今、中国の北京で「冬季オリンピック」が開催されているが、1998年(平成10年)の今日、「長野冬季オリンピック」の開会式が行われた🔯
そして、2月7日のこの日を「オリンピックメモリアルデー」として、長野の自然と環境を考える日としたらしい🔯
長野オリンピックは、72の国、地域から選手、役員4638人が参加し、述べ144万2,700人の観客が会場に集まった🔯
日本からは、166人の選手が参加し、冬季オリンピック史上最多となる合計10個(金5・銀1・銅4)メダルを獲得した🔯
コロナ禍では考えられないような、盛り上がりがあったんだろうな🔯
旧暦、睦月7日の今日が、佳き日であります様に🔯
☆このブログに訪れて頂いた全ての皆様に、善き事全てが雪崩の如く起きます☆
☆御霊輝かれませ☆
☆What can I do for you ?☆
☆NAMASTE☆
平和の祭典と言われるオリンピックの陰でこんな悲惨なことが起きたのか、と手を合わせる気持ちと共に、なんでなの;?という思いが交錯していたのを思い出しました。
長野オリンピック、ジャンプの男性選手の活躍を今でも思い出しますよ。
24年前の「長野冬季オリンピック」の話題を記していただいて、
地元の人間としては、凄く嬉しく、有難うございます。
しかも、地元の人間ではなく、お隣埼玉県在住の加那やさんでしたので、
余計嬉しさも倍増しています。
昨日の自分のブログでも書きましたが、
24年経った今でも、金メダルを獲得したシーンは、
今でも鮮明に思い出します。
正直、加那やさんがblog記事で書いていただいた
出場選手のメダル獲得数など細かい数字などは
覚えておりませんが、こうして改めて拝見しますと、
日本人アスリートの活躍を想い出します。
上の「あおぞらさん」が、ブログコメントでも記していただいておりますが、
長野県白馬村で行なわれた男子団体ジャンプでの
日の丸飛行隊の四人の戦いは、
1回目は確か4位でしたが、2回目ジャンプで、
逆転して1位の金メダルを獲得したことは、
テレビから応援していて、最高な気持ちでした。
それのメダル表彰式は、こちら長野市のセントラルスクエアと云う専用広場で行なわれましたが、
大勢の人達が集まって、
もう滅茶苦茶な状況でした。
長野冬季オリンピックの最後の締めくくりのシーンを
最高な形で残してくれたと思います。
コメントをありがとうございます。
小谷村は、その地形の持つ特質でそう言った災害は免れる事が出来ない様です。
それ故に、「共存」と云う言葉が必要で、日本の各地で其のような取り組みがされています。
日本に、いや地球に生きて生かされているんですね。
コメントをありがとうございます。
そうですね。
あのオリンピックのあのジャンプの金メダルの瞬間は、日本人として興奮したものです。
ですから、地元開催での興奮や、感激は、計りきれないところがあるのだろうと思います。
今でも、あの「原田選手」の「舟木選手」への涙のコメントは、胸に焼き付いています。