保守王国千葉県崩壊=沖よりわずかに光がさす
湯上がりの晩酌中の8時過ぎ、携帯電話が鳴った。隣の旅館大野荘の社長さんからであった。
「おめでとう!よく自民党に勝ったね。無理だと思っていました」
まだ開票速報には、早いと思ったたがテレビで当選が出たのだ。大野さんは町長選で苦い目にあっているからびっくりしたらしく興奮気味であった。
私は友人熊谷さんの圧勝を確信していたから安堵しただけであった。3度ほど熊谷さんを集会や私の出版記念会で大野さんに引き合わせていた。彼も熊谷さんの信奉者・支持者で「首長は、かくあるべし」とよく言っていたから知事選の当選をとても歓迎して下さった。嬉しい限りである。
自由民権運動の拠点であった房総半島は、最近までは保守王国であった。
10年ほど前に千葉市に無名新人の田島要氏が防衛・法務大臣を歴任した臼井日出男氏を破り驚いたのです。次に天下り官僚の千葉市長を30歳そこそこの市議熊谷俊人さんが破って当選し、市民が驚いたものです。田島氏と熊谷さんとは同じ企業の先輩後輩として二人三脚で奮闘したのです。船橋市では無所属県議の反自民野田佳彦氏が衆議院議員に当選し、その熱意と弁舌でついには反自民の首相にまでなりましたから保守王国の崩壊の兆しが10年ほど昔からあったのですが、この千葉県は農漁村地帯が明治以来保守王国としてのさばっていたからいつになれば千葉県民は目覚めるかと諦めていました。何しろ今でも県議の半数以上は自民党が占めているのです。
郵政民営化騒ぎを嫌った奥野総一郎氏が、また官僚と保守党の癒着を嫌って小西洋之氏が役人をやめて千葉から政治家の道を歩んだから保守王国も徐々にゆらぎつつあります。私は、義務教育の道を定年まで勤めあげたのですが、乞われて民主党の県・参議院議員加賀谷氏の後援会長になりましたから以来24年間、反自民の立場で交友関係を築いています。
参議院の論客小西洋之氏の後援会長は、御宿の拙宅までわざわざお出でになり、依頼されたのですが「あなたは千葉県とは無縁の方ですから後援会長はお断りします」と断ったのですが、「房総の海岸地帯の観光業が津波災害の時に困っていたので政府・東電とかけ合って数億円の見舞金を出させたのです。とくに外房方面の観光協会は大野・富沢さんが役員です」と言う知人の名前が出て来たので断れなくて後援会長を受けたのでした。民主党の総務省政務官加賀谷さんが引退して故人になられた後ですから断り切れなかったのです。
今や小西さんは、立憲民主党の理論的なバックボーン議員として政界に重きをなす存在ですから国会中継などをよく見て感想をメールで送ったりしております。
「落ち着いたら知事室に遅れがちの外房観光の課題をまとめて有志と参上しよう」と大野さんには話して、電話を切ったのです。
余生を送るために御宿のマンションに移住したが、少しでも地域のためになるならお役に立ちたいものです。
湯上がりの晩酌中の8時過ぎ、携帯電話が鳴った。隣の旅館大野荘の社長さんからであった。
「おめでとう!よく自民党に勝ったね。無理だと思っていました」
まだ開票速報には、早いと思ったたがテレビで当選が出たのだ。大野さんは町長選で苦い目にあっているからびっくりしたらしく興奮気味であった。
私は友人熊谷さんの圧勝を確信していたから安堵しただけであった。3度ほど熊谷さんを集会や私の出版記念会で大野さんに引き合わせていた。彼も熊谷さんの信奉者・支持者で「首長は、かくあるべし」とよく言っていたから知事選の当選をとても歓迎して下さった。嬉しい限りである。
自由民権運動の拠点であった房総半島は、最近までは保守王国であった。
10年ほど前に千葉市に無名新人の田島要氏が防衛・法務大臣を歴任した臼井日出男氏を破り驚いたのです。次に天下り官僚の千葉市長を30歳そこそこの市議熊谷俊人さんが破って当選し、市民が驚いたものです。田島氏と熊谷さんとは同じ企業の先輩後輩として二人三脚で奮闘したのです。船橋市では無所属県議の反自民野田佳彦氏が衆議院議員に当選し、その熱意と弁舌でついには反自民の首相にまでなりましたから保守王国の崩壊の兆しが10年ほど昔からあったのですが、この千葉県は農漁村地帯が明治以来保守王国としてのさばっていたからいつになれば千葉県民は目覚めるかと諦めていました。何しろ今でも県議の半数以上は自民党が占めているのです。
郵政民営化騒ぎを嫌った奥野総一郎氏が、また官僚と保守党の癒着を嫌って小西洋之氏が役人をやめて千葉から政治家の道を歩んだから保守王国も徐々にゆらぎつつあります。私は、義務教育の道を定年まで勤めあげたのですが、乞われて民主党の県・参議院議員加賀谷氏の後援会長になりましたから以来24年間、反自民の立場で交友関係を築いています。
参議院の論客小西洋之氏の後援会長は、御宿の拙宅までわざわざお出でになり、依頼されたのですが「あなたは千葉県とは無縁の方ですから後援会長はお断りします」と断ったのですが、「房総の海岸地帯の観光業が津波災害の時に困っていたので政府・東電とかけ合って数億円の見舞金を出させたのです。とくに外房方面の観光協会は大野・富沢さんが役員です」と言う知人の名前が出て来たので断れなくて後援会長を受けたのでした。民主党の総務省政務官加賀谷さんが引退して故人になられた後ですから断り切れなかったのです。
今や小西さんは、立憲民主党の理論的なバックボーン議員として政界に重きをなす存在ですから国会中継などをよく見て感想をメールで送ったりしております。
「落ち着いたら知事室に遅れがちの外房観光の課題をまとめて有志と参上しよう」と大野さんには話して、電話を切ったのです。
余生を送るために御宿のマンションに移住したが、少しでも地域のためになるならお役に立ちたいものです。