医療の世界に対しては「美しき誤解」があると思う。「医は仁術」──医療行為は人助けである、という誤解が。もちろん、医療に人助け的な要素があるのは間違いないが、もう一つ重要な側面も理解する必要がある。現代の医療は、それ自体が巨大な産業──「医療産業」──なのである。そして、成長し続けていかなくては衰退してしまう宿命にある資本主義社会では、産業はマーケットを常に拡大し、より多くの消費者を取り込んでいかなければならない。
『怖くて飲めない ~薬を売るために病気はつくられる~』(レイ・モイニハン&アラン・カッセルズ著、ヴィレッジブックス刊)は、そんな医療産業が、その拡大のために何を行っているかを描き出す。
いまや、世界的な巨大製薬会社の販売促進戦略では、健康な人々がターゲットに据えられている。(中略)5000億ドル市場の製薬産業は、死、老化、病気といった人々の心に深く根付いている恐怖を上手に利用した宣伝キャンペーンによって、人間であればだれでも経験する状態や症状の意味を変えようとしている。なぜなら、健康な人たちにあなたは病気ですよと吹き込めば、たくさんの金をもうけることができるからだ。
(中略)ただの内気は社会不安障害の徴候とみなされ、月経前の精神的緊張は月経前不機嫌性障害という精神疾患にされてしまう。ちょっとセックスに問題があれば性機能障害だといわれ、女性の体の自然な年齢的変化が、更年期障害と呼ばれるホルモン欠乏症になり、注意散漫な社員は成人型注意欠陥多動性障害(ADHD)と決めつけられる。(後略)
(『怖くて飲めない』プロローグより)
この『怖くて飲めない』は、原題をSelling Sickness(病気の販売)という。アメリカで、製薬業界を中心とした医療界──この文章で言うところの医療産業──が、その消費拡大に向けて何を行っているのか、どんな情報操作がなされているのかを、いくつかの病気のケースを例に書いている。以下に、章のタイトルだけを列挙してみよう。これだけで、この本の内容がほぼわかってしまう。
プロローグ 「病気」という商品の売り込み方
第一章 死の恐怖をあおって売り込む──高コレステロール
第二章 患者数を多く見積もって売り込む──うつ病
第三章 有名人を宣伝に使って売り込む──更年期障害
第四章 患者団体と連携して売り込む──注意欠陥多動性障害(ADHD)
第五章 「病気のリスク」を「病気」にすりかえて売り込む──高血圧
第六章 自然現象に病名をつけて売り込む──月経前不機嫌性障害(PMDD)
第七章 病名を意図的に変えて売り込む──社会不安障害
第八章 検診を習慣づけて売り込む──骨粗しょう症
第九章 政府機関を手なづけて売り込む──過敏性腸症候群
第十章 個人差を「異常」と決めつけて売り込む──女性性機能障害
まさにこの本は、マーケティングのすばらしい教科書だ。下手なビジネス書なんか読むより、ずっと役に立つ。何しろ、これらは全てアメリカを中心に実際に行われ、効果を上げてきたテクニックなのだから。このうちのいくつかで、具体的にどんな方法が使われているかを見ていくと…
例えば鬱病では、(オーストラリアの例だが)抗鬱剤を製造しているメーカーが行っている医師への教育プログラムの目玉に、開業医が自分の患者が精神病かどうかを判定するためのスクリーニング・テストがあるのだが、このテストを行うと、およそ49%の人が精神病と判定されてしまうのだという。
またADHDでは、それが本当に病気なのかどうかすら、まだ定まった見解はないにもかかわらず、製薬会社が患者団体のスポンサーとなり、その患者団体が、こういう病気が存在することを社会に訴えるという、「ただ薬を売るのではなく、ADHDそのものを病気として売り込む」戦略が取られているらしい。
高血圧に至っては、高血圧の基準値が引き下げられる傾向にあり、2003年に発表された最新のガイドラインを適用すると、高血圧症という病気と見なされる人の数は(アメリカで)およそ5000万人増え、高血圧治療薬の潜在的市場が更に広がった、と言われている。そして、その「最新のガイドラインの作成者11人中9人までが、さまざまな製薬会社から講演料や研究助成金を受け取ったり、そうした会社の株を所有していた。(中略)さらに、(ウェイクフォレスト大学教授の)ファーバーグによると、高血圧についての討論全体が、彼のいういわゆる「高血圧マフィア」の影響で歪められているという」。
高血圧がそうなのだとしたら、他のさまざまな検査項目につけられた基準値、正常値は、本当に「純粋に医学的見地から算出されたもの」なのだろうか、という疑問が当然出てくる。『怖くて飲めない』には、コレステロールのガイドラインも製薬会社の力で操作されている、という記述がある。今、日本では、医療費抑制の施策の一つとして健康診断の実施に力を入れているが、それは国民の健康を守るどころか、新たな「病人」を大量に作り出し、益々医療産業を潤わせる方向に進む可能性もないではない。
では、自分がそうした医療産業の“食い物”にされないためにはどうすればいいのか。これは非常に難しい問題だ。そのいきさつはどうであれ、一度、病気の判定基準が出されると、それは「医学的事実」としてオーソライズされていく(それは、どんないい加減な法律であっても、一度制定されてしまえば「悪法でも法は法」として従わなければならないのと似ている)。それに対処する決定的な策は残念ながらないが、『怖くて飲めない』のエピローグのタイトルが、ささやかなヒントをくれるかもしれない。上で書かなかった、そのエピローグとは…
エピローグ 我々にできるのは「疑問を持つこと」
我々は「病気にならない」ように注意するだけでなく、「病気にされない」ように注意しなければならない時代に生きているのだということは、いくら強調してもしすぎることはないだろう。そのためにも常に疑問を持ち、そして賢くならなければならないと私は思うのだ。あの
東大合格請負漫画
『ドラゴン桜』(三田紀房著、講談社刊)の中で桜木も言っている、「バカはだまされて、損して負ける」と
。
ただの詐欺に遭うだけならカネを失う程度ですむが、医療では命を失うこともある。例えば、抗鬱剤のパキシルなどは「おそらく薬を処方された人の少なくとも25%は、やっかいな禁断症状のために使用中止できずにいる。しかし、すべての副作用のうちでもっとも重大なのは、抗うつ剤によって小児や若者が自殺を考えたり、実際に自殺を図ることが多くなるという可能性だろう」。医療産業から自分の身を守るためには、我々はバカであってはならないのである。
よかったら、読んでみてください。結構刺激的な本です。
この本、私も読んだんですよ。
病気になっても、製薬会社にくいものにされ、頼るべきお医者様に頼れない現実は、悲しいものがありますね。
URLに、解熱剤で、息子が臨死体験した話の記事を入れました。
また、お邪魔します。
息子さんの臨死体験の話、読ませていただきました。怖いですね。
ウチの治療室でも、病院に行きながら通ってこられる方も少なくなく、いろいろな薬を処方されています。中には、「すばらしいチョイスだ」と思うものもありますが、残念ながら薬を飲むことで余計に体を悪くしている、と思うケースは多いです。
ただ、医師法の縛りがあって、「この薬は飲むのをやめてください」的なことは言えません。
あーホントに薬ってヤツは…