あるところにクジラに乗って世界中を旅する少年がいました。
ある時、少年は食料が底を突いたことに気づきました。そこで少年はクジラに、お前を食べていいかと聞きました。クジラはイヤがるでも怒るでもなく、ただ短くいいよと答えました。
少年はクジラを1/3ほど食べた頃、クジラに大丈夫かと尋ねました。しかしクジラは返事をしませんでした。クジラはもう死んでいたからです。
そして少年は、自分が一人ぼっちになってしまったと同時に、自分の旅が実はどこにも行き着く当てのない旅だったことに気づいたのです。そして少年は持っていたナイフで自分の首を刺して死んだのでした。
新転位・21の新作『アキバ、飛べ。-秋葉原無差別殺傷事件-』は6/9~15に中野光座で上演された。初日が6/9だったことは、1年前まさにその事件の起きたのが6/8だったことと、もしかしたら関係があったのかもしれない。
私が観に行ったのは楽日(最終日)。ホールで開場を待っていた時、ドアがほんの少し開くと場内から俳優たちと覚しき声が聞こえた。それも、開演前にみんなでウォーミング・アップしてます、みたいなものではなく、舞台のどこかのシーンを本番とそっくり同じにやっているとしか思えない声。おいおい、楽日の、しかも開演40分前だぜ
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ホールには「当日券あります」の貼り紙。しかし、楽日ということもあってか場内は満席だった。ずっと昔に廃業した映画館跡を劇場として使っているため空調がなく、夏の公演では観客1人ひとりに保冷剤とおしぼりが渡され、左右の座席を分ける通路には氷の塊を入れた容器が並ぶ。そんな中で舞台は始まった。
前回の『シャケと軍手』は主要キャストを石川真希・佐野史郎夫妻、飴屋法水、十貫寺梅軒といったベテランの客演で固め、それだけに高い完成度を持っていたが、それは裏を返せば、そうしたベテランの客演なしでは舞台を維持できないことを意味していた(そうした内情は、劇団を主宰する山崎哲が自身のブログに書いている)。しかし、今回は客演なし。ストーリーもさることながら、一体どんな舞台になるのか、実はとても心配だった。
だが今回の舞台は、そうした懸念を振り払うような高い緊張感を最後まで保ち続けた、非常にいいものだった。これだけの人数が登場しながら、ダイアローグの極めて少ない、ほとんどモノローグだけで構成された芝居が、演じる俳優たち自身と共鳴していたのかもしれない。それは、これまで山崎哲1人によって書かれていた転位の脚本が、今回の『アキバ、飛べ。』では劇団員の岩崎智紀との合作となっていることとも無関係ではないだろう。劇中で語られる「クジラに乗った少年」の話が、この事件の本質を鮮やかに描き出し、主人公だけでない登場人物1人ひとりの孤独と絶望が、絡まり合い、螺旋を描くように深まっていく様が、息苦しいまでのリアリティを持って伝わってきた。
クライマックスの秋葉原でのあの出来事は、完全暗転と車のエンジン音だけで表現される。それは演出上の1つのテクニックだが、これを書いていて、あの時、加藤智大容疑者が自分の内に感じていたのは、まさにこれと同じものだったのではないかと、ふと思う。
そして劇中のカトウは、本当はどこに飛ぼうとしていたのだろう。彼もまた、自分がどこへも行き着く当てがないことに気づいていたのだろうか。気づいていても、飛ぼうとせずにはいられなかったのだろうか。
それにしてもレビューの文章うまいですねぇ。
演劇好きになりそうです
>気づいていても、飛ぼうとせずにはいられなかったのだろうか。
きっとそうだと思います。
矛盾した思考が矛盾したまま矛盾無く感じられてしまって、そうせずに炒られない衝動に駆られるんじゃないでしょうか。
>読み進めたら、城みちるじゃなかった
今回はタイトルにトラップを仕掛けてみました(笑)。
>演劇好きになりそうです
横浜には相鉄本多劇場もありますし、劇団唐ゼミ☆がテント公演やってたりもするので、面白そうな公演があったら、足を運んでみてください。
ちょっと本文の補足になりますが…
以前、山崎哲さんは自身のブログで「稽古していていても、今の子はダイアローグが全然できない」というようなことを書いて、非常な危機感を持っているようですが、今回の『アキバ、飛べ。』はそれを、「ほとんどモノローグだけの芝居」という形で逆手に取ることで成立した、まさに今の若い俳優たちにしか演じられない舞台だったと思うのです。
舞台本番の様子や稽古風景などが見られます。
なお、ブラウザはIEでないとダメみたいです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~tetsu21/05-06poster.html