「令和新選組」に友人が参加。どうもこの党名はきにかかっていたのだが、放置していた。だが、この党の活動は、保守ではないので、別名にした方がよいだろう。パラリンピックもあるから「パラ党」でもよいが、ここは障碍者を守り助けるイメージを中心にしたらよいだろう。
この人物は、何も分かっていないので、のこのこと日本へしゃしゃり出て来た。
今度は福島で始球式をするらしいが、彼には実績は何もない。まず恥をかくのは得意だが、五輪を貶めるために日本までやって来たから余程お暇なんだろう。
福島の心ある方で追い返してください。
よろしく。
今度は福島で始球式をするらしいが、彼には実績は何もない。まず恥をかくのは得意だが、五輪を貶めるために日本までやって来たから余程お暇なんだろう。
福島の心ある方で追い返してください。
よろしく。
七夕馬と祖父の思い出
篤農家の祖父は100歳の長寿を全うした。
孫の私を小学2年生まで一緒に風呂で昔の話を聞かせてくれた。その話がおかしいと私が訂正すると「お前は、おれよりも若いのに昔の話を知ってるな」と言った。すると私は得意になって知識をひけらかしたのだった。
冬になると、「ごぜんぼう」がやって来て、泊りがけで歌をうたったもんだ。島田では、いつもうちに泊まった。泊まる部屋があるからだ。4、5人でやって来たが、目の見えない者たちだった。
おそらく浪曲や田舎芝居で仕入れた話をお湯につかり話してくれるのだが、子供でもその内容はちょっとおかしいものがある。弘法大師がコメの種をこっそり杖の中に隠して日本に持ち込もうとして追いかけられたが、苦労して日本に持ち込んだ話は、歴史的には信じられなかった。
祖父は、長生郡西村佐坪から自作農の安藤家の跡取り娘に婿入りした。その長女(私の祖母にあたる)は、2男、2女を産んで、産後の日立ちが悪く死亡、妹の婿になって朝から夜まで夫婦仲良く、かかぁ殿下で農業に勤しみ小金を蓄えた。
七夕の日が近づくと、陰干しにしていたマコモを取り出して馬や牛を作ってくれた。たてがみには赤の色づけをした。店で売っている物とそっくりであった。七夕の日には、その馬を台車に乗せて引いて、近くの川岸にゆく。
そこで馬の食べる草を刈り、家に帰る。馬の食べる野菜を備えて夜を迎えて、星空を眺めてご馳走や赤飯を食べる。「田をうなったり、重い荷物を引いたりする馬へのお礼だ」という。この夜雨が降ったり曇ったりしていると、「可哀そうに今年は織姫に馬は合えない」という。牽牛と織女の話は、小学2年生の時の積田先生に読み聞かせで知ったのだろうが、先生は2学期には結婚されて房州方面に嫁がれたという話で再会出来なかったが優しい女性の先生であった。
我が家には、馬小屋があり、右側が馬の部屋で左は物置だったが、私の記憶では、二まともに物置になっていた。
ひげを生やした曽祖父が馬を飼っていて、よく馬上に乗って行き来していたそうだ。威厳がある人物だったというが、私の記憶にはもういなかったが、「馬小屋」の言葉と小屋だけ
が残っていた。
篤農家の祖父は100歳の長寿を全うした。
孫の私を小学2年生まで一緒に風呂で昔の話を聞かせてくれた。その話がおかしいと私が訂正すると「お前は、おれよりも若いのに昔の話を知ってるな」と言った。すると私は得意になって知識をひけらかしたのだった。
冬になると、「ごぜんぼう」がやって来て、泊りがけで歌をうたったもんだ。島田では、いつもうちに泊まった。泊まる部屋があるからだ。4、5人でやって来たが、目の見えない者たちだった。
おそらく浪曲や田舎芝居で仕入れた話をお湯につかり話してくれるのだが、子供でもその内容はちょっとおかしいものがある。弘法大師がコメの種をこっそり杖の中に隠して日本に持ち込もうとして追いかけられたが、苦労して日本に持ち込んだ話は、歴史的には信じられなかった。
祖父は、長生郡西村佐坪から自作農の安藤家の跡取り娘に婿入りした。その長女(私の祖母にあたる)は、2男、2女を産んで、産後の日立ちが悪く死亡、妹の婿になって朝から夜まで夫婦仲良く、かかぁ殿下で農業に勤しみ小金を蓄えた。
七夕の日が近づくと、陰干しにしていたマコモを取り出して馬や牛を作ってくれた。たてがみには赤の色づけをした。店で売っている物とそっくりであった。七夕の日には、その馬を台車に乗せて引いて、近くの川岸にゆく。
そこで馬の食べる草を刈り、家に帰る。馬の食べる野菜を備えて夜を迎えて、星空を眺めてご馳走や赤飯を食べる。「田をうなったり、重い荷物を引いたりする馬へのお礼だ」という。この夜雨が降ったり曇ったりしていると、「可哀そうに今年は織姫に馬は合えない」という。牽牛と織女の話は、小学2年生の時の積田先生に読み聞かせで知ったのだろうが、先生は2学期には結婚されて房州方面に嫁がれたという話で再会出来なかったが優しい女性の先生であった。
我が家には、馬小屋があり、右側が馬の部屋で左は物置だったが、私の記憶では、二まともに物置になっていた。
ひげを生やした曽祖父が馬を飼っていて、よく馬上に乗って行き来していたそうだ。威厳がある人物だったというが、私の記憶にはもういなかったが、「馬小屋」の言葉と小屋だけ

二人の大活躍に感銘しました。政界では古い利権体質がしぶとく残っているが、すでに若者は古さを超えてしまったから喝采です!!
役場の広報にのせられてマイナンバーを申請したが、受領はメールできたが、はがきが来ないので本部に問い合わせをしたが担当は「町役場に電話をせよ」という。面倒だから申請をやめてしまった。お役所仕事を体験して憤慨した。