最近、続けざまに2本のミステリ映画を見た。ミステリ作品ってのは下手すると、どうしようもなくショボくなってしまうが、この2本は揃って久々に当たり――少なくとも「カネ返せ」と言いたくなるような外れではない――と感じた。
この2本は互いに関係ない独立した作品ながら、共通する言葉でくくることができる。それは「恐るべき子供たち」である。
1本目は、紫金陳のミステリ小説『坏小孩(日本語版タイトル:悪童たち)』を、沖縄を舞台に映画化した『ゴールド・ボーイ(黄金少年)』(なお、スティーブン・キングの作品を映画化した『ゴールデン・ボーイ』とは関係ない)。
金持ちの事業家の家に婿養子に入った男が、全てを手に入れるために周到に企てた義父母殺し。それは完全犯罪――のはずだった。それが3人の悪童たちが偶然撮影していたカメラに捉えられていなかったなら。かくして完全犯罪を遂行し自らの野望を達成しようと目論む男と、事件をネタにその男から多額のカネをゆすり取ろうとする悪童たちとの戦いが始まる。
監督は映画『Death Note』を撮った金子修介で、金子自身、自分がこの映画の監督に抜擢されたのも『Death Note』を撮ったからだ、と語っているように、男と悪童たちとの「一手でも読み違えばそこで終わり」のヒリつくような熾烈な頭脳戦は、『Death Note』でのキラとL(エル)のそれを彷彿とさせる。
実は私、以前『悪童たち』を読んでいる(私が書評サイト「本が好き」に投稿した『悪童たち』のレビュー)。昔、角川映画のキャッチコピーに「読んでから見るか、見てから読むか」というのがあったが、私は「見てから読め、読んだら見るな」を信条としているので、本来ならこの映画も見ることはなかったはずだったが、今回は不思議と「見に行きたい」と思った(そして、そういう感覚は当たっていることが多い)。
基本的には原作にほぼ忠実だが、3人の悪童の1人、安室朝陽に関して、クラスメイトの女子生徒とのエピソードや数学の問題を出されるエピソードは、原作にあった背景がほとんど削られてしまっていたせいで、見ていてかなり唐突感があった(が、その分、朝陽という少年の得体の知れなさが、より強まったようにも感じられた)。なお、ラストは原作と映画では異なっている。
2本目は、映画オリジナル作品『マッチング』。
ブライダル会社でウェディングプランナーとして活躍しながら、自身は出会いのない唯島輪花(りんか)は先輩の勧めで、とあるマッチングアプリに登録するが、そのアプリで出会った男からストーカー被害を受けるようになり、アプリの運営の1人でプログラマーの影山剛に相談する。同じ頃、世間では新婚のカップルが惨殺される事件が連続し、その被害者の中には輪花がプランナーとして関わったカップルもいた。そして、この2つの出来事が1つにつながっていくことになる。
ミステリでは、読者/視聴者の注意を間違った方向に誘導するミスディレクションという手法がしばしば用いられるが、この『マッチング』はまさにミスディレクションてんこ盛りの作品だ。〈ある役者〉を出しているのもそう。例えばアニメで、櫻井孝宏が主人公でないポジションで“いい人”キャラとして出ていたら、そのキャラはほぼ間違いなく途中で裏切るように、この『マッチング』も、一見“いい人”でも実は悪人、というキャラを演じてきた〈ある役者〉を意図的に使っている。
もちろん、それだけでは『マッチング』を私がなぜ「恐るべき子供たち」と呼ぶのか分からないだろうけど、最後まで見ればその意味が分かってもらえると思う。重厚さはないが、これはそういうケレン味を楽しむ作品だ。
この2本はいずれも、何重にも仕掛けられたどんでん返しの下から人の恐ろしさが垣間見える、ちょっと不気味な作品たちである。
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