どうも批評性の弱い時代が来たものだ。新聞各紙も民放テレビも「嵐」の休止を異口同音に取り上げていて、とうとう我が国もマスコミを利用した新興宗教の時代に入ったのか心配になる。一昔前までは、民放各局はNHKの紅白にもわずかながら抵抗して番組を編成していたが、今は紅白のカバン持ちになってしまった。
気になるのは、「国民的」と言う冠をやたらにつけて大衆を煽る言い方である。
とうとう「聖地巡礼」と言う四国遍路のような言葉が、マスコミで「嵐」のメンバーの名前にかぶているのも奇妙だが、その言い方に抵抗感もなく便乗しているフアンが百万人余りも存在することの危うさである。しかも彼ら「嵐」に救われたことなどを有難がって取材して放送しているのだからこれは新興宗教と言わずして何というか。
この世は主体性を放棄してマスコミ商法に便乗するのがよいのだと言う風潮が出来つつあるようだが、それは一強多弱の政治情勢と重なっているのである。主体的な国民を疎んじる政治状況を作り上げる政府与党の危険性なのである。
ことにマスコミ各局には、しっかりとした自己主張と姿勢を示していただきたいものだ。