宗教作品とは何だろう?
単に宗教的な内容のテキストに曲を付ければ、それが宗教音楽と言えるのだろうか。
テキストが神を讃えていれば、宗教作品と言えるのだろうか。
芸術らしきものがやっと生れかかったばかりの太古の人類にとっては、どんなに素朴なものであれ、それで良かったかも知れない。
しかし、その時代の人々が受けた感動と全く同等の感動を、以後の人間は同じ作品で得ることは出来ない。
そうでなければ、教会は天に向かってあんな姿にはならなかっただろう。奈良の大仏は、あそこまで大きくならなかっただろう。
より小さなものから宗教的な感興を覚えることもあるが、それは十字架であったり、花や人形であったり、数珠であったり、動物や人の死骸であったり…
大抵「死」そのもの、あるいは象徴であるか、祭事の道具として具体的な意味を持っていて、宗教作品とは言い難い。
たぶん、ある程度の大きさが宗教的感動を生むのには必要だろう。
ただしジェット機は宗教的感動を与えない。高層ビルも。実用的な必要性から巨大な形になったものは宗教とは無縁だ。
そして「神は細部に宿る」。大きさがあり、なお細部まで完璧に出来ていること。
完璧さと芸術は必ずしも相容れないように思えるが、こと宗教作品に関しては完璧でなければだれも認めない。
欠点は言うに及ばず、人間臭い魅力や自己主張さえ少しでも見えたら、それで終わりだ。
教会建築しかり、教会の天井画しかり、パレストリーナのミサしかり、ブルックナーのシンフォニーしかり…人体もそうだ、宇宙もそうだ。
神業の如く、狂人のごとく、奇跡的な―宗教作品たる条件。
今回、宗教的合唱作品を作曲中。もうすぐ〆切。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます