こんにちは
明日には緊急事態宣言が出るとの報道・・・
きんな、るうさんと「スペイン風邪」とはどんなものだったかお勉強をしました
決して、風潮をあおるとか、そういったログではなく、100年前のパンデミックがどんなものだったか、よくよく知らなかったなぁ・・・
と
1918年から1920年までの約2年間、新型ウイルスによるパンデミックが起こり、当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染
そのうち2000万人~4500万人が死亡したのがスペイン風邪でです
2年間です・・・
1918年春が始まり・・・
アメリカ・カンザス州にあるファンストン陸軍基地の兵営から兵士が感染します
当時は第一次世界大戦の真っ最中で、ドイツは潜水艦によって中立国だったアメリカの商船を撃沈します・・・
このドイツの粗暴な振る舞いがアメリカの参戦を促し、アメリカは欧州に大規模な派遣軍を送ることになる・・・
それによって、感染した兵士がヨーロッパに行き、一気に感染が広がります
当時のパンデミックは、航空機ではなく船舶による人の移動によって、軍隊が駐屯する都市や農村から、その地の民間人に広まっていったと言われています
じゃ、何故アメリカから発生したのになぜスペイン風邪というのか?
それは当時、スペインが欧州の中で数少ない中立国であったため、この新型ウイルスの感染と惨状を、戦時報道管制から自由なスペイン電として世界に発信されたからだそうです
しゃねがった
日本でスペイン風邪が確認されたのは、1918年
当時日本が統治中であった台湾に巡業した力士団のうち3人の力士が肺炎等によって死亡した事が契機
力士さんから広がったんですねぇ
同年5月になると、横須賀軍港に停泊中の軍艦に患者が発生し、横須賀市内、横浜市へと広がったそうです
以降は全国に拡散
日本に於けるスペイン風邪流行は「前流行」と「後流行」の二波に別れたそうです
「前流行」は1918年の感染拡大
「後流行」は1919年の感染拡大
どちらも同じH1N1型のウイルスが原因なのですが、「後流行」の方が致死率が高く、この二つの流行の間にウイルスに変異が生じた可能性があるとのこと・・・
ダスティンホフマンの「アウトブレイク」のウイルスと同じだ・・・
最終的に当時の日本内地の総人口約5600万人のうち、45万人が亡くなったそうです
すごい数字だ・・・
1945年、東京大空襲による犠牲者は10万人、日露戦争による戦死者約9万人を考えるとき、この数字が如何に巨大なものかが想像できます
単純にこの死亡率を現在の日本に当てはめると、120万人が亡くなる計算になるとの事
これは仙台市の人口をはるかに上回ります・・・
100年前でもマスクをしていますねぇ
日本を襲ったスペイン風邪の猛威は、各地にむごたらしい被害をもたらしました
村が全滅・・・
なんていう報道もあります
人口稠密だった京都・大阪・神戸の近畿三都の被害(死亡率)は東京のそれを超えていたといいます・・
当時の人類や日本政府は、スペイン風邪の原因を特定する技術を持たなかったそうです
当時の研究者や医師らは、このパンデミックの原因を「細菌」だと考えていたのですが、実際にはウイルスでした
人類は、まだウイルスに対し全くの無力だったのですね
当時の各自治体の動きはどうだったか・・・
被害が激甚だった神戸市では、市内の幼稚園、小学校、中学校等の全面休校を決めます
1919年には愛媛県が県として「予防心得」を出します
人ごみに出ない、マスクを着用する、うがいの励行、身体弱者はとりわけ注意することなど、おおむね内務省の「流行性感冒予防心得」を踏襲した内容です
学校の休校や人ごみの禁忌など、これまた現在の状態と重複する部分が多いです
そしてこれもまた現在と同じように、各地での集会、興行、力士の巡業、活劇などは続々中止か、または閉鎖されて行きます・・
コロナとまったく同じですね
では、どうやって収まったか?
日本各地で猛威を振るったスペイン風邪は、1920年が過ぎると自然に鎮静化します
それは、スペイン風邪を引き起こしたH1N1型ウイルスが、日本の隅々にまで拡大し、もはやそれ以上感染が拡大する限界を迎えたからだそうです
そしてスペイン風邪にかかり、生き残った人々が免疫抗体を獲得したからだそうです・・・
結局100年前、治療方法は見つからず事態は収まった・・・
神のなせる業なのか・・
そんな、きんなの晩の勉強会なのでした
外に出れない、自由に行動出来ない・・・
みんな同じです
見えないものに恐怖を覚える昨今・・・
共に乗り越えたいものですね!
皆様にはステキな午後をお過ごし下さいませ
※参考:ヤフーニュース