最近やたら前頭葉が重たくて毎日書くと決めたネゴトがおろそか・・
2月2日 母から食料物資とローズマリーが届き(いつもながら感謝です)
一緒に節分の豆があった
「祈祷済み」と書いてあったので裏を見たら
どうやら「熱田神宮」のご祈祷かも・・・住所が近くだ
さてさて 寝る前 寝床に置いてるチャネリングノートを読み返して
やってみるかなと思い立った
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ほう、そのほうであったか
頼るでないぞと申したであろう
<どうしても知りたい事があるんです。それはこの世界に渦巻いてる
闇の思考を取り去り、その影響が人に係らない方法を教えてください>
ほう、なんとしよ。
そなたがそれを聞いたところで いかようにもならん。
人の心とは・・・・(暫く沈黙)
無理なのじゃよ。なぜゆえにか申すと
人とは あらゆるモノノケの生い立ちが
つかさどるゆえ、それを消し去ることとてまかりならんのじゃ。
人は人として生きてゆくには 突き進むしかないのじゃ。
じゃが、その御ココロは 天にも通じておるのでな
必ずや助っ人が現るのじゃ。
善しも悪しも その者の表われゆえ
その許しがたき事ぞにも 意味があるのじゃ。
それがこの世であり 映しである。
悲しむ事ぞのみ思うてもまかりならん。
そもそも その悲しみこそが 非有であるからな。
闇の中にぞ 光を見つけよ。
光とは 尊いものぞ。
尊きものなれば いつくしみ、あがめよ。
それこそが道なるぞ。
我よ、見よ。皆その行い しかと受け賜わるぞ。
見上げよ。天に背けば 道は開かれん。
そなた、いかがした?天を仰ぎ、まゆえるかな。
道は 無きがごときに身ゆるかな?
そうではない。
自らの指し示す道こそが
天に通ずる道なれば いさかや(いさはや?)道開かれんぞ。
迷わずんば 進めよ。肥やせよ。
大本(たいぼく) はせ参じるぞよ。
ふーふー、みーみー、なー、やつ、なー
まわりまわって みー、すくる。
<身体のつらいのをなんとかするには・・>
御魂みがけば 善しにまわる。
まわる楯とヤホコ持て。
<呪術を教えてください>
ツーツーマーマカ オンコロコロ
タレソメマギャカ タン ムースルドー
これは 丹田法術 呪縛密使であるぞ。
そなた 右肩に ひらを置き 一立宙を斬る。
試してみるがよい。幾度と繰り返し、行を成せ。
・・・・・・・・・
そのあと、ノートを置いて寝ようとしたら単語がよぎったのでノートを執る。
<サラスバー、麻利支天、八卦道>
書いてノートを伏せると、また浮かんだので書く。
<タイダン、ギョウジュ>
ふー、やっと夢の世界へ・・・
3日仕事に出かけたが、仕事場でまた偏頭痛を起こした。
かなりひどく視界が光で見えないが、節分ののり巻を作らなきゃいけないので
でも意識が遠のいていくのを何とか抑えるには・・・
心の中で 「もう肉体の苦痛にはのりません!」
そうつぶやき、天神の木の場所をイメージ
視界が少し戻るが、まだダメだ。
それから「銀龍」を呼ぶと、銀龍は私を大きな口を開け飲み込んだ。
すると意識がはっきりして 脈が穏やかな鼓動を鳴らした。
心の中で「天神の木、銀龍ありがとうございます!銀龍今日一日そのまま居てください。」とつぶやいた。
言葉を発しない銀龍が「恐れるでない、恐れるでないぞ」と云った。
私は意識がボヤ~として調理を続けてるが
私を飲み込んだ銀龍の眼は辺りをにらみつけ
「この者に構うでない!この者に近づく事まかりならん!」と強い口調で一喝してたイメージが・・・
昼食が出来上がり 帰宅した。
通常偏頭痛の後遺症で頭の一部が痛くて一日中取れない筈が
何の痛みも無く ただボヤーとしていた。
眠気はかなりある。その間銀龍との会話を楽しみながら ウトウト・・
今日に限って、夕食も作りに行かなくてはならなかった。
少し休んで 寒さの中おばあちゃん達の夕食を作りに行った。
夜寝る前に銀龍を戻して 就寝
そして4日今日、銀龍を戻した事も日記を書くまで忘れてた。
少し後遺症のような痛みがある。昨日はまったく無かったのに・・
やはり 昨日の事は現実に 不思議でならない。
偏頭痛の痛みを知ってる人は解るでしょうが
思考で痛みをなくす余裕などあったもんじゃないのだ。
わたしは 体験して実感が湧く
眼に視えない意識が在るという事を
「龍神」という意識を持つエネルギー体の存在を・・・