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漂泊の思い止まず──ある『ドグラ・マグラ』論

2019-02-12 11:47:20 | 趣味人的レビュー

創元推理文庫「日本探偵小説全集」の『夢野久作集』をテキストに、日本3大奇書の1つとも呼ばれる『ドグラ・マグラ』を約40年ぶりに再読した。

私が初めてこれを読んだのは高校生の時。「読むと気が狂う小説、というのは一体どんな凄い話だろう」とワクワクしながら読み始めたものの、読み手を惑わすための仕掛けについては何となく理解できたが、気が狂うどころかとにかく退屈で、最後まで読むのが大変だったことをよく覚えている。その後、何度か再読を試みたものの、『ドグラ・マグラ』の中に『ドグラ・マグラ』が出てくる下り(私はこの部分が大好きで、何度読んでも飽きない)まで読むといつも「もういいや」と思ってしまい、結局そこで止めてしまうため、通読したのは最初の1回のみだった。

その間にも、松本俊夫による映画(これには「あの『ドグラ・マグラ』って、こんなに分かりやすい話だったのか!Σ(゚口゚;」とショックを受けた)、マンガなどで『ドグラ・マグラ』に接してきたが、去年(2018年)末に月蝕歌劇団による舞台『ドグラ・マグラ』を見て自分の中の『ドグラ・マグラ』熱が高まり、今回満を持して再読に挑んだ次第。

『ドグラ・マグラ』については過去に多くの解説や評論が書かれているが、この創元推理文庫の解説と付録の中には、『ドグラ・マグラ』に込めた夢野久作の真意を読み解くための重要なヒントがちりばめられている。例えば、付録2として夢野久作の息子、杉山龍丸の「夢野久作の作品について」と題されたこんな文章が掲載されている。

久作の作品は全て、実際に彼が体験したものがタネになっている。
一般の読者や出版社の人々で、このことを見抜いた人はほとんどなかったのではあるまいかと、私は思っている。
(中略)
『ドグラ・マグラ』は昭和十年、私が中学四年の折に出版された。久作が私に、読んでみろと云って渡してくれた、初めての本であった。
(中略)
私はたしか、丸二日間、この本に没頭した。三回くらいは読みかえしたろう。
「お父さま、判ったよ。この本、初めのブーンから終わりのブーンまで、自分という人間が何であるかということを書いたもんじゃろう。二重、三重、いろいろなものにとらわれている人間というもの、人間の意識、そのとらわれているものを除いての人間とは何か、が書いてあるとじゃろう」
こう云うと、夢野久作は
「なんや、おまえも判ったか」
と、がっかりしている。

実はこの文章はこの『夢野久作集』が出た時から読んで知っていたが、初読の時の印象とあまりにも違っていたため、全然ピンとこなかった。だが、あれから40年を経た今回の2度目の通読の中で本当にその通りだと痛感した。

『ドグラ・マグラ』は、ブウウウ──ンという時計の音で一人の青年が目覚める場面から始まる。目覚めた場所は九州帝国大学医学部精神科病棟の一室。だが彼は自分自身のことが一切思い出せない。その青年が法医学教授、若林鏡太郎と精神科教授、正木敬之(けいし)という二人の医学界の怪物に翻弄され(ちなみに正木は物語が始まった時点で既に死んでいるはずだが…?)、ますます自分自身を見失っていく──かいつまんでいえば、そういう話だ(ちょっとかいつまみすぎではあるが)。そこに何人もの人間の怪死事件やら、一巻の絵を巡って千年以上続く血の因縁やら、という幻魔怪奇探偵小説としての道具立てが絡んできて、物語をより複雑で不可解なものにしている。

ちなみに、私も「読むと気が狂う」とか「幻魔怪奇探偵小説」などと書いてきたように、『ドグラ・マグラ』という作品はそんな真偽定かならぬ評価やいわくありげな二つ名といったものに彩られている。けれども、そういったイメージを世の中に広めているのは他ならぬ『ドグラ・マグラ』自体であることは知っておく必要がある。上で私は「『ドグラ・マグラ』の中に『ドグラ・マグラ』が出てくる下り」があると述べたが、『ドグラ・マグラ』についてのレビューや評論で語られる何とも恐ろしげな文言は、全て本文のそこに書かれていることをただ引き写したものに過ぎない(それはちょうど、何かの製品について説明しているつもりが、その実、広告に書かれた文言をただ言っていただけだった、というのと同じだ。だが、レビューアや論者でそのことに気づいていない人も少なくないだろう)。つまり『ドグラ・マグラ』という作品のイメージが『ドグラ・マグラ』によって情報操作されているわけで、これもまたこの作品の仕掛けの1つなのだ。

初読から40年を経ての通読で、そういった趣向や仕掛けを取り払ったその下から現れたのは、今風にいえば「中二病の男が書いた究極の自分探し小説」だった。

夢野久作こと杉山直樹(幼名)は、大陸にまでその名を轟かせた右翼の巨頭、頭山満の盟友にして頭山と共にアジア主義、民族主義を掲げた政治結社、玄洋社を設立した杉山茂丸の長男である。だが直樹はそうした国士的な気風を嫌って父、茂丸の不興を買い、また母は直樹の生年に離縁されてしまったこともあり、何度も名を変え仕事を変えるなど、生涯、自分のアイデンティティに自信が持てなかったようである。二葉亭四迷が父親からの「くたばってしまえ」という罵声をペンネームにしたというのは有名な話だが、夢野久作も父から言われた「夢野久作の書いたごたる」という言葉をペンネームにしている。だが、二葉亭四迷には強い反骨心が感じられるが、夢野久作にはむしろ自虐的な匂いがする(「夢野久作」とは「夢のようなことばかり考えているロクデナシ」といった意味だ)。

こうしたことを頭の片隅に入れて『ドグラ・マグラ』を読むと、これが単なる「キチガイが書いた」「読むと気が狂う」「幻魔怪奇探偵小説」ではないことが分かってくる。主人公の青年を翻弄し迷わせる若林と正木という二人の人物は、夢野の中の「杉山家の長男であれ」という声と「好きなことをしたい」という声を表しているとも言えるし、実際にそういうふうに夢野に働きかけ/干渉してくる人がいたのかもしれない。

だが今回、私が特に印象深かったのが、「キチガイ地獄外道祭文(さいもん)」の下りだ。この阿呆陀羅経は、精神病者がいかにひどい状態に置かれているかを告発するため、正木が僧形になって木魚を叩きながら、これを唱えて日本各地をまわった、というもので、一般的な『ドグラ・マグラ』評では、夢野久作の社会批判の表れという形で論じられることが多い。確かに社会批判云々も嘘ではないのだろうが、それ以上に、ある時期、彼は名も家も財産も何もかも捨てて乞食坊主になって、こういうふうに阿呆陀羅経を唱えながら全国を行脚してまわりたい、という抑えがたい衝動を持っていたのではないだろうか(まさに松尾芭蕉のいう「漂泊の思い止まず」である。実際、彼は一時出家して雲水をしていたことがある)。「キチガイ地獄外道祭文」を読んでいたら突然そんな思いが胸をよぎり、そうしたら「スチャラカ、チャカポコ…」という阿呆陀羅経に急に泣けてきてしまった。

初読から40年を経て通読した『ドグラ・マグラ』は初読の時とは全く違って読めた。もしまた40年後に読んだとしたら、今度はどういう風に読めるのだろうか(といってもその頃には私は90代後半だ)。

※これは「本が好き」に投稿したレビューに加筆修正したもの。


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