
本:ヘルメス・ギーター
著:ヘルメス・J・シャンブ

恐怖、罪悪感、苦しみ、悲しみ、どのような感情もまた、すべて思考であり、思考の結果です。
すなわち、恐怖とは思考でありイメージそのものです。
(省略)
さて、問題は、思考が勝手に、自動的に起こる、ということではありませんか?
いくらあなたが、恐怖したくない、と思っても
無意識にある「このような場合は、私は怖い」という信念は、自動的に、勝手に起こってしまうのです。
つまり、目の前の状況や出来事や言葉に反応して自動的に、反応が起こるのです。
いいでしょうか、それは自動的反応なのです。
一滴の水が、池に落ちると、池の水に反応が起こります。
すべては、反応の連鎖に過ぎません。
それゆえ、「私は何かを創造している」とあなたがいくら思っても、それは、行為とも呼べません。
なぜなら、反応しただけだからです。
自動的に反応(思考やイメージ)が発生する。
まず、そのことをよく調べる必要があります。
そうすれば、自動的に起こっていることがはっきりと理解できます。
つまり、自動的に反応が起こる、ということを、見てください。
自動的に起こる、ということは、あなたには関係がない、ということです。
が、もしも「私が思考している」という信念があるならば、あるいは、実際に思考を見て、私と思考とは別である、と自覚しなければ
いつまでも自動的に起こっている、ということは理解されず、おそらくいつの間にかもとの生活に戻ってしまうことでしよう。
一歩先は、つねに闇でしかありません。
もしもあなたが、本当に真実を見出したいのであれば、今すぐ、たった今この瞬間から、思考を見て、その存在を確かめ、あるいは、その源、ハートをすぐに探求しはじめることです。
つね今すぐ、つねに、今この瞬関です。
もしも、今発見しなければ、もしも、今自覚しなければ、きっと明日もまた、昨日や今日のように同じことを繰り返すことになるでしよう。
革命的瞬間は、つねに、今この瞬間しかないのです。
思考は、自動的に起こります。
何かが起こったとき、あなたは自動的に怒ります。
それを止めることは、できないのですが、その思考が起こったとき、その思考を見て、空を流れる雲のように消えていくのを見ることは可能です。
これが "赦し”です。
つまり、あなたはそこで、思考とは実在しない、と自覚するのです。
この自覚の連続、この認識の連続が、あなたをすぐに自由にしていくでしよう。
それは "赦し”の連続ということでもあります。
知識として保管しているのではなく、実際にそれを生きなければならないのです。
が、思考は、それをさせまいとします。
つまり、どんどん思考を続けます。
そうして、せっかく知識を得たとしても、それを生かせないまま、いつの間にか元の鞘に戻ってしまうのです。
もしもあなたが、起こった思考を見なければ、そのとき、あなたは「この考えは事実である」と認めることになりますから、幻想を認めることになるのです、実在だ、と。
これは、当然、赦すことにはなりません。
赦されなかった思考は、事実であるとして何度も繰り返し、同じようにあなたにやってくるでしよう。
なぜなら、あなたがそれを実在だ、事実だ、と認めているからです。
あなたにとって事実なら、あなたには何度も起こるでしよう。
なぜなら、それはあなたが欲している、ということにもなるからです。
もう一度、別な角度から見てみましよう。たとえば、何かに対して怒るとき、なぜ怒るのでしよう?
(怒りの原理。※重要。省略)
恐怖であれ、罪悪感であれ、怒りであれそれらは、あなたの欲望そのものなのです。
ところが、あなたはそれを望んでなどいない、と感じます。
望まないので、それから逃げたいのですが、それは恐怖、罪悪感、怒りが実在であり、力を持っていると認めることになります。
認めているので、逃避したいのです。
あなたは幸せになりたいのですが、幸せになるためには、自分のイメージした通りでなければならない、と思うのですが、この時点ですでに恐怖がある、ということです。
それゆえ、イメージした通りにならないとき、怖くて怒り出すのです。
自己防衛のために。
このように話していくと、欲望とはつまり自己防衛そのものだ、と理解されるでしよう。
自分の存在を守るために、あなたは欲望しているのですですから「怒り」もまた、欲望に過ぎません。
「怖い」ということですら、欲望なのです。
あなたは、「恐怖」を望んでなどいない、と思つでしようが、あなたが望まない、ということは、望んだ結果に過ぎないのです。
ある御方は間をおき、それからまた続けた
あなたは、たとえば何かが必要なら、そのことを考えますね。
そうして、それがあなたの前に現れるわけです。
同じように、あなたの前に現れたものは、すべてあなたが欲望した結果なのです。
それが「怒り」という思考であれ、神は、あなたに必要なものはなんでも与えられます。
すでに、与えられています勘違いしないでください。
神が、「怒り」をあなたに与えたわけではないのですが、
結果として、その「怒り」のおかげで、あなたは神を見出すでしよう
ですから、「怒り」に怒ってはなりません。
その代わり、「怒り」を理解してください。
理解とは何でしよう?
理解とは、考えてなんらかの結果を出す、ということではありません。
理解とは、それと共に在ることです。
それを、直接見て、感じることです。
「怒り」に対して、「これは何か?」と改めて見てみるのです。
共に在り、感じてみるのです。
そうすれば、あなたはこのように言うでしよう。
「私は怒りを知らない。
怒りは私の内に生まれたが、怒りというものは存在しない。
存在しないものを知ることはできない。
存在しないが、怒りもまた私自身である」
さて、このようにして自らの心を知ることが大切なのです
先に述べたように、このように欲望のすべてを知らなければなりません。
心をじっと見守るとき、まさにあなたは静かになっています。
あるいは、このようにし続けることで、心はどんどん静かになっていくのです。
あなたが、"在る”というはじめもなく終わりもないその瞬間に留まれないのは
まさに心がこのような成長を遂げていないからかもしれません。
まず、心を知ることです。
あなたはまず、心のマスター(救世主)にならなければなりません。
そうして、心がわかると、あなたは世界の全てをもまた、わかるようになるのです。
(省略)
視線を、あなたの心に向けることです。
つねに、一歩先は闇ですから、注意深く在ることです。
"気づき”続けることです。
その″気づき”が、あらゆることを明らかにしていきます。
あなたに必要な思考、アイデアは、神があなたにもたらしてくれるでしよう。
なぜなら、神は完璧なタイミングをすでにご存知だからです。
もう、不安になるのはやめなさい。
心配しなくても、よいのです。
すべては完全であり、完璧だから。
あなたに不安や心配をもたらすのは、ただあなたに起こる思考だけです。
誰かの言葉に、自動的に反応するその思考。
何かの出来事に、自動的に反応するその思考。
それらは、あなたではありません。
あなたのものではないのです。
が、すべてがあなたの内にあります。
神が、あなたとご自身の栄光のために、思考をもたらしたと思ってください。
自我を憎んではなりません。
なぜなら、その自我は救世主とならなければならないからです。
救世主であるあなたはこう言うでしよう。
ああ、神に栄光あれ
ただ、神のみが実在する、と

本:ヘルメス・ギーター
著:ヘルメス・J・シャンブ
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