(ハイヤーセルフのメッセージをお伝えしています)
私たちの魂は根源主と一つでありましたが、そこから離れ、この物質次元において肉体を持ち、他とは分離した意識、「私」「個」を経験しています。
その経緯についてお伝えしています。
『気が付くと怒りに身を震わせていたり、 妬みに身を焦がしていたり...それは当然なのです』ハイヤーメッセージ24
2021年10月29日
ハートチャクラを意識して。
吸う息に胸のハートチャクラを光輝かせる強さを、勢いを取り戻すエネルギー。
波長がこの吸う息の中に、息というよりも、その息のその裏側、その奥、見えない部分に感じる息のその裏側にエネルギー・波長があるので、
それをアジナーチャクラの松果体を上手く使って、その奥にあるエネルギーをハートチャクラで感じるのです。
ゆったりと深く、丹田呼吸は身体に任せ、松果体とこの胸のハートチャクラを、吸う息とともに感じてハートチャクラの力を少しずつ取り戻してゆくのです。
それらはすべて真我に戻るために機能・作用・勢いを取り戻すだけの事なのです。
0や1から開拓してゆくのではなく、100あったものが少しずつ機能を削いでいき、限りなく少ない力で動くところまで削いだ結果があなたであり、人間なのです。
だから機能を再び取り戻してゆくというスタンスでいるのです。
自分の中には全てがきちんと備わっており、すべてが100の力で機能していたという事を思い出してゆくだけなのです。
そこには焦る必要もまったく無いのです。
あなたはただゆったりとした中で、その機能を取り戻してゆくだけなのです。
あなたも含め人たちは、わたしたちも含め、根源主の中にあった時は、ただ一つであり、それぞれに意識が持たされていました。
それぞれに意識があり、ただそれが一つであるという強力な繋がりの中で意識がある状態。
すべてが一つであるものの中で、一つであることの機能をそれぞれそれぞれが自覚し、分担し、根源主の中では一つでありました。
その一つの中から幾世代にもおよび、一つ一つの意識が自分というものを真にどのようにあるのかを認識したくなった為に、一つであるという繋がりを解いていきました。
根源主の中では、一つというあまりにも強力な繋がりがあるので、その繋がり方しか分かっていなかったのです。
その繋がりを解いてゆくために、個々の意識は初めて“抗う(あらがう)”ということを意識上では分かってはいるのですが、それがどのようなものであるのか分からず手探りで“抗う”という事をやり始めました。
当初の抗い方は、個々が抗うという行為をやってみて、それによってどのような事になったのかを、一つ一つの意識がその結果の情報を交換し合いながら手探りで抗う事をやり始めたのです。
抗うという意識・言葉は分かっていても、行為的にどのような事が抗う事なのか全く分からず、
手探りの中、何度も何度も、何度も何度も無限の時間の、無限という中でそれらを繰り返しながら、“闇”という光のない状態を創り出しました。
ただそれもまだ抗うという本当の意味を知らずに、ただ闇というものを創り、そこから光と闇が協力し合い、一つの宇宙を創ったのです。
その宇宙において幾世代も宇宙を重ねながら、ようやくあなたの抗うためにこの物質の濃い波動の、非常に重い世界に降り立ったのです。
あなたも含め人たちもこの重さの中で抗うために、最初はすぐに抗いきれずに、すぐに元に戻されてしまいました。
ある意識が踏ん張って抗う事をやるために、自らの中に強力な“怒り”というものを創り抗ってみました。
するとすぐに戻っていた意識が少しこの次元にとどまることが出来、そのやり方を皆で共有し合い、
まず怒りという感覚を何度も何度も皆で繰り返しながら、集団的な意識をそこで上手に使いながら、怒りという事を皆で覚え使い、とにかく抗う事を一つ、第一歩として創り上げたのです。
しかしそれでも全く不十分で、しばらくすると戻ってしまいます。
怒りというものだけでは、この物質次元では長持ちしないのです。
それでもある程度とどまれることが分かり、怒るという事を言葉の上、意識の上では分かっていても、行為の中では分かっていなかったので、
色々な怒りを皆で共有し、皆で使い、怒りを研鑽(けんさん=深く極めること)していって、でもそれでもこの世界には長くとどまれなかったのです。
そこで次に“妬む”という意識を皆で共有し合い、一生懸命皆で妬みという感覚を研鑽し、ありとあらゆる妬み方をやってゆき、
そうするとまた少しこの世界にとどまれるようになり、抗うという色々な行為を実践しながらこの世界にとどまれるようになっていったのです。
抗うという行為は、根源主から離れる・分離するための手段であり、それは怒り、妬み、苦しみ、不足…
根源主からどんどんと離れてゆかなければ、自分というものを知ることが出来ないがため、色々と抗う行為を、苦しみという行為をやりつくした結果、
あなたも含め人たちの意識の中に、神からの根源からの分離をなし得たその結果が、そちらの物質次元での生き方なのです。
そこに居るという事は“抗う”その経緯が意識の中に、肉体の中に、すべて刻まれているので、そちらの世界に居るとどうしてもその抗う力に流されてしまい、
気が付くと怒りに身を震わせていたり、妬みに身を焦がしていたり、色々とそのような苦しみを作り出してしまうのです。
根源に戻るために、真我の目覚めが必要ですが、
そのためには抗うという行為の正反対の根源主にすべてを委ねる、すべてを託すという、反対の気持ちを持って、それを思い出してゆかなければなりません。
根源主にすべてを委ねるという事は、そちらでの行為を表現するとしたら
目の前にあるものを許したり
自分の中のものを許したり
目の前にあるものを受け入れたり
自分の中にあるものを受け入れたり
目の前にあるものを愛したり
自分の中にあるものを愛したり
目の前にあるものが光であることを認識したり
自分が光であることを認識したりと
抗うことの正反対のことを少しずつ心がけてゆくのです。
ただあなたも含め人たちは“抗う”という大変な作業をやってのけ、
またそれを固着化させるために集団的な意識を使って、強い強い思い込みを催眠を使って、洗脳を使って、強い強い思い込みを施しているため、
瞑想や呼吸法によって、波動が安定しても、一旦そこから抜けてしまうと、また現実の物質の世界の抗い方が
勝手に偽りの意識が作り出し、肉体がそれに反応してしまい、結果的に苦しんだり、悩んだり、悲しんだり、そのような事が起こるのです。
それを何とかしようともがくことも抗いであり、
そこから離れるには、ゆったりとした呼吸・ハートチャクラを開き、松果体・第三の目・アジナーチャクラを少しずつ活性化させながら、
すべてを委ねていた時の感覚を真我が目覚めるまで一歩ずつ一歩ずつ、今度は逆の方向に進むしかないのです。
物質の世界ではどうしても勝手に偽りの自我が反発し抗って、それに同調した肉体もそこに固着しようとして、
様々な怒りを作ったり、様々な妬みを作ったり、様々な悩みや苦しみを作ったりして、そこにとどまらせようとします。
それでも呼吸法、さらに瞑想を通じて、あなたの中の波長を整えることを少しずつでもそちらの世界でやってほしいのです。
すぐに苦しみから怒りから抜けることは、そちらの世界に身を長く置いてきた結果、勝手に体が意識が抗ってしまう。
それでも抗っていると分かったら、呼吸法、瞑想、自分に施(ほどこ)して光の波長を一つ一つ、この細胞に刻み込むような気持で行ってほしいのです。
その行く先があなたは真我の目覚めとして元に戻る経験をするでしょう。
目の前に起こっていることは、怒りを覚えたり、苦しみを感じたりするのは当然なのです。
しかしそれも抗う事から離れるための約束事であり、設定されたことなので、そこを乗り越えて、すべてが委ねられたところまで上り詰めて欲しいのです。
あなたはそれを今世において行うため大変な重荷を背負っています。
それでもそこに踏ん張って耐えて、一歩ずつ、一滴ずつ、前に進むのです。
☆**~☆**~☆**~
(ここからは、チャネリング後の夫との会話になります。)⇩
ぽの:
人間である私たちは元々100パーセントの完全な意識体だった。今は最小限まで波動を落としているというけど。それを元に戻すためには...?
夫:
呼吸法や瞑想を通じたり、その安定した波長が生まれる。
その安定した波長をこの体の細胞一つ一つに浸透させていく。
肉体が抗う事の、根源主に向かう正反対の方向にこの肉体の細胞の一つ一つが向いているから、
抗う方向ではなく、根源主と一つになる方向根源主に繋がる方向、そちらの方向に細胞の波長を一つ一つ変えていく。
血液の中に流れる赤血球にしても、
白血球にしても、
神経細胞の一つ一つにしても、
筋肉の細胞一つ一つにしても、
皮膚の細胞一つ一つ、
骨の中の骨髄細胞まで一つ一つ、
内臓の中の細胞、
肝臓の中の細胞一つ一つ、
膵臓の中の細胞一つ一つ...
そういう風に一つ一つの細胞に“安定した波長”を、一つに戻っていく為の波長に書き換えてゆく作業が、呼吸法であり瞑想。
それが今この宇宙からのサポートの波長が強く降り注いでいる時にはとてもやり易い状況。
それもやりながら、勝手に自然にこのチャクラが一つ一つが活性化されていくから。
もしくはその時その時に応じたマスターとの出会いによってね、活性化を促したりするだろうから、それに合わせて生きてゆくだけ。
焦る必要もなく、毎日変化が少ない状況だろうけど、それも覚悟して。
こちらの世界は本当に抗った結果、ここまで波動を落としているから。波動を落としたという事は、凄い凄い時間を作り出している。
また、あちらの光の世界に比べると、こちらの物質次元は物事が遅々として進まない。あちらの光の世界は思ったことが一瞬のうちに全てがなされる。
それに比べてこちらは思ったことが一つ一つやり上げていかないといけない。
それをきちんと認識して、認識したら覚悟を決めて、勇気をもって、決断をして、ここに戻ってゆく一歩一歩を肉体に刻み込んでゆくだけ。
ぽの:それは今世のうちにできるという事?
夫:
そう、この宇宙からの光の波長がこれだけ強くなっている今だから。
ぽの:
その波長が強くなっている今、覚醒を目的に生まれてきている人達は、その覚醒を促されるわけでしょ。
カルマ的なものなのか、約束されてきた苦しみが目の前に見せられて、その苦しみを通して目覚めるように設定されている。
でも物凄く苦しくて、この中でリラックスしようとしても...
こんな苦しい中じゃなくても、楽な状態でリラックスしたらいいんじゃないかと…
でもこの状態だからこそ、苦しみを通してでないと、それは成し得ないことなの?
夫:そう。
ぽの:それが本来の力を取り戻すという事になるの?
夫:
そう。世の中にある程度お金があり苦労のない状態で生きている人間はいっぱいいる。リラックスした状態かもしれない。
けどその人たちは目覚めることが無い。何故なら戻ろうという意識が起きないから。この物質次元に存在することに全く違和感を感じない。
こちらで苦しむ理由は、その苦しみをバネにして本質の世界に戻ろうという気持ちがきちんと蘇るようになっている。
『もうこんなところにとどまらない。
どんな誘惑があろうが、どんなものがもらえたとしても、もうここにはとどまらない。
戻る、ただ戻る。何も必要としない。ただ戻る!』
そういう覚悟を決めるための苦しみが用意される。
それが無いと本当の決意にならない。
また本当の決意といってもそれはなかなか実行が難しいから、日々の苦しみが目の前にあったら、それを利用して少しでも呼吸法を行い、瞑想を行い、安定した波長をまずこの身体に浸透させること。
さらに呼吸法も瞑想も集中力がどんどんと増してくると、本当に意識状態が変容して変性意識状態になった瞑想・呼吸法が出来るようになってくる。
全く今とは違う次元の瞑想が少しずつ少しずつ深まっていく。
その為にきちんと苦しみが用意されている。
ぽの:
その苦しみは思考で、何が善い、何が悪いとジャッジしたり、自分を責めたり相手を憎んだりするけど、そういうことに意識を向けないように...
夫:
向いてしまうけど、出来るだけ目の前にあるものは放っておく。
ぽの:
そこを何とかしようとはしない。
夫:
そう。それは抗うことだから。
抗う事をみんなでやり合って喧嘩したり、怒りをぶつけ合ったり、殺し合ったり、色んなことをいっぱいやってここに定着している。
今度はその抗う事を少しずつ身体から抜いていって...
ぽの:つまりそれが浄化ね。
抗う☜これやらない為に、リラックスすることによって浄化!
夫:
そう。要するに抗うというエネルギーが砂粒のようにこの体の中にギッシリと詰まっている。
それを抜いていくという毒抜き。それが浄化。だから一回深い呼吸をすることも浄化。
でもそれもね、本当にあの砂漠の砂を想像して分かるように、あの砂粒一個一個取り除いて、あの砂漠を空っぽにするといった行為だから。
でもそれこそ本当に、でもやっていけばいつか必ず...
ぽの:
でも!そういう風に言うと、じゃあ今世はこの砂漠の苦しみから抜けるのは無理だなってことに…
夫:
いやいや、そんな事じゃないわけね。例えでいうとそんな感じなんだけど、取り除いていって取り除いていって、全部取り除いて完成!じゃないわけね。
取り除いてある程度取り除いていくと、何かが見えてくるからそれを使って、それがね例えばチャクラをゴーー!!っと動かすための何かがある。
だから取り除いていくのは必要。そこに埋まっている何かがあるから、それを使って次は取り除く勢いが強くなる。
例えば一個一個取り除いていると、そこに掃除機が埋まっていて、その掃除機を使ってブワァー!っといっぱい吸い込める。
そしてこの掃除機で吸い込んで吸い込んでいたら、今度はそこにデッカーい重機・ユンボ・ブルドーザーみたいなのが埋まってて、今度はそれでやったらもっと遥かに取り除けるや!みたいな。
そういうものの繰り返し。だから日々少しでもやっていくことが大事。
だから苦しむことは当たり前。苦しむことは当たり前だけど、そこにそんなにいっぱいどうしよう~!もう嫌だ!ってそんなに思う必要はない。
ぽの:
さっきも話したけど浄化というのは、決して余裕がある状態で出来るものではなくて。
浄化は苦しみとセットだから出来るという事ね。
コインの表裏と同じようで、このコインをしっかり自分で掴んでいないといけないというものなのね。
苦しくて逃げたくなるけど...持ってるコインを手放したいけど...
でもそうやって目覚めていく。この苦しみ無しでの覚醒はあり得ない。
よくマスターたちは、目の前の苦しみ、立ちはだかる大きな壁のように感じるものは、壁ではなく、それは光への扉ですと言うでしょ...。
夫:
でも光の扉だと分かるのは本当にそこを乗り越えた時にしか分からない。または覚醒する瞬間。
それまではただ辛抱。耐えていくしかない。
その為の勇気と決断を持たないといけないだけ。
ぽの:
どうしてこのような苦しみばかりが!設定だか何だか知らないけどー!とずっと嘆いてきたけど、それがあるからこそ覚醒できる事を、しっかり理解していないといけないという事ね。
夫:
でまたそういう苦しいことはこの世界では常に起こると。自分が覚醒するまでは人生には常に起こってくると、形を替えて起こってくるというのがこの世界の常、システム。
ぽの:
それは与えられていると思えばいいのかな。
夫:
まあ、大きい意味でいうと、根源主が僕らが逆方向に行かないために(戻る為に)上手く与えてくれているという。
ぽの:
自分の魂が設定しているという...
夫:
そう。自分がまた逆の抗う方向に行って、またこちらに固着してしまわない為に。
目覚めたいと思った君の意識は、また過去世においてもこの世界の苦しみから抜け出したいと思った過去の君の意識も、その願いに合わせて根源主も神も、きちんと目覚めるようにこちらに向くように促してくれている。
そういう風に捉えられるといい。何があっても心をへこたれる事なく強く持てるように。
ただ捉えたとしても現実は変わるわけではない。現実の苦しみがグーンと無くなる訳でもない。常に苦しみは覚醒へのバロメーターとしてあるから。
ただただ自分の中を見つめられるようになる為に、集中力を研ぎ澄ますために、日々の瞑想、日々の呼吸法。
ぽの:
しかし何でこんなことが起こるんだろうと思考は追及するんだよ。
今までの宗教などの教えでは、過去世のカルマだとか、報いだとか、そういう風に教えられてきたと思うけど。
例えば相手にしたことは自分に返ってくるといった。
でもそれは以前ハイヤーも言っていた
「カルマとは人々の集合意識が創り出した、地球に自分たちを縛り付ける観念です」と。
生まれる前にお互いが様々な経験するために、役目を担って設定していたにも関わらず。
しかしその観念がある為に、悪役を買って出たほうは縛られるといった。
カルマという思い込みを背負う事になり、輪廻を、永遠に苦しみを終わらせることが出来ないといった。
全ては愛から始まったことが、罪悪感や罰といったもので自らを縛ることになる。
エンマ大王様が舌を引っこ抜くという話とかね。
乗り越えるという話ならいいけど、永遠の罪悪感から抜け出させないというのは...
【小さな魂と太陽の話。👈ぜひこちらをお読みください。
ある小さな魂が、偉大な神の「“許し・赦し”」を体験的に知りたかった。その為には許すという経験を、自らが体験する必要がありました。
それは一人では出来ることではなかった。苦しみを与える側という闇の役割をしてくれる魂も、設定上必要だった。
すべてのことは、お互いの愛から始まり成り立っている。
しかし私達はそれを忘れているから、その闇という役割をしてくれた魂に罰を与えるという、その観念がこの地上では当然な形になってしまった。】
でもそれも浄化していく、手放していく。
ただ目の前の現実の苦しみというものがれば、それもただ目を覚ましていく為の設定だよ!と
それが常にあることを意識して、自分を責めない、人も責めないってね。
夫:
それも大事だし、そのレベルレベルに於いて、その必要のない観念は置いていく。
最初人間が目覚める方向に向かうためにはエンマ大王の話も必要。
エンマ大王の話が終わったら、カルマの話も必要。
どうしても眠りの深い人たちに必要な事はある。
ぽの:
以前ハイヤーが「カルマというものを使って学ぶ」という段階と、それさえも必要がないと理解して「カルマを手放す段階」があると伝えていた。
過去世療法を最初に世に伝えた人といわれるエドガーケイシーは、彼は過去世においてエジプトの神官も、殺人鬼も、様々な人生を体験したと語っていた。
しかし彼は、多くの人々を目覚めに向かわせるという人生設定はあっても、千回殺されるというカルマは背負っていなかったんだよ。
夫:
目覚めの段階が少しずつ少しずつ上がってきた人達は、もうそのカルマという観念は必要ないから、
必要のない観念に縛り付けてそこで思考を巡らせることなく、もうそれは捨てて、直観的に新しい観念に従い
(覚醒したマスターの方々の伝える観念。高次元から伝わってくる観念)
「ああ、なるほど!自分はここを扉にして元に戻ろうとしている。」
そのように新しい観念が生まれてくるから、その観念で自分を思考を上手く制御していく。
過去の観念はもう必要ない。
ぽの:
そう!コメントくださった方の質問は?
浄化とは?ということに対しての答えはこれにあたるの?
夫:
そう。君が質問したのも含め。とにかくこの世界は苦しみがあって当然。
ただ苦しみがあるからって、また更に苦しみを自分の中でいっぱい作る必要はもうない。
それを出来るだけ上手く利用し、苦しいのは当然、当たり前と。
でも当たり前と分かれば、そこに当たり前のことが起こっているだけなので、そこに対してまた起こったかと思えば、苦しみは半減してく。受け止め方でね。
その時にドーン!!と苦しみを受けるというよりも、分かっていれば「またやってきたなと、こんなことか~」と流せればそこまで入り込まずに済む。
現実の扱い方を上手く視点を変えられるようにしながら、どうせこのような苦しみは起こってくることは当たり前だから、
まあどうせこの人たちはこういう行為をするのは分かっているし、おお!きちんと設定通りプログラムされた通りにやってくれているねと。
ちょっと心は苦しいけど、まあいいやみたいな。
それよりも今ちゃんと瞑想して、目を覚ますために前に歩みなさいと促されているんだなときちんと気持ちを切り替えてゆくだけ。
ぽの:うん。ありがとう。
☆**~☆**~☆**~☆**~
長い文章を読んでいただきありがとうございました。
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