コロナがまた増えてるそうだ。
私が死んだら明日全部ゴミになんのよなと思うと物は増やしたくないわ〜と思う。
ゴミではなくて思い出だ!
なんていうのはこの物の溢れた現在の日本では嘘で、現実は全部ゴミである。
片付ける側からしたら物量が多いのはもはや罪である。
親が亡くなったとき、本人が大事にしていた絵画を親の兄弟に送ろうかとも思ったが、親の兄弟の子供にしてみたら「ゴミを押し付けられた」ことになるだけなのでやめた。
残念ながら故人を心の中で偲んでいただくしかない。
身近でコロナ死はいないが
脅威は衰えているとはいえ
志村けんさんとか結構コロナで突然なくなったなという印象があるし
物は増やさないに越したことはない。
私は一人暮らしが長かったのと、社会人になってから結婚するまではなぜか転居が多かった?(数えてみたら5回だった)ので、【自分一人で運べない物は持たない】主義にしている。
現在ある食器棚やソファやその他の大物は全部夫が希望して買ったものである。
私はなくて構わない
結婚時は夫に物量が多い!と散々ブゥブゥ🐖指摘されたものだが、今は立場が逆転している。夫の物の方がはるかに多い。
何事も明日は我が身である。
写真とアルバムも夫婦共々全部データ化して全て捨てた。
ちなみに夫のものを処分するときに義父母には一応確認したが、むしろデータで見られることに大歓迎で、紙のアルバムなぞ見ません!ということであった。
そして、我らが断捨離に勤しんでいるのを見て自分達も物が増えすぎたわねぇ、終活しなきゃという危機意識は多少持ったようである。
データがもし全部消えたら悲しいが、データ化してから実際に写真を見たのは、夫と旅行や昔の思い出を振り返る時と、友人とあったときに昔はああだったね、を振り返るときにネタにするぐらいなので、消えたら消えたで仕方なくそのまま暮らしていくしかない。
多分普通に生きていけるだろう。
今の物量で十分に事足りているので、このまま良い感じに暮らしていきたい。
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