世界の実相を知るのにオススメの、この『武器化する世界』は非常に親切な作りになっていて、カバーに要約が書かれている。
だからといって、「この本は中身が薄い」などと誤解しないでほしい。この本を一言で言い表すなら「恐ろしい本」だ。世の中に溢れるホラーなど束になっても足下にも及ばないような「恐ろしい本」。なぜなら書かれているのは、いるかいないか分からない呪いに満ちた悪霊や不死身の怪物や狂った連続殺人鬼の話ではなく、確実に“いま、そこにある危機”だからだ。
ロシアによるウクライナ侵攻や北朝鮮の度重なる弾道ミサイル発射などで、日本には防衛力増強を訴える“にわか軍拡論者”が増殖しつつあるようだが、そんな連中を見たら、この本の著者、マーク・ガレオッティは笑うだろう。「彼らは何も分かっていない」と。戦争とは、ある日突然、どこかの国や組織が重火器、その他の武器、兵器でもって攻めてくることで始まるもの「ではない」からだ。そうした明らかに目に見える攻撃は戦争というものの一側面にすぎず、戦争は一切の宣戦布告もないまま、今この瞬間も行われているのであり、そうした「見えない戦争」には、ミサイルを配備したり艦船を増やしたりしても対抗できない。
例えば、ことさら愛国だの国防だのと声高に叫んでいる人たちは、自分のPCやスマホにちゃんとウィルス対策ソフトを入れ、それが最新版に自動更新されるようにしているのだろうか? ネットに接続している機器にちゃんとパスワードを設定しているのだろうか? その程度のこともできていないようなら、その人の使っているデバイスが結果として国家の安全を脅かすツールにならないとも限らない。あるいはネットに流れる不確実な情報を野放図に拡散させる行為も同じ。我々は「あらゆるものが武器として使われている」世界に生きているのだから。
この本は、そうしたことを歴史的な事実と現在起こっていることの両面から検証、分析し、我々の周囲で静かに進行している「見えない戦争」の実態を明らかにしていく。しかも、各章の終わりには推薦図書の項目が設けられ、その章の内容をより深く掘り下げることのできる関連書籍が挙げられている(その中には既に邦訳されたものも、されていないものも含まれるが)。
そして、この本の最後の章でマーク・ガレオッティは述べている。
ネット、フェイクニュースから金融、貿易、移民まであらゆるものが武器として使われている本文に書かれているのは、それら一つひとつについての詳細だから、このカバーの要約を読めば、それだけでこの本の内容を丸ごと把握したに等しい。
だからといって、「この本は中身が薄い」などと誤解しないでほしい。この本を一言で言い表すなら「恐ろしい本」だ。世の中に溢れるホラーなど束になっても足下にも及ばないような「恐ろしい本」。なぜなら書かれているのは、いるかいないか分からない呪いに満ちた悪霊や不死身の怪物や狂った連続殺人鬼の話ではなく、確実に“いま、そこにある危機”だからだ。
ロシアによるウクライナ侵攻や北朝鮮の度重なる弾道ミサイル発射などで、日本には防衛力増強を訴える“にわか軍拡論者”が増殖しつつあるようだが、そんな連中を見たら、この本の著者、マーク・ガレオッティは笑うだろう。「彼らは何も分かっていない」と。戦争とは、ある日突然、どこかの国や組織が重火器、その他の武器、兵器でもって攻めてくることで始まるもの「ではない」からだ。そうした明らかに目に見える攻撃は戦争というものの一側面にすぎず、戦争は一切の宣戦布告もないまま、今この瞬間も行われているのであり、そうした「見えない戦争」には、ミサイルを配備したり艦船を増やしたりしても対抗できない。
例えば、ことさら愛国だの国防だのと声高に叫んでいる人たちは、自分のPCやスマホにちゃんとウィルス対策ソフトを入れ、それが最新版に自動更新されるようにしているのだろうか? ネットに接続している機器にちゃんとパスワードを設定しているのだろうか? その程度のこともできていないようなら、その人の使っているデバイスが結果として国家の安全を脅かすツールにならないとも限らない。あるいはネットに流れる不確実な情報を野放図に拡散させる行為も同じ。我々は「あらゆるものが武器として使われている」世界に生きているのだから。
この本は、そうしたことを歴史的な事実と現在起こっていることの両面から検証、分析し、我々の周囲で静かに進行している「見えない戦争」の実態を明らかにしていく。しかも、各章の終わりには推薦図書の項目が設けられ、その章の内容をより深く掘り下げることのできる関連書籍が挙げられている(その中には既に邦訳されたものも、されていないものも含まれるが)。
そして、この本の最後の章でマーク・ガレオッティは述べている。
戦争と平和というシンプルで安心感のある二項関係ではなく、すなわち誰もが思うような単純明快な戦争が常に行われているわけではなく、私たちは現在、程度の差はあるものの、誰もが他人と年がら年中戦争状態にあると言える時代に向かいつづける。もちろん、敵と味方の区別は依然として存在するだろうが、状況や時期が異なれば、敵と味方が何を指すのかも異なってくる。戦争、敵、勝利──私たちの語彙は時代遅れであり、これらの概念はすべて見直さなければならない。万人の万人に対する政治的闘争という、永続的で昇華された紛争が起こり得る時代へようこそ。と。
※「本が好き」に投稿したレビューを一部加筆修正したもの。
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