9/5は昼過ぎから治療院を休みにして、暗黒舞踏集団・大駱駝艦(だいらくだかん)のスタジオ公演『遊機体』を観に吉祥寺の壺中天に行ってきたのだが、せっかく出かけるのだからと、吉祥寺の前に日本橋三越の『陶 愛と死の融合 十二代三輪休雪展』にも行くことにした。この『三輪休雪展』は朝日新聞の紹介記事を見て妙に気になり、その記事を取っておいたものだ。それでも普段は身の回りのものが片付けられないので、そうやって取っておいた記事もどこかに埋もれて忘れてしまうのだが、今回は前日の9/4に偶然発掘したのである。
三輪休雪という名前はどこかで聞いたことがあるような気がするものの、元々陶芸というのは縁遠いこともあって、どんなものを作っているのか全く知らなかったので、多分これが私にとって始めて体験する三輪休雪だったと思う。
──そう、三輪休雪の作品は「見る」というより「体験する」という言葉がふさわしい。いや、もちろん三輪休雪の名は300年続く萩焼の名家に代々受け継がれてきたもので、茶碗や花入れなど実際に道具として使うものを作ることが本来の仕事であることを思えば、三輪の作品が「体験する」ためのものであることは決して不思議ではない。しかし、普通の茶碗や花入れなどを展示したものではない、この『三輪休雪展』は、「体験する」ことの意味が違うのだ。『三輪休雪展』で体験するものとは、1つは時間、そして1つは自分自身の内なるもの、である。
会場では何かの発掘現場に立ち会っているかのような錯覚を覚える。例えば「続・卑弥呼の書」と題されたシリーズ(写真はそのNo.5)。あちこちに深い亀裂が入り、崩れだしそうな、金色に輝く巨大な本の形をしたオブジェ。開かれたページには読むことのできないテキストが彫られ、中央には女陰。金色は卑弥呼の栄華を、亀裂はその栄華の終わりと死を、テキストは卑弥呼の尽きせぬ愛の思いを、女陰は新たなものの誕生を、それぞれ象徴しているという。読むことのできない文字で綴られた愛の言葉──「続・卑弥呼の書」は長い長い時間の中に封印された「愛の言霊」に他ならない。
そしてまた、会場では自分の内にあるドロドロとしたものとも向き合うことになる。例えば「人間」と題されたシリーズ。性の抑圧、破壊衝動、死への誘惑といった内に潜むさまざまな思いをオブジェへと昇華させたもの。そのオブジェと相対することは、それを見る者が隠していた自己と対峙することでもある。そのオブジェを通じて、自らが目をそらしてきたものと向き合うのだが、本来はおぞましく恐ろしいはずのそれが、三輪のオブジェがあると不思議に心躍るものになっていく。本来、「癒し」とはそうしたものなのかもしれない。そして見る者を「癒し」へと導くのもまた、刻印されたLoveの文字に象徴的に表される三輪の「愛の言霊」なのではないだろうか。
この『陶 愛と死の融合 十二代三輪休雪展』は、パリの三越エトワールで開催されたものをやや規模を縮小して日本橋三越で行ったもので、この後、福岡三越でも開催される。まだ三輪休雪を体験していない人は行くべし、行くべし。
三輪休雪という名前はどこかで聞いたことがあるような気がするものの、元々陶芸というのは縁遠いこともあって、どんなものを作っているのか全く知らなかったので、多分これが私にとって始めて体験する三輪休雪だったと思う。
──そう、三輪休雪の作品は「見る」というより「体験する」という言葉がふさわしい。いや、もちろん三輪休雪の名は300年続く萩焼の名家に代々受け継がれてきたもので、茶碗や花入れなど実際に道具として使うものを作ることが本来の仕事であることを思えば、三輪の作品が「体験する」ためのものであることは決して不思議ではない。しかし、普通の茶碗や花入れなどを展示したものではない、この『三輪休雪展』は、「体験する」ことの意味が違うのだ。『三輪休雪展』で体験するものとは、1つは時間、そして1つは自分自身の内なるもの、である。
会場では何かの発掘現場に立ち会っているかのような錯覚を覚える。例えば「続・卑弥呼の書」と題されたシリーズ(写真はそのNo.5)。あちこちに深い亀裂が入り、崩れだしそうな、金色に輝く巨大な本の形をしたオブジェ。開かれたページには読むことのできないテキストが彫られ、中央には女陰。金色は卑弥呼の栄華を、亀裂はその栄華の終わりと死を、テキストは卑弥呼の尽きせぬ愛の思いを、女陰は新たなものの誕生を、それぞれ象徴しているという。読むことのできない文字で綴られた愛の言葉──「続・卑弥呼の書」は長い長い時間の中に封印された「愛の言霊」に他ならない。
そしてまた、会場では自分の内にあるドロドロとしたものとも向き合うことになる。例えば「人間」と題されたシリーズ。性の抑圧、破壊衝動、死への誘惑といった内に潜むさまざまな思いをオブジェへと昇華させたもの。そのオブジェと相対することは、それを見る者が隠していた自己と対峙することでもある。そのオブジェを通じて、自らが目をそらしてきたものと向き合うのだが、本来はおぞましく恐ろしいはずのそれが、三輪のオブジェがあると不思議に心躍るものになっていく。本来、「癒し」とはそうしたものなのかもしれない。そして見る者を「癒し」へと導くのもまた、刻印されたLoveの文字に象徴的に表される三輪の「愛の言霊」なのではないだろうか。
この『陶 愛と死の融合 十二代三輪休雪展』は、パリの三越エトワールで開催されたものをやや規模を縮小して日本橋三越で行ったもので、この後、福岡三越でも開催される。まだ三輪休雪を体験していない人は行くべし、行くべし。
気に入る、気に入らないは別として、一見の価値ありと思います。可能ならゼヒ行ってくだされ。入場料は日本橋より安い600円です(日本橋は900円でした)。
わざわざ、福岡情報まで有難う御座います!
sokyudo先生のお奨めですから、行かねば!!! 笑