![]() | 倭王卑弥呼と天照大御神伝承―神話のなかに、史実の核がある勉誠出版このアイテムの詳細を見る |
お薦め度:☆☆☆☆
この本では「天皇の平均在位年数」を年代論の基礎として、古代史の再構築を試みてゐる。
その結果、卑彌呼の時代は、天照大御神の時代と重なり合ふことがわかる。
すなわち、「記・紀」神話は邪馬臺國時代のことを語つてゐる可能性がある。
古代史を論ずる時に隔靴掻痒の感があるのは、年代論があやふやなことが原因であることが多いと思ふ。
土器の編年は學者によつて100年程度の開きがあるし、「年輪年代法」はあくまで木材の伐採年を示すに過ぎない。
「年輪年代法」によるデータの活用方法が間違つてゐるやうな例も散見される。
例へば、西暦300年に伐採された木材が遺跡から發見されたとしても、その遺跡が西暦300年に作られたことにはならない。
西暦300年以降に作られたことの證明になるだけだ。
それなのに、さもその遺跡が西暦300年に作られたかのやうに報道されることが多い。
これは論理の過誤であるか、もしくは、意圖的になされた情報操作であらう。
安本氏の「天皇平均在位年數」による年代論は、ひとつの假説であり、それ自體が絶對のものではない。
しかしながら、ひとつの尺度として充分に使用に耐へると思ふ。
2005年9月7日読了
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