もう十日近く前ですが、新元号『令和』が決まりました。
今回の改元に関してですが、ケチ付けたくはないけど、正直ヘンな決め方だなと思いましたね。例えるなら芥川賞の審査員クラスの人を集めてわざわざ書いていただいた小説を、文学のことをあまり知らない素人が選考してるみたいな。令和が悪いわけじゃないですが。
前回、昭和が終わった時を覚えてる身としては、当時の思い出話などしたくなります。長くなりそうですけど。
なるべく短めにまとめたいと思います(毎度同じこと言うとりますが)。
昭和の終わりと言えば思い出されるのはとにかく寒かったということ。
実際にその日は真冬である('89年)1月7日だったので、寒かったのはその通りなんです。ただ、秋から年末年始にかかる寒空の下で、連日(当時の)天皇陛下のご容態を伝えていたレポーターが記憶に残っているため寒さを思い出すのでしょう。
決定的だったのは、そぼ降る雨の中、同年2月24日行われた大喪の礼(天皇の葬儀)。厳密にはこの日はもう平成に入っていましたが、昭和の終焉と共に雨のテレビ中継は強烈に印象に残っています。
そして社会全体を覆う閉塞感、いわゆる自粛ムード。
ご闘病が年末年始をまたいだことも相まって、新しい元号は重大な関心事の一つではありました。しかしそれはすなわち天皇の亡失を前提としており、当時の社会的な雰囲気もあって、とても口に出せるものではありませんでした。
もちろん水面下では陛下がご入院なさった時点で色々動いてたらしいですが。
余談ですが、元号だけでなく諸々のことが、決めたいけど表立っては決められない、という状態になるので、それもあってあの今上陛下のお言葉に繋がったのでしょう。
平成おじさん…、小渕さんの例のあれは、私は多分リアルタイムでは視てないですね。その日は友達と出かけていて(冬休みだった)、家に帰ったら決まってたんじゃないかなぁ。
『平成』という字は書いてみるとバランスが取りにくいって、誰か(一般の人)がインタビューに応えてたのを覚えています。
ちなみに、まだ松の内なのにどこを歩いててもBGMも流れてないし、確かに街がいつもよりなんとなく静かだった気がします。
崩御、という耳慣れない熟語もこの日に知りました。
昭和の終わりはそんな冬でした。現在のお祝いムードとのあまりの違いは隔世の感がございます。
平成も残すところあとわずか、春の終わりと共に去っていきます。
平ら成る 桜見 風を 惜しむらん 明くる令月 和かに今 乾酪庵(チーズ)
それっぽい単語をつなげただけで、深い意味はないんですけどね。でもそれなりに詠めるでしょ。梅じゃなくてすみません。桜が見ごろの時期の発表を受けてです。
こういう改元の仕方はおそらく日本史上初でしょうし、元号の狭間みたいな期間もめったにないでしょう。
最後の一文字には『今しかありませんよ』というレア感を込めました。
いつか歴史の中で今を思い出す時、暖かな気持ちになれますように。