅街のアスファルト上でABSを効かせて、車は停まりました。
停まるまでの1秒か2秒か、めちゃくちゃ長い時間がかかったように感じて、その時間のぶんだけ自転車はボンネット下の影へと吸い込まれていきました。

車の鼻先が自転車に接触して衝撃が伝わるだろうか、と覚悟しましたが、そのわずか先に車が停まりました。

憎たらしいのは、そのような危機一髪な状況にも関わらず、右から飛び出してきた自転車は、よろけもせず、それまでの速度のまま左へ進んでいったことです。


5秒くらい経って、一緒にいた子が、「○○ちゃん危ないじゃん!」って叫んで、
左側の公園のベンチで一部始終を見ていたらしい主婦の2人が、あわわわって顔して固まってて、

俺は、焦る場面のはずが意外と冷静で、窓を開けて、子供を叱ってやろうかとさえ考えました。


だけど、水色の自転車に乗ったその小学校4年生くらいの女の子が、恐怖のあまりに表情をこわばらせている感じにも見えたので、かわいそうな気もして、その場を去ったのでした。



だけど、俺はあの子をひかずに済んだからいいけど、あの子は今後、大人になるまでに車にひかれないで済むかが非常に心配です。

いくら子供とは言え、あの場面で、飛び出してきて、その時点で車にさえ気付かず、急接近する車の前を通り過ぎるのは、ちょっとヤバイだろうと思う。

一緒に飛び出してきたほかの2人の女の子は、瞬間的に気付いてすぐに自転車を停めたのだから。



仮にぶつかったとしても、速度は出ていなかったから、自転車がその場に倒れて女の子がかすり傷をする程度で済んだかも知れない。
だけど、そんな事故でも俺は警察に捕まって、その子の両親に謝りにいって、殴られるかもしれない。
罰金も払って、点数も引かれるだろう。

だけど、ひかないで済んだから言うけど、むしろ逆で、俺はあの子の両親に、お宅の子供にただしい自転車の乗り方を教えないと悲しい思いをすることになるよ、って説教してやりたい。


飛び出してきた時点までは、子供だもん、夢中になって飛び出しちゃうことはあると思う。
けど、他の2人も、俺も、気付いた瞬間に互いにブレーキをかけた。そのままお互いが停まれば、さほど危なくないことだったのだ。
なのに、その子は、お構いなしで車の前を横切った。

その感覚は、ちょっとヤベーと思うのだ。

たとえば、あと時速1km/hでも出ていたら、制動距離がわずかに伸びただろうし、あるいは飛び出してきた時点でさらにもっと距離の余裕が無かったんだろうと思う。
そしたら絶対衝突してた。

まぁ、あるいはさらに20km /h出して走ってたら、子供が来るよりも先に通過し終えてたかも知れないw
たられば、は言っても無駄だ。

とりあえず、ぶつからなくて良かったです。






話は変わって・・・


子供と言えば


先日、「めざましテレビ」で子供たちに絵を描かせていた。
どういうテーマで描かせたのか詳しいことはわからないけど、皆一様に

「煙を出さない車」
「煙を吸って、木を育てる未来の工場」
「太陽の力だけで動く船」

とかそんな絵ばかり。
そしてアヤパンが「皆、子供たちが夢いっぱいの絵を描いてくれました」
とか言って。


朝から暗い気持ちになった。


どこに夢があるのか。


なぜ、子供たちの「夢のある絵」の全てが、環境問題に直結していなくちゃいけないのか。

そのどこに夢があるのか。


それらは、大人たちが「解決していかなくちゃいけない問題」であって、ただただ現実的なリアルな問題にすぎない。
その手段として、たしかに煙を入れとけば植物が育つなんて、そりゃ夢みたいな話だけど、その夢のような工場が実現したとしたって、ただひたすら日本のC02削減目標値に近づくだけだ。

その子の夢は、Co2の削減なのだろうか。


20年前の、わかりやすい「未来」のひとつは、空飛ぶ車だった。
20世紀の後半はずっとそうだったろうと思う。
手塚治虫の漫画にもよく出てくる。タイヤの無いクルマ。空飛ぶ車、というか小さい飛行機というか。


前出のめざましテレビの雰囲気からしたら、そんな絵を描こうものなら、
「そんな車、燃料ばかり食ってよくない」ってことにでもなりかねない。

もしそんな絵を描きたかったら、タイヤを省くことによるエコ訴求ポイントを2つくらい提示しなくちゃならないだろう。

どこの子供がそんなことするかって。


子供の描く「未来」まで洗脳しはじめたエコの時代。

20年後は、いまより良い時代になってるだろうか。





亀井と阿部すげーわ

2009-11-05 23:33:19 | 野球
巨人が嫌いだと、26年間言い続けてきたんだけど、

今年の巨人の強さはすごいし、若手選手や、俊足巧打の選手をうまく起用している点からして、今年の巨人に限ってはそんなに嫌いじゃない。

というわけで、日本シリーズでは、巨人が勝ってもいいんじゃない?くらいの気持ちで見ていた。
日ハムも近年は、頻繁に日本シリーズに進出しているし(それは巨人も同じだけど)。


いざ、今日の試合のように、巨人がサヨナラ勝ちをすると、身体の細胞のひとつひとつが拒絶反応を示しだした。

だめだ。
見てらんない。


武田久は良い選手だと思う。
けれど、やっぱり「守護神」「ストッパー」という意味で、「大魔神 佐々木」に敵う選手は、もう出てこないだろうな、って思う。
ああいう選手は、いまはどこの球団にも居ない。

あのときの佐々木の球なら、誰もがフォークボールが来ると分かっていても空振りした。ヒット性のあたりになることなんて、まず無かった。
万が一、ヒット性でも、内野ゴロで終わった。
1イニングに拘らないで、8回からも出てきた。

今の野球では、9回に「抑え」が出てくることで、むしろ1チャンスあるんじゃないか、って思えてしまう。
思われる時点で半分負けている。

あのときの横浜なら、もう8回以降に権藤監督がベンチから立ち上がった瞬間に、相手チームは終戦だった。


そういう意味で、俺は、90年代以降最強のチームは98年の横浜じゃないかって、思っている。

先発には、斉藤、三浦、川村、野村、がしっかり居た。
打ってはマシンガン打線。

あれは本当に強かった。



昨日、同期のH君が「今の日ハムはプロ野球史上もっとも強いチーム」などと大袈裟なことを言うので、こんなことを考えたのだ。

そんなの、俺らが知らない時代の巨人V9時代や、阪急3連覇や、西武黄金期のほうが凄かったであろう。


でも、それは知らない時代だけど、
自分たちの知っている90年代以降に限っていっても、98年の横浜。01年のヤクルト、03年の今岡全盛期の阪神、100打点カルテットを擁したダイエー。



01年のヤクルトもまた、素晴らしいチームだったと思う。
派手さこそ無いけど、野球チームとして最高に機能したチームの一つといえそうだ。

1番から真中
    宮本
    稲葉
    ペタジーニ
    古田
    ラミレス
    岩村
    土橋
投手は最多勝の藤井、石井一久。抑えは高津。(佐々木ほどではないけれど)



今の日ハムも確かに強い。
個人個人はそれほどでもない選手達だけど、集まると強い。
高校野球みたいなチームだ。
それはそれで、カッコイイ。

けれど、個人的には、01年のヤクルトの完璧さ。
98年の横浜の脅威のマシンガン打線と大魔神佐々木。

これらの強烈な印象を超えることは、無いと思うなぁ。

高橋信二はホントよく打つよなぁ

2009-11-04 23:46:30 | クルマ
ていうか最後ガッツwww


皆思うことですよねw
4点ビハインドのあの場面で、無理して次の塁狙う必要あったかなぁー

っていうのは結果論だけど、たしかにライト稲葉の処理も速かったからな・・・。




トヨタ(レクサス)のLFA、ついにモーターショーでその市販型が公開された。

トヨタはこの車を、2000年頃から開発を始めていたらしく、確かにトヨタのF1参戦で騒がれていた2001年頃から(F1には02年から参戦)、自動車雑誌にはいつも

トヨタ F1記念車

として、報道され続けた。

2005年頃から、およそ今のLFAに近いかたちのテスト車両やコンセプトカーが登場し、レクサスブランドとしてラインアップされることが決まったらしく、「LF-A」の名前で、少しづつ外観を変えて、モーターショーに登場した。


かつて、「トヨタ F1記念車」と呼ばれたこのモデルが、ついに販売が発表された2009年秋の このタイミングで、トヨタはF1の撤退を発表した。

このことに、自動車ファンは何を感じればいいのだろうか。


トヨタの技術で3000万円代のスーパーカーを作ったら、そりゃすばらしく速いスポーツカーが出来上がるだろう。
だけど、スポーツカーってそういうスペックだけでは語れない、ブランドイメージがすごく重要。そういう戦略の上で、F1に参戦したんじゃないんだろうか。

よくわからねーや。

巨人がカネだけ積んで四番打者を集めた時期に似ているな、とも思った。
結局、チグハグになって強くはならないってものだ。

トヨタのF1チーム内がどうだったかは知らないけど(きっと現場の人達は頑張っただろうけど)、会社の方針として、チグハグさを隠せなてないな、って感じた。




そんな、LFAだけど、生涯乗ることは無いと思うので、見て楽しめれば良いとおもう(しかも、写真で見ることがほとんどになるだろう)。









かなりのロングノーズ、ショートデッキ。
4.8リッター 10気筒、560馬力。
そんなスペックでいて、FR。

シルエットは古典的でいながら、ディテールは最新のレクサスの雰囲気。
テールランプの処理なんか、LSと通ずるイメージだ。
これがなんとも魅力的だと思う。

トヨタとして(レクサスとして)、特にアピールはしてないようだけど、多くの人がトヨタ2000GTとイメージをダブらせていると思う。。

白いボディが余計にそう感じさせるなぁ。

レクサスなら、FRベースの4WDで電子制御しまくるんだろうって、思ったんだけど。



リアからのアングルは、かなり良い。
LF-Aのコンセプトが初めて出てきた頃とイメージがかなり近い。
リアにラジエターをつけたという斬新さをアピールする、テールランプ下のアミアミもカッコよく馴染んでいる。

フロントはかなり苦戦しただろうな、って思う。
コンセプトでも、その都度ちがう顔をしていて、模索が繰り返されたんだろうねェ

まぁまぁな感じでまとめられた。
もっと低い位置にライトを配置すれば、精悍な印象になるだろうけど、
各国の法規をクリアするライトの地上高や照射範囲をクリアして、空力も考えると、ほとんどあの位置しかないだろうな、と思う。

全体的に、どことなくトヨタIQと似た印象だ。


生産は、全世界で500台限定だそう。
当然、ポルシェ911よりも、アウディR8よりも、ずっと高い。





11月3日

2009-11-04 01:13:21 | Weblog
「雨にも負けず 風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく 決して怒らず
いつも静かに笑っている ・・・」



・・・宮沢賢治の有名な「11月3日」の詞だ。
小学校5年の頃に、これをクラス全員、暗唱させられた。
なんでこの詞を覚えさせられたのかは分からない。
教科書に載っていたんだったろうか。

とにかく、覚えさせられて、それが未だにほとんどそのまま覚えている。

「一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ 
 あらゆることを 自分を勘定に入れず 
 よく見聞きし分かり そして忘れず」



続きもすらすらと出てくる。

不思議なものだ。


11月2日夜から3日未明にかけて、札幌の北24条では路面が凍結していた。
天気が良かったので路面は乾いていたが、水溜まりの水が硬く凍結していた。

北24条で飲んだ。

めずらしく、祝日が休みだったので、その前夜にいつもは休みが会わない人と飲もうってことで、高校の友達を誘った。
彼が住んでいるところから近いことと、かねてから北24条や琴似の歓楽街への進出を果たしたい我々の思惑が一致しての、今回の運びとなった。


「北24条」とは、 札幌の、北22条~北26条あたり(西2丁目付近)を中心とした歓楽街。
かつて市電の終点だったことから、商店街、歓楽街が形成された。


行ってみると、たしかに飲食店は並んでいるんだけど、じつに人の少ないこと。
かつての名残りで賑やかな感じを残してこそいるものの、実態としてはけっこう寂れているようだ。

市電が廃止されて地下鉄が走るようになってからもしばらくは、この「北24条」駅が終点だったらしいけど、ほどなくして「麻生」駅まで延伸。
もしかしたら、いまでは麻生のほうが栄えているかも知れない。

そういうわけで、祝日前という雰囲気のまるでない、ひっそりとした飲み屋街で、「笑笑」を出て、知らない店に飛び込んで、各々の家路へ就いた。

「笑笑」で、友達に勧められてホッピーとかいうわけのわからない酒を飲まされた。
「ビールの素」みたいな、苦さの濃縮された炭酸の液体と焼酎を割った酒。

ビールの美点である、のどごし感がなくて、苦味ばかりで味も好きじゃない。その上、焼酎が水で割るときよりも、活動的に脳を刺激してきた。

個人的には「悪い酒」だ。
いやな酒のまわり方がして、結局、二日酔いが夜の8時くらいまで続いた。
頭痛くて、二日酔いじゃなくて風邪ひいたかって思うほどだった。
8時までひたすら家で寝ていた。
(だから、いま全然眠くないorz)


そんな、寒空の北24条。ほろ苦いデビューとなった。


というか、北方面に住んでるやつがいて近いから、っていう今回のような例外的な理由がない限り、わざわざ繰り出す必要性は無いだろうな・・・


「そういうものに私はなりたい」と宮沢賢治が志した理想とは、当然だけどかけ離れた生活を送っている。
宮沢賢治という人は、37歳で亡くなったそうだ。
若くして亡くなったにも関わらず、100年後にも伝わる作品を多く残した。

そんな「文化の日」。