演劇ユニットmetroの旗揚げ10周年をうたった舞台『陰獣 INTO THE DARKNESS』を見に行った(metroを見たのはこれが初めてだ)。『陰獣』は旗揚げ公演の再演であり、この作品について天願(てんがん)大介(この演劇ユニットの事実上の座付き作家)はチラシにこう書いている。
旗揚げ作品の『陰獣』は、江戸川乱歩の『陰獣』と『化人幻戯(けにんげんぎ)』のヒロインを裏表に縫い合わせたもので、詳しい人はおわかりだろうが、これはちょっと考えられない組み合わせだ。しかし、このアクロバットは成功した。女優二人が危険な領域に踏み込んで火花を散らし、濃厚な舞台になった。そこからmetroが始まる。
舞台公演の場合、チケットは早いものだと半年以上前に発売されるのだが、あまり早くにチケットを買ってしまうと、気持ちの盛り上がりはそこがピークになってしまうので、いざ公演当日になってみると「あれ? 俺、何でこのチケット買ったんだっけ?」みたいになっていたりして、だから最近は、できるだけチケットを買うのは公演真際にしている。
ただ、この『陰獣』は珍しくチラシを見てすぐ、公演の2ヵ月以上前に前売りを買った。それはチラシにあった天願大介のこんな言葉に触発されたから、でもある。
(舞台公演が)終わる度に傷だらけになり、生き残ったと感じる。これは悪くない。ギリギリの勝負がしたくて映画や演劇を作っているのだから。
で、この舞台の元になった乱歩の『陰獣』と『化人幻戯』は変態的性癖の持ち主とサイコパスの登場する、どちらもインモラルな作品であり、演技とはいえそうした人間になることは演者にとってリスクを伴うものだが、終演後に天願大介や主演の月船さららなどによるトークセッションがあり、月船さららは自身のスタンスについて、こんな趣旨のことを語っていた。
役に飲み込まれるのでも役になりきるのでも型としてやるのでもなく、正気と狂気のギリギリのところを狙っている。
舞台『陰獣』に、というより天願大介や月船さららのこういう姿勢にインスパイアされて、自分ももっと治療でギリギリのところを狙ってかないとな、と思った。この「治療でギリギリのところを狙う」とは、もちろん危険な場所に鍼を打つとかそういう意味ではなく、もっと自分の思考と感性と認識の及ぶキワキワのところまで踏み込んで治療する、ということだ。そうでなければ面白くない。そもそも医学の勉強なんか止めてしまって数学やってるのも、そのためだしね。
そういうことでは最近、有限生成R加群の直和分解に関する定理に、ある気づきを得た。これについては、気が向いたらいつか記事として書くこともあるかもしれないが、一応ネット上にある参考資料として「代数学Ⅱ:環と加群」を挙げておく(多分、広島大学の講義用テキストだ)。その中の定理1.5.3、系1.5.4、定理1.5.5、系1.5.6がモロそれに当たる。
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