この記事のBGMには、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベンの『ピアノ・ソナタ第14番』はどうだろうか。この曲は後年、『月光』の名で呼ばれることになる。
久しぶりに怖い絵を見た。絵を見て本当に怖いと感じた──。
『長谷川等伯展』を見て以来、積極的に美術展に行こうとは思わなくなってしまった。あれだけ圧倒的な体験をしてしまうと、どうでもいいような絵を見るのにカネや時間を割く気には、もうなれない。
そんな中、Tinkさんの東京での2度目となる個展に行った。半分は春に彼女の絵を買ったこともあり、およそ半年ぶりの挨拶代わりに。しかし、それだけなら初日に合わせて送ったレタックスだけでもよかったはずだ。残りの半分は、届いた個展の案内メールに添付されていた絵の写真に心がざわついたから。どうやら描くものが変わったようだ。しかも凄みの増す方向に。それを見てみたかった。
あとで渋谷東急本店のジュンク堂丸善に寄るため、1時過ぎに着くように青山のたまサロンに行ったのだが、会場に着いて初めて、個展が始まるのが2時からだったことを思い出した。当然Tinkさんもまだ来ていない中、スタッフ?からおにぎりを振る舞われ、それを食べながら一渡り、絵を見て回った。
──見ていて、心の深い部分がとらえられて、どこかへ連れ去られてしまうような、体の芯から上がってくるような怖さを覚えた。
こんな感じは、いつ以来のことだろう──。
新作の絵は、春に見たそれよりも具象的な要素が減り、抽象性が増している。絵の変化について本人は「意図的にそうしたのではなく、描いていたらそうなっただけ」と言っていたが、その分、描くものが外面的な姿より、その奥にある本質的な部分により近づいたと言えるのかもしれない。
それは作品が深化したことを意味するが、同時に、本質に近づけば近づくほど、深淵を覗き込めば覗き込むほど、描くものもただ「綺麗で癒される」といったものでは済まなくなる。それはむしろ、見る者の心に突き刺さり、見知らぬどこかへ連れ去ってしまうような絵になっていく。
いや、そうではないな。連れ去られる先は「見知らぬどこか」ではなく、その人自身の深淵なのではないのか。どんな怪物や妖怪と向き合うことよりも、自分自身と向き合うことが最も恐ろしく困難であることを、幾多の「ヒーローズ・ジャーニー」の物語が告げている。とすると、あの絵と向き合うことは「ヒーローズ・ジャーニー」の階梯を辿ることなのかもしれない。なるほど、怖いわけだ。
ちなみに彼女の今回の作品は、見ているこちらがしっかりしないと負けてしまうものであると同時に、こちらのエネルギー・レベルを高めてくれるようなものでもあったと思う。
Tinkさんに個展の感想を求められたので、こう答えておいた。「本当に怖い、肝試しのような展覧会だった」と。彼女はそれに対して「夏に描いたものだから」と言って笑っていた。
Tinkさんの作品については、Tinkle MuseumのHPで見ることができる。ただし、今回の個展に出展した作品はまだ掲載されていない。
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