仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

【昔の手帳から】 3月17日 (81年:銀座、84年:最後のデート)

2011-03-17 00:15:11 | 昔の手帳から
【1981年】(1囘生)

東銀座 西船(17:25)
銀座スエヒロ Tボーンを500g \650(100g)


ステーキを500g!
Tボーンだから肉の重さはもつと少ないだらうが、それにしてもいまの私ではたうてい考へられない。
20歳の私は食慾旺盛だつたらしい。
當時、年の離れた從姉が築地の國立がんセンターに勤務してゐたので、銀座のスエヒロへその從姉と母と一緒に食べにいつた。
500gで¥3250、當時の貨幣價値からすれば、なかなかいいお値段だ。
いまさらながら、ご馳走さまでした。





【1984年】(4囘生)

10:00 國鐵三ノ宮 西口改札 H
Lebewohl!


7日にリヒテルのリサイタルを一緒に聽いたものの 、歸り道に邪魔が入つた(彼女の音大の同級生が一緒になつてしまつた)ため、Hとまともな會話が出來なかつた。
なんとか、ちやんと話をしたいと思つた私は、彼女にもう一度會つてくれと頼んだのだらう。
一度は12日に會へることになつたものの 彼女の都合がつかなくなり 、この日が最後のチャンスになつた。
ところが、どういふわけか、じつはこの日のことをまるで覺えてゐない。
午前10時に國鐵三ノ宮?
朝早くアパートを出たのだらうけど、記憶にない・・・

ともあれ、この日のHは意識的に私に冷たく接したのだと思ふ。
だいたい想像がつく。
それで、いくら女性慣れしてゐない私でも、さすがにこれが最後なのだと悟つたに違ひない。
だから手帳に"Lebewohl"。

"Lebewohl"と云へば、 ベートーヴェンのピアノソナタ 第26番 変ホ長調「告別」
珍しくベートーヴェン自身が"Lebewohl"といふ標題を譜面に書込んでゐる。
當時の私は、それを思ひ出して、手帳に書込んだのだらう。

もう會へないだらうから、"Auf Wiedersehen" ではなく"Lebewohl" 。
でも、ベートーヴェンの云ふ通り(*)、"Adieux"ではない。
そんな微妙な心境だつたのだと思ふ。


(*)出版社がベートーヴェンに斷りなく"les adieux"といふ標題をつけたことにベートーヴェンが手紙で抗議した。
「"lebewohl"は"les adieux"とは全く違ふものだ。
前者は心から愛する人にだけ使ふ言葉であり、後者は集まつた聽衆全體に對して述べる言葉だからである。」 (Beethoven)









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