義母はピンピンコロリであった。
心の整理のついた面々は(精一杯楽しんでよかったね)と(周りに迷惑をかけずにピンコロ羨ましい)という感情に集約された。
ピンピンコロリは理想の逝き方で、多くは脳が先にやられたりする。
義父は人付き合いが好きな人間にはあまり見えていなかったが、この葬儀の合間の数日で、彼は大変社会的な人間で、その幸せは個人の嗜好というより、社会や周りの人に必要とされることである、ということが明確になった。
義母が急逝して、これを機会に都会に、ということも想定をしたが、私達よりも地域の人に必要とされている今の状態を幸せと感じているようなので、何かあるまでは1人で頑張るということになった。
周りの人に大変頼りにされていて凄い。
義父がもし今亡くなるとしたら義母以上に葬儀は大変そうだ。
ピンコロをするにはボケスピードを緩めることが大事で、畑にでたり、集まりに参加したりして家に引き込もらないようにし脳を刺激するようにすると良いそうだが、義父は我々夫婦よりよっぽど忙しくほぼ週6-7勤務状態で忙しくしているので、まだ大丈夫そうだ。
ただ、義父の行動を見ていると、何かをやっている最中に別のことに気を取られると前の作業に戻れないことが良くあった。
義父が火を使っているときは常に夫が遠くから見守っていた。
これは老人(および我々)あるあるだが、自分が思っているより老いのスピードが早い。
そして老いと自分の思いのスピードの差が、感情的に受け入れられない。
人生色々生きてきた実績があるしプライドもあって当たり前だが、このプライドの処理はなかなか難しい。
我々夫婦は引きこもりなので、義父より先に夫や私が脳梗塞や脳溢血などで不随などになってしまう可能性も十分にある。
人生色々、何が起こるかは分からないし、多くはピンコロというわけにはいかないが、ピンコロへの羨望は止まない。