池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

妥協無き大編成

2009-08-21 | 作曲/大編成

色というのは、多くの色が混ざりあえば華やかに、美しくなるとは限らない。レモンイエローで埋め尽くしたい時もある。
4本の木管を一つの色に染めたい場合、オーケストラが2管編成なら、2本はクラリネット、もう2本は仕方なくフルートなどにするだろう。
しかし4管編成ならクラリネットだけで4本の線を作ることが出来る。大編成は選択肢に制約が少なく、思った音を妥協せずに駆使する事が出来、音色が濁る事が少なくなる。

音楽を太らすのは簡単。対位法か和声、どちらかしか無い。それ以前に太らすか単旋律のままか、という選択。
それは技術で言いくるめるか、それとも生の声を率直にぶつけるか、の違い。大編成になれば両者の表現の落差も広がる。
技術は環境創りに欠かせない。
例えば「体を大切に」という言葉も、インフルエンザが流行っている時に言うのと、睡眠時間を削って作曲している息子に老いた父親が言うのと、異性と付き合い始めた年頃の娘に母親が言うのと、死の床に伏している師が看取りに来た弟子に言うのとでは、意味も重みも違う。
その違いは環境の違いがもたらし、それらを演じ分ける場合、高度な技術が可能にする。
技術さえあれば、何も独創的なテーマなど無くても「《体を大切に》による変奏曲」の類で、傑作が出来てしまうのだ。

環境は色合いがもたらすだけでは無い。ファクターの一つにテンポがある。
今回の作品では、「アクセントとしてのテンポ」を試みた。テンポの激変に、楽器編成の変化が伴えば効果は一層強調される。
アクセントであるためには短く。急速なテンポが興奮するからといって長くし過ぎては、アクセントでは無く常態となる。

「こんな事で考えるのはバカ」「考える事は怠惰」…作曲の仕上げは考える余地も時間的猶予も無い。自分を叱咤しながら職人技で空白を埋めて行く。
アイディアが浮かばないからと言って無為に日を過ごす訳にも行かず、「なんてつまらないものを書いているんだ」と承知の上で作り、結局PC.のごみ箱で廃棄待ちとなっていたものが、ある時ある箇所で切り札となり得る事に気付く。
ごみ箱からそのファイルを拾い、完全に削除しなかった幸運に感謝する。人との出会いや別れのよう…。
試聴



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