物書きひとすじ!時には寄り道、迷ったり、直進したりして、人生は面倒で悲しく楽しくて。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ海を眺めて哲学者にはなれないのですが、いつも物を考えていますよ。

新型コロナウィルスの復讐

2020-03-27 16:09:30 | 日記
手に負えないウイルスが、地球をかけめぐって、人間界は上を下への大騒ぎです。これは、浅ましい人類の挑戦に対する宇宙のペナルティでしょう。
人類は、胸に手を置いて瞑想しましょう。
・自然破壊汚染の罪
・原子力に触手をのばした罪
・動植物の生命を気まま勝手に人間界に取り込んだ罪
・人間同士でいがみ合い、殺し合う罪
・殺人のための兵器開発と戦術をためらわない破廉恥罪
・子殺し親殺しの罪
・営利と名誉のためには手段を選ばない欲望過剰の罪
・他人を貶め喜ぶ優越罪
とうとう目を据えかねて、この地球界に恐ろしい正義の使者を派遣して来たのだ。

増田明美さんのNHKでの話に感銘!

2020-03-20 10:31:23 | 日記
小野アナウンサーと対談している増田さんの話に感銘したのです。彼女は、隣町のいすみ市旧中根村出身です。とても好感の持てるマラソン選手ですからいつも注目していました。今は解説者としてよく調べて話ますから人気があります。
彼女は、オリンピック壮行会を無断でキャンセルしたようですが、それは日の丸を背負った重荷に耐えきれなかったからです。銅メダルの円谷選手も耐え切れずに死を選んでいますから「参加に意義がある」と言う建前と異なる期待過剰があるのでしょう。
今も東京オリンピックをやるかどうかで連日マスコミは過熱している惨状にあきれ果てています。選手たちは日本代表ではなく一人のランナーに過ぎないのですが、日本人の心に巣くう島国根性・微視性は拭いきれないのです。
彼女は負けて成田空港に着いたら「国賊!」とののしられたそうで、麦藁帽で顔を隠して帰宅した。 日本国民の古い体質(神国=軍国主義)は、いつになっても拭いきれない狭量さです。
それでも外国で練習に励み、大阪マラソンに挑戦したら「もうお前の時代は終わった」と言う心無いヤジが観衆から飛んで、マラソンレースを放棄しようと歩いていたら6人の女性グループの激励があり、そのグループと共に走りゴールする。それがもとで立ち直ったそうですから思いやりと励ましは人を救うのです。
隣り町では「増田明美マラソン大会」が今も続けられており、彼女も一緒に参加し、おかぁさんの栽培したお米が景品についていましたが、今はどうでしょうか?
東京マラソンは、ほとんど無理な状態ですが、まだ役員たちは、あきらめてはいないポーズを取り続けています。利害得失もあるでしょうが、客観的な決断をしないと、敗戦に追い込んだ太平洋戦争と同じことにならないかと心配しています。


外需さようなら内需こんにちは!

2020-03-19 11:49:14 | 日記
長年、地域文化をテーマに執筆活動を続けて来て、「ああ、やっぱりそうだったのか」と納得しているのは、コロナ騒ぎに右往左往している世界中のリーダーの醜態にうんざりしているからです。
特に我が国は島国根性で内需経済の重要性を無視して、やれ観光だの、カジノだのと外需経済・輸出産業に狂奔しているからです。
これでは、地域の文化・自然や共同体は、破壊されてしまいます。何しろ大都市や大企業などに目を奪われてしまうからです。今の日本は、まさに東京中心で、オリンピックの準備に狂奔しています。小池百合子氏などは「東京ファウスト」のスローガンで知事になってしまいましたが、これが大きな誤りです。トランプ大統領の「アメリカファウスト」と同様のペテンですからコロナウイルスが、こっそりと忍び込むと打つ手がないのです。
グローバリズムの過ちなのですが、政治家にとっては、魅力的なスローガンなのです。麻薬と同じ効力が、この言葉にはあるのです。
地味な実業と、派手な虚業を比べれば、若者は派手な方にひかれてしまうのです。そこに目をつけたペテン師政治家が潜り込んでくるのです。トランプや小池は、その見本です。
コロナ騒ぎを反省材料にして、今こそ根本的な人々の生き方を見据えないと取り返しがつきません。地に足のついた政策と生き方を日本国民はしっかりと見据えたいと思います。

孫たちへ

2020-03-14 12:58:20 | 日記
休校中の孫たちに激励を
宇宙へはばたく明日のある孫・子どもたちが、コロナウイルスのために家に閉じ込められている悲劇を悲しむ老人のメッセージ。

未来のある君たちよ。
雨の日も風の日も確かな成長を望んでいます。
ましてや
コロナウイルスなどと言う聞きなれない人類の敵に兜を脱ぐようでは、宇宙へはばたくことは無理でしょう。
人類の明日は、この世のありとあらゆる物と共存することです。
ウイルスなどは、生命体にとっては、おぞましいものですが、
そういう存在をも取り込んでこそ人類は、この宇宙の勝者になれます。
未来のある者たちは、目の前の障害物を共存精神で乗り越えていただきたい。
わたしは、そういう心で
コロナウイルスも宇宙からの使者として児童文学を書こうと思います。
窓から見える黒潮の流れる水平線は、霧にかすんでいますが、
必ずや間もなく日が差し込むでしょう。
孫たち・子どもたちよ
うっすらと沖は明るみ始めましたよ。

父の働く姿

2020-03-07 17:05:10 | 自伝風小説
父の働く姿 
 自作農のわが家では、篤農家の祖父母はとてもよく働いていたが、嫁の母は農業嫌いだし父は家には寄り付かずに定職もないから私は父の働く姿は、ほとんど見ていない。スイカ畑を広く耕作したことがあり、若者たちに盗まれると言うわけので番小屋を建てて夜は見張っていたが、採れたスイカを食べた記憶はない。売り物だから失敗作だけを家に持ち帰ったのだろう。
 父がとてもよく働いているのを見たのは、姉の結婚費用を捻出する時だった。その日ぐらしのわが家には、借金はあっても貯金は1銭もない。父は、戦災で裏に住んでいた仕事のないIさんに手伝ってもらって山林から薪を切り出して売ることを編み出した。夕方になるとリヤカーに山のように薪を積んで帰って来たことを覚えている。また冬には、炭窯を築いて炭づくりに精を出した。この作業は夜も寝ずに火の番をしたりするから大変だが、当時はとても高価に売れたからだいぶ稼ぎがあったようだ。
 後に私が俳句を創るようになり「炭負ひの垂るる双手も灯へ急ぐ」が「俳句」(角川出版)誌の特選に選ばれたのもこの情景がもとである。
 子どもの私が父の必死で働く姿を見たのは、この時だけである。
 父は長女を「やよぼう、やよぼう」と呼んで深く愛していた。姉も父には幼時から苦労をかけられていたであろうが、幾つになっても「おとっちゃん、おとっちゃん」と、なついていた。それは、父が誰にも温厚で優しい人柄の持主だったからであろう。