前回、並木さんが地獄というのは
「カルマというトラップ(罠)だよ!」
とお話している動画を見てかなり衝撃をうけたのですが。
このあと【神との対話】の本を思い出したのです。
「ヒトラーは天国に行ったのだよ。」
こちらもかなり衝撃的でした。
昔この言葉を読んだ時は、聞き流していたような…
今ならここに書かれてあることがちゃんと入ってくるのでした。
(並木さんのお話をお聞きしてから。)
興味のある方は読んでみて下さい。
本:【神との対話 2】
宇宙を生きる 自分を生きる
著:ニール・ドナルド・ウォルシュ
P55~
神:
あなたは、自分を偉大だとは思っていない。
ニール:
自分の短所だの過ちだの、悪いところがみんな
見えているのに、どうして偉大だなんて思えますか?
神:
いいかね、悪というものはないのだよ!
ニール:
そうだといいんですが。
神:
あなたは完璧だ。あるがままで。
二ール:
それも、そうだといいと思いますよ。
神:
しかし、それが真実だよ!
苗木だから完璧ではないということじゃない。
幼い子供もおとなと同じように完璧だ。完璧そのものだ。
彼らは自分の完璧さを損なうことなど、
何もできないし、知らないのだから。
子供は過ちをおかす。立ち上がり、よちよち歩きをし、
転ぶ。また立ち上がり、よろよろと歩き、ママの足にしがみつく。
だからといって、子どもが完璧でないということになるかな?
とんでもない、その逆だよ!子供は完璧そのものだ。
かけることのない、ほめたたえるべき完璧な存在だ。
そして、あなたもそうなのだ。
ニール:
でも、子どもは何も悪いことをしないでしょう。
意識的に逆らったり、ひとを傷つけたり、
自分を傷つけたりはしませんよ。
神:
子供には「正しい」と「悪い」の区別がつかない。
ニール:
そのとおりです。
神:
そして、あなたもだ。
ニール:
でも、わたしにはつきますよ。人殺しは悪いことだし、
愛するのは正しいことだ。ひとを傷つけるのは悪いことだし、
癒し、改善するのは正しいことです。
自分のものでないものをとるのは悪いことだし、
ひとを利用したり、不正直だったりするのも悪いことです。
神:
その「悪い」ことがみな、正しくなる例をいくらでも見せてあげれるよ。
ニール:
またふざけているんですね。
神:
とんでもない。事実を指摘しただけだ。
ニール:
どんなルールにも例外がある、とおっしゃりたいのなら、
それはそのとおりですが。
神:
例外があるなら、ルールではないな。
ニール:
それじゃ人殺しは悪くない、傷つけたり、ひとのものを
とるのは悪くないとおっしゃるんですか?
神:
それは、あなたが何をしようとしているかによるだろう。
ニール:
オーケー、わかりましたよ。だけど、だからって、
人殺しや傷害が良いことにはなりませんよ。
時には、良い目的のために、悪いことをしなければ
ならないこともありますが。
神:
それは、結局「悪いこと」じゃない。そうではないか?
それは目的のための手段にすぎない。
ニール:
目的のためには、どんな手段も正当化されるとおっしゃるんですか?
神:
あなたはどう思う?
ニール:
そんなことはない。絶対にありませんよ。
神:
それなら、そうだろう。あなたはいま、ルールをつくりあげている。
まずそれはわかるかね?
それでまったくかまわないのだ。
それがわかるかな?あなたはそうすべきだからだよ!
人生とは、自分が何者であるかを決め、それを体験するプロセスだ。
あなたは視野をひろげながら、そこにあてはまるべき
新しいルールをつくる!自分についての考えをひろげながら、
新しい正邪や、イエスとノーでそれを囲む。
それは、あなたが押しこんでおけない何かを
「押しこんでおく」境界なのだ。
あなたは「自分」押しこんではおけない。なぜなら、
あなたは宇宙と同じく、限りないものだから。
だが、あなたは限りない、際限のない自分自身について
想像をめぐらし、何らかの概念をつくりあげ、それから境界を受け入れる。
自分をふくめて何かを知るためには、ある意味ではその方法しかない。
(省略)
自分とは何者かを決めるために「正しい」ことと
「悪い」ことをつくりあげているのだとういうことが、
理解できたかね?そうした定義、つまり境界なしには、
あなたは何者でもなくなる、それがわかるかな?
それに、わたしと同じで、あなたの場合も、自分とは
何者かという考えが変化し、それにつれて境界も
変化していることがわかるかね?
ニール:
おっしゃることは、わかるような気がします。
でも境界を――自分個人の境界ってことですが――
変えているとは思えないんですが。どんなときも、
ひとを殺すのは悪いことだし、盗むのも悪いことです。
ひとを傷つけるのも悪いことですよね。
わたしたちが自分を律している最大の概念というのは、
時のはじめからあって、人間のほとんどはそれに
同意しているんじゃないでしょうか。
神:
それじゃ、どうして戦争がある?
ニール:
それは、ルールを破る人間はいつでもいるからでしょう。
どんな樽(たる)にも、腐ったリンゴがあるってことじゃないかな。
神:
わたしがこれから言うことはとても理解しにくい、
受け入れにくいと思うかもしれない。
あなたがたのいまの思考システムで、
真実とされていることと矛盾するからだ。
だが、あなたがたがいまのシステムのままで生きていくなら、
この対話は役立たない。そういう概念と真っ向から
ぶつかっていかなければならない。
しばらくは悪戦苦闘が続くだろうな。
さあ、用意はいいかね?
「腐ったリンゴ」などというものはない、
ということだよ。あるのは、
あなたの考え方とはちがう考え方をするひと、
ちがう世界のモデルをつくりあげているひとだけだ。
いいかね、どんな者でも、自分なりの世界モデルにてらせば、
何も間違ったことはしていない。
ニール:
それじゃ、その「モデル」が間違ってるんじゃないですか。
何が正しくて、何が間違っているか、わたしにはわかっていますよ。
それがわからないひとがいるからって、
わかっているわたしの頭がおかしいってことにはならないでしょう。
おかしいのは、向こうのほうですよ!
神:
残念ながら、まさにそういう考え方が戦争を引き起こすのだよ。
ニール:
わかってます、わかってますよ。わざと言ったんです。
みんなが言うことを、まねしただけです。
でも、そういうひとたちには、どう答えればいいでしょう?
どんな答え方がありますか?
神:
「正邪」に対するひとの考え方は、文化によって、
時代によって、宗教によって、地域によって、…
それどころか家庭によって、ひとりひとりの個人によって…
いくらでも変わるし、変わってきたと言えばいい。
ある時代におおぜいのひとが「正しい」と考えてことが、
たとえば魔女だと思ったひとを火あぶりにするといったことが、
現在は「間違っている」とされる。
「正邪」の定義は時代ばかりでなく、単純に地理にも左右される。
地球上の活動のあるもの(たとえば売春)は
ある場所では違法行為だが、
ほんの数マイル離れたら合法行為になるではないか。
誰かが「間違った」ことをしたかどうかは、
行為そのものではなくて、どこでしたかによって判定される。
さて、そんなはずはない、理解できない、
と言うひとがいるのはよく知っているがね。
ヒトラーは天国へ行ったのだよ。
ニール:
そういう考え方は受け入れられるかなあ。
神:
この本の目的、三部作のすべての目的は、
新しいパラダイム、新しい理解、大きな視野、
偉大な考え方を受け入れる準備を整えることなのだ。
ニール:
それでは、きっとおおぜいのひとが考え、
聞きたがっている質問をさせてください。
どうして、ヒトラーのような人間が天国に行けるんですか?
世界中のどんな宗教だって…どんなひとだって、
彼は有罪だと宣言して、地獄に送るに決まっています。
神:
第一に、彼は地獄には行けない。地獄というものがないからだ。
だから、彼が行けるのは一か所しかない。
そこで問題が起こる――。ほんとうの問題は、
ヒトラーの行動が「悪」かどうかということだ。
ところが、わたしは、宇宙には「正」も「悪」も
ないとくり返して言っている。
ものごと自体が正であったり、悪であったりすることはない。
ものごとはものごと、それだけだ。
さて、ヒトラーは怪物だと考えるのは、
彼が何百万人もの人びとを殺せと命じたからだろう?
ニール:
もちろん、そうです。
神:
では、あなたがたが「死」と呼ぶものが、
じつは誰にとっても最高の出来事だと言ったらどうかな?
ニール:
とても、そうは思えません。
神:
あなたは地上の暮らしのほうが天国での命よりも
良いものだと思っているのか?いいかね、
死の瞬間にあなたは、かつて味わった最大の自由、
最大の平安、最大の喜び、最大の愛を知るだろう。
ニール:
でも、たとえ死後にどんなすばらしい天国での命が待っていようと、
当人の意志に反してこの世の人生を絶たれるべきじゃない、
その事実を無視していらっしゃいますよ。
わたしたちは、何かをなしとげ、経験し、学ぶためにここに来た。
狂った考えの犯罪者が、その人生を中断する権利はないでしょう。
神:
第一に、あなたがたは、ここに何かを学びに来たわけではない。
人生は学校ではないし、ここでのあなたの目的は、
学ぶことではなく思い出すことだ。
それに、人生はいろいろなことで「中断」されるよ。
…台風、地震、災害…
ニール:
それは、話がべつですよ。
おっしゃるのは、神の業(わざ)ではありませんか。
神:
すべては、神の業だよ。
わたしが望まなければ、どんなことも起こりえないとは思わないか?
わたしの意に逆らおうとしても小指一本、上げられないとは思わないか?
わたしの意に逆らってはどんなことでもできないのだよ。
それはともかくとして「間違った」死という考え方について、
一緒に探ってみようか。病気で人生が中断されたら、
それは、「間違っている」だろうか?
ニール:
「間違っている」という言葉は、ふさわしくないでしょう。
病気で死ぬのは、自然なことですから。
ヒトラーのような人間が殺人を犯すのとは、わけがちがいます。
神:
それでは、事故は?愚かしい事故――は?
ニール:
同じことです。
運が悪いし、悲劇でしょうが、それも神の意志です。
わたしたちには神の心をのぞくことはできないし、
なぜ、そういうことが起こるのかわからない。
知ろうとすべきではないんです。
だって、神の意志は不変で、不可知ですから。
聖なる謎を解こうとするのは、人智を超えた
知識に対する欲望です。罪深いことです。
神:
どうして、わかる?
ニール:
だって、そういうことを理解させたいと
神が望んでおられるなら、理解できるはずでしょう。
理解していない、できないという事実が、
神が理解させようという意志をもっておられない証拠です。
神:
なるほど。あなたが理解できないという事実が、
神の意志の証拠か。それが起こったという事実は、
神の意志の証拠ではないわけだね。ふうん…。
ニール:
どうも、あんまりうまく説明できなかったようですけど、
でも、自分が何を信じているかは、わかっているんです。
神:
では、神の意志を信じるかな、神は全能だと信じるか?
ニール:
はい。
神:
だが、ヒトラーに関することだけはちがうわけだ。
あれは、神の意志ではなかった。
ニール:
ええ。
神:
どうして、そんなことになるのかな?
ニール:
ヒトラーは神の意志を踏みにじったんですよ。
神:
わたしが全能なのに、どうしてそんなことが起こったのだろう?
ニール:
それは、彼の行動を放置しておいたからでしょう。
神:
わたしが放置したのなら、それがわたしの意志だろう。
ニール:
うーん、そのようですね……。
でも、あなたがそんな意志をもつなんて、
いったいどんな理由が考えられますか?
考えられないですよ。
いや、彼に自由な選択をさせる、それがあなたの意志だった。
そうじゃないですか。彼は自分の意志で行動したんです。
神:
うん、なかなか近いところをついている。非常に近いよ。
もちろん、あなたの言うとおりだ。
ヒトラーは――誰もがそうだが――
自由に選択することができる。
そして、わたしが望む選択をしなかったからといって、
そのひとを未来永劫に罰するという意志をわたしはもっていない。
もし、そうだとしたら、どうして「自由」な選択ができるだろう?
わたしの望みに反したら、
言語に絶する苦しみを味わうとわかっていたら、
あなたは自分のしたいようにできるかね?
それが自由な選択と言えるだろうか?
ニール:
罰せられるということではないでしょう。
たんなる自然の法則ですよ。因果(カルマ)の問題だ。
神:
あなたは神学の組み立て方をじつによく勉強したようだね。
それで、わたしを復讐の神だと考え、しかも、
その責任をわたしに負わせないという工夫ができるらしい。
だが、その自然の法則を創ったのは誰だろう?
自然の法則を定めたのもわたしだとしたら、
どうしてわたしは自然の法則を創り――
つぎに、自然の法則を超える力をあなたに与えたんだろうね?
あなたがたが自然の法則に影響されないことを望んだとしたら――
わたしが生み出した素晴らしい存在が、
決して苦しまないようにというのがわたしの意志だとしたら――
どうして、わたしはあなたがたが苦しむ可能性を残したりしたのか。
それに、どうしてあなたがたを昼も夜も誘惑し、
わたしが創り出した法則を破らせようとしたりするのだろう?
ニール:
誘惑するのは、あなたではない。悪魔です。
神:
そら、またわたしには責任を負わせまいとしている。
あなたの神学を合理化する唯一の方法は、
わたしを無力な神にすることだ。
そこがわかっているのかな?
あなたの倫理の筋を通そうとしたら、
わたしの倫理には筋が通っていないというしかない、
それがわかっているのかね。
あなたはほんとうに、神は自分が創り出した存在の行動を、
コントロールする力がないと思っているのかな?
ニール:
あなたが悪魔をコントロールできないとは言っていません。
もちろんあなたは、すべてをコントロールできる。
だって、神ですよ!ただ、あなたはそうしないんだ。
あなたは、悪魔にわたしたちを誘惑させて、
わたしたちの魂を奪おうとさせているのです。
神:
しかし、何のために?
あなたがたが神のもとへ戻ることを望んでいるとしたら、
どうしてわたしは、そんなことをするんだろう?
ニール:
それは、ほかに道がないから行くのではなく、
わたしたちが自ら選択して、神のもとへ行くことを
望んでいらっしゃるからです。
あなたは天国と地獄を創り出し、選択できるようになさった。
だから、わたしたちはほかに道がないから
その道を進むのではなく、自分で選択して行動できるんです。
神:
どうして、そう考えるのか、よくわかるよ。
あなたがたの世界をそんなふうに創ったのはわたしだ。
だから、あなたがたはわたしの世界も同じだろうと考える。
あなたがたの現実では、神は悪なしには存在しえない。
だから、わたしの世界もそうなのだろうと、あなたは思う。
しかし、いいかね。
わたしのいるところには「悪」はないし、悪魔もいない。
あるのは存在のすべて、それだけだ。
すべてはひとつ。そしてその認識と経験だ。
わたしの世界は、絶対の世界であって、
そこでは、ひとつのものが他との関係によって存在しているのではなく、
何ものからも独立して存在している。
私の世界は、存在するすべてが愛であるところだ。
ニール:
そして、わたしたちが地上で考えたり、言ったり、
したりすることの結果は何もないんですか?
神:
おやおや、結果はあるだろう。まわりを見てごらん。
ニール:
わたしが言うのは、死後のことです。
神:
「死」というものはない。
生命は永遠に続く。生命はある。
ただ、かたちを変えるだけだ。
ニール:
わかりました。それでは――かたちが変わったあとに、と言い換えます。
神:
かたちが変わったら、結果も存在しなくなる。
ただ、知があるのみだ。
結果は、相対性の世界の要素だよ。
絶対の世界ではありえない。
結果とは、線を書く「時」と「ものごと」の
連鎖によって決まるのだから。
絶対の世界には、それも存在しない。
そこにあるのは平和と喜びと愛、それだけだ。
そこで、あなたがたはついに「良い知らせ――福音」
を聞くだろう。「悪魔」は存在しないし、
あなたがたはつねに自分が考えたとおりの存在、
善であり愛であると知るだろう。
自分はそんなものじゃないという思いは
外部の狂気の世界の産物で、
それがあなたがたを狂気の行動に駆り立てる。
審判と非難、そういう外部の世界だ。
他者があなたに審判をくだし、その審判にしたがって
あなたは自分に審判をくだす。
そこで、あなたがたは、今度は神に審判してほしいと願う。
だが、わたしは審判をくださない。
あなたがたは人間のように行動しない神を理解できない、
そこで途方に暮れる。
あなたがたの神学は、自らをもういちど発見しようという試みだよ。
ニール:
わたしたちが信じているのは狂気の神学だとおっしゃる――
だが、報酬と懲罰というシステムのない神学なんて、
ありえるのでしょうか?
神:
すべてはあなたがたが人生の目的をどう見るか、
つまり神学の基礎をどこにおくかによって決まる。
人生はテストだ、試練だ、自分が「価値ある存在」
かどうかを知ろうと試みる時間だと考えれば、
あなたがたの神学は筋が通る。
だが、人生は機会であり、自分に価値があるということを
発見する(思い出す)プロセスだと考えれば、
あなたがたの神学がとても、まともとはいえないよ。
逆の考え方をして、神は利己的で、
関心や賛美、評価、愛を要求する、
そして、そのためには殺すことも辞さないと考えれば、
あなたがたの神学はつじつまがあうようになる。
神は自我もなければ何かをする必要とすることもない、
存在するすべての源であり、
すべての知識と愛の座であると考えるならば、
あなたがたの神学はばらばらに崩れる。
もし、神は復讐心が強く、彼は愛すれば嫉妬し、
怒れば荒れ狂うと考えるなら、あなたがたの神学は完璧だ。
もし、神は平安だ、彼女は愛すれば喜びに満ち、
歓喜すれば恍惚(こうこつ)となると考えれば、
あなたがたの神学は無益だ。
いいかね。人生の目的は神を喜ばせることではない。
人生の目的は、自分とは何者であるかを知ること、
自分を再創造することなのだよ。
自分を知り、再創造すれば、神を喜ばせるし、
彼女をほめたたえることになるのだ。
ニール:
いま「彼女」とおっしゃいましたね。
あなたは女性なのですか?
神:
わたしは「彼」でも「彼女」でもない。
あなたのせまくるしい、偏った考え方をゆすってやろうとして、
女性代名詞を使ってみただけだ。
あなたは、神がある者であるなら、べつの者ではないと考える。
それが、大きな誤りだ。ヒトラーは天国へ行った。
地獄というものはないから、ほかに行くところがないのだ。
彼の行動は、あなたがたに言わせれば、
「過ち」--未発達な者の行動だ。
しかし、過ちは非難して罰するべきものではなく、
修正するチャンス、発達するチャンスを与えるべきものだ。
ヒトラーが犯した過ちは、彼が死にいたらしめた人びとを
なんら害することも、侵すこともなかった。
あの人びとの魂は、地上の束縛から解放された。
さなぎから蝶が解放されるようにね。
残された人びとが彼らの死を悼むのは、
彼らの魂がどんな喜びへと分け入ったかを知らないからだ。
死を経験したら誰も死を悼んだりしないよ。
彼らは時ならぬ死をとげたのだから「間違っている」
とあなたは言うが、それは、宇宙では起こるべきでないことが
起こりうると言っているのと同じだ。
だが、わたしが何者で、どのような存在であるかを考えれば、
それは不可能だよ。宇宙で起こることはすべて、
完璧に起こるべくして起こっている。
神はずいぶん長いあいだ、過ちを犯してはいないのだ。
すべての完璧さを見るなら
――あなたが賛成できることばかりでなく、
とりわけ賛成できないことでも完璧だと考えるなら――
悟りを開いたことになる。
ニール:
どうして、ヒトラーが天国へ行ったのか?
さっき、説明してくださっとっことはわかりますが、
でも、もう少し聞かせてほしいんです。
それから、そうした出来事の背後にある目的とは何か?
その大きな目的と、ヒトラーやほかの独裁者とはどう関係するのか?
神:
では、目的ということから説明しよう。
すべての出来事、すべての経験には、
機会を創出するという目的がある。
出来事も経験も、機会なのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「悪魔のしわざ」とか「天罰」とか「神からの褒美」
などと考えるのは過ちだ。
出来事や経験は出来事や経験として起こるにすぎない。
それに意味を与えるのは、わたしたちがどう考え、
どう行動し、どう応えるかだよ。
出来事も経験も、あなたに引き寄せられる機会で、
意味を通じて個人的、集団的に創り出される。
意識は経験を創り出す。その意識を、
あなたがたは向上させようとしている。
機会を引き寄せるのは、あるべき自分を創り、
体験するためで、あるべき自分とは、
いまのあなたよりも高い意識をもった存在ということだ。
わたしは、あなたにあるべき自分を知らせ、
体験させようと思って、そのために自分が創り出そうとする
出来事や経験を引き寄せさせているのだよ。
宇宙のゲームに参加しているほかのプレイヤーが
ときどき、あなたと一緒になる。
短い出会いであったり、ちょっとした通りがかりであったり、
一時のチームメイトということもあれば、
長年の知り合い、親戚、家族、愛する者、
人生のパートナーであったりする。
そうしたひとたちの魂は、あなたが引き寄せているのだ。
そして、あなたも彼らに引き寄せられている。
お互いの選択や欲望を表現する、共通の創造的な経験だね。
誰も、偶然にあなたのもとへやってくるのではない。
偶然などということはない。
なにごとも、いきあたりばったりに起こりはしない。
人生とは機会の産物だ。
出来事も同じく、あなた自身の目的のために、
あなたが引き寄せている。
全地球的な経験や展開は、集団的な意識の結果だ
グループ全体の選択や欲望の結果として、引き寄せられてくる。
ニール:
「グループ」というのは、何のことですか?
神:
集団(グループ)意識というのは、あまり理解されていないが、
きわめて強力なもので、注意しないと
個人の意識をはるかにしのいでしまう。
だから、地球上の大きな人生経験が
調和のとれたものであってほしいなら、
どこにいても、何をしても、自分自身も
集団意識を創り出そうと努力しなければならない。
あなたの意識を反映しない集団意識をもったグループにいて、
集団意識をうまく変更できないとしたら、そこから離れたほうがいい。
そうしないと、グループに引きずりまわされてしまう。
あなたの意思とは関係なく、
グループが行きたいところへ連れていかれてしまうよ。
自分の意識と合った集団意識をもつグループが
見つからないなら、自分で作りなさい。そうすれば、
似たような意識をもった人びとが引き寄せられてくるだろう。
個人や小さなグループは大きなグループに影響を与え
ーー最後にはいちばん大きなグループ、
つまり全人類に影響を与えーーなければ、
地球上に、永続的で有意義な変化を引き起こすことはできない。
あなたの世界、そして世界のありようは、
そこに住むすべてのひとたちの意識の集合の反映だ。
まわりを見まわせば、やるべきことがたくさんあるのがわかるだろう。
もちろん、いまの世界で満足していればべつだが。
驚いたことに、たいていのひとは満足している。
だから、世界は変わらない。
たいていのひとは、類似点ではなく、
相違点が重視され、意見やものごとの不一致が、
紛争や戦争で解決される世界で満足している。
たいていのひとは、適者生存で、「力は正義なり」で、
競争が不可欠で、勝利が最高の善とされている世界で満足している。
そういうシステムが「敗者」を生むとしても
ーー当然、生むのだがーー
自分が敗者でなければ、それでいいと思っている。
そういう世界では、
「間違っている」と判定されたひとは殺害される。
「敗者」であれば飢えたりホームレスになったりし、
「強者」でなければ抑圧され、搾取されるが、
そんな世界でも、たいていのひとは満足している。
たいていのひとは、自分とちがうことがあると
「間違っている」と決め付ける。
宗教的な相違はとくに認めないが、
ほかにも社会的、経済的、文化的な相違を許さない。
上層階級は下層階級を食いものにしていながら、
前よりは良くなっているじゃないか
という勝手な理屈をつけて正当化する。
上層階級はそうやって、恐るべき状況が
わずかばかり改善されたことを理由に、
ひとが真に公正に扱われるとは
どういうことかを無視し、きたない利益を得る。
いまあるシステム以外のシステムを提案すると、
たいていのひとはあざわらい、
競争や殺人や「勝者による戦争の利益」が、
偉大な文明を築いてきたのだと反論する!
たいていのひとは、
ほかに生き方があるかもしれないとは考えもせず、
いまのような行動が人間の本性だから、ほかのやり方では、
人類の成功の原動力となってきた精神が破壊されるとすら考える。
(だが、誰も「どんな成功か」を問わない)。
こんな考え方は、真の悟りを開いた者には
とても理解しにくいが、地球上のたいていのひとは、
そうしたやり方を信じている。
だから、おおぜいの苦しみや少数派の抑圧、
下層階級の怒りに見向きもせず、
自分と家族以外のひとたちだって、
生きる必要があるということを顧みない。
たいていのひとは、自分が地球を
ーー命を与えられた星をーー
破壊していることに気づかない。
自分の暮らしを良くすることばかり考えているからだ。
驚くほど近視眼的だから、
短期的な利益は長期的には喪失につながるかもしれない。
それどころか、そういうことのほうが多いのに気づかない。
たいていのひとは集団的な認識におびえる。
集団的な善や、世界はひとつ、すべての創られたものと離れず、
一体として存在する神といった考え方におびえる。
離ればなれに存在するものがひとつになって
地球にたたえられる、そういう状態につながること、
すべてへの不安が、分裂、不和、軋轢を生む。
だが、あなたがたは経験から学ぶという能力すらもっていないらしく、
同じ行動を続け、同じ結果を生じさせている。
他のひとの苦しみの経験を
自分のものとして学ぶ能力がないこと、
それが、いつまでも苦しみが続く原因だ。
分裂は相違や誤った優越感を作り出す。
一体感は共感と真の平等を生む。
あなたがたの星で起こる出来事は
ーーもう三千年も続いてきたわけだがーー
さきほども言ったように、
「あなたがたのグループ」、
つまり地球という星のすべての集合意識の反映だ。
この意識のレベルは、どんなにひいき目に見ても、
原始的と言うほかない。
ニール:
うーむ。たしかに。でも、当初の質問からはずれたようですね。
神:
そうでもない。あなたはヒトラーについてたずねた。
ヒトラーという経験が可能になったのは、
グループの意識の結果だ。
多くのひとは、ヒトラーがグループを
ーーこの場合は国民をーー
たくみなトリックを使って狡猾にあやつったと言いたがる。
こう考えれば、何もかもヒトラーのせいにして、
ヒトラーだけを非難すればすむ。
それこそが、大衆の望みなのだ。
しかし、ヒトラーは何百万人もの人びとが協力し、
支援し、積極的に服従しなければ、何もできなかった。
だから、ドイツ人と呼ばれる小グループは、
ホロコーストの大きな責任をになうべきだ。
しかし、ある意味では、人類という大きなグループにも責任がある。
人類は、どんなに冷酷は孤立主義者でも
無視できないほど惨事がひろがるまで、
ドイツ国内の苦しみに無関心で、鈍感だったのだから。
いいかね、ナチの運動を発展させた肥沃な土壌は、集合意識だった。
ヒトラーはそのチャンスをつかんだだけで、
創り出したわけではない。
この教訓を理解することが大切だ。
つねに分離と優越ばかり口にしている集団意識は、
大々的な共感の喪失を生み出す。
共感の喪失は、必ず良心の喪失につながる。
ちっぽけなナショナリズムに根ざす集合的な概念は、
他者の苦しみを無視するくせに、
自分の苦しみについては他者にすべての責任を押しつけ、
仕返しと「矯正」と戦争を正当化する。
アウシュヴィッツは、ナチによる「ユダヤ人問題」
の解決策 ーー「矯正」の試みーーだった。
ヒトラー経験の恐ろしさは、
彼が人類に対して罪を犯したということではなく、
人類が彼に罪を犯させたということだ。
驚かなければならないのは、ヒトラーが登場したことではなく、
あれほど多数の者が彼と行動をともにしたことだよ。
恥ずべきは、ヒトラーが何百万人もの
ユダヤ人を殺したことだけでなく、
何百万人ものユダヤ人が殺されるまで、
誰もヒトラーを止めなかったことだ。
ヒトラー経験の目的は、人間性を示すことだ。
歴史を通じて、注目すべき教師たちが現れては、
あなたがたのほんとうの姿を
思い起こさせるめざましい機会を提供した。
これらの教師たちは、人類がもつ最高の可能性と
最低の可能性を教えた。
人間として何かについて、彼らは
息をのむような生なましい手本を示した。
自覚的な意識があれば、その経験をもとに
多くの者はどこに到達でき、どこに到達するか
を教えてきた。
いいかね、覚えておきなさい。
自覚的な意識がすべてで、経験を創りあげる。
グループの意識は強力で、
言語に絶する美しさや、みにくさを生む。
どちらになるか、選択するのはつねにあなたがただ。
グループの意識に満足できなければ、変える努力をしなさい。
他者の意識を変える最善の方法は、
こちらからお手本を示すことだけだ。
あなたの手本だけでは充分でないなら、
グループを創りなさい。
他者に経験してほしいと思う意識の源になりなさい。
あなたが行動すれば、彼らも行動する。
まず、あなたから始まる。
何もかも、すべてがあなたから始まるのだ。
世界が変わってほしいと思うか?
では、あなた自身の世界を変えなさい。
ヒトラーはそのために黄金の機会を与えてくれている。
ヒトラー経験は ーーキリスト経験と同じようにーー
深遠な意味をもち、あなた自身についての
深い真実を明らかにしている。
だが、そうした偉大な認識が生きているのは
ーーヒトラーの場合でも、仏陀、ジンキスカン、
ハーレクリジュナ、アッチラ大王、イエス・キリストの場合でもーー
あなたが彼らを記憶しているあいだだけだ。
だから、ユダヤ人はホロコーストの記念碑をつくり、
決して忘れるなと要求しているのだ。
あなたがたすべてのなかに、ヒトラーのかけらがある。
程度の問題にすぎない。人類抹殺は人類抹殺だ。
アウシュビッツでも、インディアンが
虐殺されたウーンデッドニーでもまるで同じだ。
ニール:
それじゃ、ヒトラーは、人類がどれほど恐ろしいことを
やってのけるかを教えるために、どこまで
人間が堕ちるかを教えるために、送られてきたのですか?
神:
ヒトラーは送られたわけではない。
あなたがたによって創りだされたのだ。
彼はあなたがたの集合意識から生まれた。
集合意識がなければ、存在しえなかった。
それが教訓だよ。分裂、分離、優越の意識、
「われわれ対彼ら」、「こちら対あちら」が、
ヒトラー経験を創り出す。
聖なる友愛、統一、一体感、
「あなたのもの対わたしのもの」ではなくて、
「わたしたちのもの」という意識が、キリスト経験を創り出す。
「あなた」の苦痛ではなく、「わたしたちの」苦痛なら、
「わたしの」喜びではなく、「わたしたちの」喜びなら、
人生経験のすべてがわたしたちのものなら、
そのときこそ、完璧な命の経験になる。
ニール:
しかし、ヒトラーがどうして天国に行ったのですか?
神:
ヒトラーは、何も「間違った」ことをしなかったからだ。
ヒトラーは自分らしく行動した、それだけだ。
念のために言うが、何年ものあいだ、おおぜいのひとたちが、
彼は「正しい」と思っていたのだよ。
本人がそう思うのは当然ではないか?
あなたが狂気じみた考えを思いついたとしても、
それに一千万人が賛成したら、あなたは自分を狂人だと思うまい。
世界は ーーようやくーー
ヒトラー は「間違っている」と判断した。
ということは、世界の人びとが、
ヒトラー経験との関係を通じて、
自分は何者であり、何者であろうとするかについて
新しい考えを抱いたということだ。
彼はものさしを提供したのだよ!
パラメーターを設定した。わたしたちが自分自身に
ついての考えを計測し、限界を決めるための境界をつくったのだ。
対極ではあるが、キリストも同じことをしたのだよ。
キリストはほかにもいたし、ヒトラーもいた。
これからも出現するだろう。
だから、警戒を怠ってはならない。
高い意識の者も低い意識の者も、あなたとともに歩いている。
それどころか、あなたが彼らとともに歩いている。
あなたは、どちらの意識をとるかな?
ニール:
しかし、わたしにはまだ、ヒトラーがどうして
天国に行ったのか、理解できません。
どうして、彼はそのような報償を得ることができたのですか?
神:
第一に、死は終わりではなく、はじまりだ。
喜びだ。閉鎖ではなく、開放だ。
人生で最も幸せな瞬間とは、それが終わる瞬間だ。
なぜかといえば、それは終わりではなく、
形容しがたく理解不能でありながら、
もっとすばらしい、平安と知恵と喜びに満ちた前進だからだ。
だから、まず理解しなければならないのは、
ーーすでに説明したとおりーー
ヒトラーは誰も傷つけはしなかったということだ。
ある意味では、彼は苦痛を強いたのではなく、終わらせたのだよ。
「人生は苦である」と言ったのは仏陀だが、彼の言うとおりだ。
ニール:
たとえ、それを認めるとしても、ヒトラーは自分が
善行を行っているとは知りませんでしたよ。
彼は悪事をしていると思っていたんです。
神:
いや、そうではない。
彼は「悪事」をしているとは思っていなかった。
彼は同胞を助けていると思っていたんだよ。
そこが、あなたには理解できていない。
どんな者でも、自分なりの世界モデルにてらせば、
何も間違ったことはしていない。
ヒトラーの行為が狂気のそれであり、
当人は自分が狂っていることを知っていたと思うのなら、
あなたは、人類の経験の複雑さをまったく理解していない。
ヒトラーは同胞のために善行を行っていると考えていた。
それに、彼の同胞もそう考えていたのだ!
それこそが、狂気なのだよ!
国の大半が、彼に同調したのだ!
あなたは、ヒトラーが「悪事」をしたと言う。
よろしい。そのものさしで、あなたは
自分自身を定義し、自分をもっと知るだろう。
よいことだ。だが、それを教えてくれた
ヒトラーを非難するのは筋ちがいだ。
誰かが教えてくれなければならなかった。
冷たさがわからなければ、熱さもわからない。
下降がなければ上昇もない。左がなければ右もない。
一方を非難し、一方をほめるのはやめなさい。
それでは、真実を理解できない。
何世紀も、人びとはアダムとイヴを非難してきた。
彼らは原罪を犯したのだと言われてきた。
だが、いいかね。あれは最初の祝福だった。
あの出来事がなくて、善悪の分別がつかなければ、
あなたがたは善と悪の可能性が
存在することすら知らなかっただろう!
じっさい、アダムの堕落と言われる出来事がなければ、
善悪二つの可能性も存在しなかった。
「悪」はなく、誰もが、何もかもが、
つねに完璧な状態で存在していた。
文字どおり、パラダイス、天国だ。
だが、それがパラダイスであることもわからなかっただろう。
完璧さとして経験することもできなかった。
他のことを何も知らなかったからだ。
アダムとイブを非難すべきか、それとも感謝すべきか?
そして、ヒトラーの場合はどうだろう?
いいかね。神の愛と神の憐れみ、神の知恵と神の赦し、
神の意図と神の目的は、どれほど凶悪な犯罪、
どれほど凶悪な犯罪者をも包みこんでしまうほど大きい。
あなたは賛成しないかもしれないが、
それはどうでもよろしい。
あなたはいま、ここで発見すべきものを学んだばかりだ。
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ありがとうございました☆
「カルマというトラップ(罠)だよ!」
とお話している動画を見てかなり衝撃をうけたのですが。
このあと【神との対話】の本を思い出したのです。
「ヒトラーは天国に行ったのだよ。」
こちらもかなり衝撃的でした。
昔この言葉を読んだ時は、聞き流していたような…
今ならここに書かれてあることがちゃんと入ってくるのでした。
(並木さんのお話をお聞きしてから。)
興味のある方は読んでみて下さい。
本:【神との対話 2】
宇宙を生きる 自分を生きる
著:ニール・ドナルド・ウォルシュ
P55~
神:
あなたは、自分を偉大だとは思っていない。
ニール:
自分の短所だの過ちだの、悪いところがみんな
見えているのに、どうして偉大だなんて思えますか?
神:
いいかね、悪というものはないのだよ!
ニール:
そうだといいんですが。
神:
あなたは完璧だ。あるがままで。
二ール:
それも、そうだといいと思いますよ。
神:
しかし、それが真実だよ!
苗木だから完璧ではないということじゃない。
幼い子供もおとなと同じように完璧だ。完璧そのものだ。
彼らは自分の完璧さを損なうことなど、
何もできないし、知らないのだから。
子供は過ちをおかす。立ち上がり、よちよち歩きをし、
転ぶ。また立ち上がり、よろよろと歩き、ママの足にしがみつく。
だからといって、子どもが完璧でないということになるかな?
とんでもない、その逆だよ!子供は完璧そのものだ。
かけることのない、ほめたたえるべき完璧な存在だ。
そして、あなたもそうなのだ。
ニール:
でも、子どもは何も悪いことをしないでしょう。
意識的に逆らったり、ひとを傷つけたり、
自分を傷つけたりはしませんよ。
神:
子供には「正しい」と「悪い」の区別がつかない。
ニール:
そのとおりです。
神:
そして、あなたもだ。
ニール:
でも、わたしにはつきますよ。人殺しは悪いことだし、
愛するのは正しいことだ。ひとを傷つけるのは悪いことだし、
癒し、改善するのは正しいことです。
自分のものでないものをとるのは悪いことだし、
ひとを利用したり、不正直だったりするのも悪いことです。
神:
その「悪い」ことがみな、正しくなる例をいくらでも見せてあげれるよ。
ニール:
またふざけているんですね。
神:
とんでもない。事実を指摘しただけだ。
ニール:
どんなルールにも例外がある、とおっしゃりたいのなら、
それはそのとおりですが。
神:
例外があるなら、ルールではないな。
ニール:
それじゃ人殺しは悪くない、傷つけたり、ひとのものを
とるのは悪くないとおっしゃるんですか?
神:
それは、あなたが何をしようとしているかによるだろう。
ニール:
オーケー、わかりましたよ。だけど、だからって、
人殺しや傷害が良いことにはなりませんよ。
時には、良い目的のために、悪いことをしなければ
ならないこともありますが。
神:
それは、結局「悪いこと」じゃない。そうではないか?
それは目的のための手段にすぎない。
ニール:
目的のためには、どんな手段も正当化されるとおっしゃるんですか?
神:
あなたはどう思う?
ニール:
そんなことはない。絶対にありませんよ。
神:
それなら、そうだろう。あなたはいま、ルールをつくりあげている。
まずそれはわかるかね?
それでまったくかまわないのだ。
それがわかるかな?あなたはそうすべきだからだよ!
人生とは、自分が何者であるかを決め、それを体験するプロセスだ。
あなたは視野をひろげながら、そこにあてはまるべき
新しいルールをつくる!自分についての考えをひろげながら、
新しい正邪や、イエスとノーでそれを囲む。
それは、あなたが押しこんでおけない何かを
「押しこんでおく」境界なのだ。
あなたは「自分」押しこんではおけない。なぜなら、
あなたは宇宙と同じく、限りないものだから。
だが、あなたは限りない、際限のない自分自身について
想像をめぐらし、何らかの概念をつくりあげ、それから境界を受け入れる。
自分をふくめて何かを知るためには、ある意味ではその方法しかない。
(省略)
自分とは何者かを決めるために「正しい」ことと
「悪い」ことをつくりあげているのだとういうことが、
理解できたかね?そうした定義、つまり境界なしには、
あなたは何者でもなくなる、それがわかるかな?
それに、わたしと同じで、あなたの場合も、自分とは
何者かという考えが変化し、それにつれて境界も
変化していることがわかるかね?
ニール:
おっしゃることは、わかるような気がします。
でも境界を――自分個人の境界ってことですが――
変えているとは思えないんですが。どんなときも、
ひとを殺すのは悪いことだし、盗むのも悪いことです。
ひとを傷つけるのも悪いことですよね。
わたしたちが自分を律している最大の概念というのは、
時のはじめからあって、人間のほとんどはそれに
同意しているんじゃないでしょうか。
神:
それじゃ、どうして戦争がある?
ニール:
それは、ルールを破る人間はいつでもいるからでしょう。
どんな樽(たる)にも、腐ったリンゴがあるってことじゃないかな。
神:
わたしがこれから言うことはとても理解しにくい、
受け入れにくいと思うかもしれない。
あなたがたのいまの思考システムで、
真実とされていることと矛盾するからだ。
だが、あなたがたがいまのシステムのままで生きていくなら、
この対話は役立たない。そういう概念と真っ向から
ぶつかっていかなければならない。
しばらくは悪戦苦闘が続くだろうな。
さあ、用意はいいかね?
「腐ったリンゴ」などというものはない、
ということだよ。あるのは、
あなたの考え方とはちがう考え方をするひと、
ちがう世界のモデルをつくりあげているひとだけだ。
いいかね、どんな者でも、自分なりの世界モデルにてらせば、
何も間違ったことはしていない。
ニール:
それじゃ、その「モデル」が間違ってるんじゃないですか。
何が正しくて、何が間違っているか、わたしにはわかっていますよ。
それがわからないひとがいるからって、
わかっているわたしの頭がおかしいってことにはならないでしょう。
おかしいのは、向こうのほうですよ!
神:
残念ながら、まさにそういう考え方が戦争を引き起こすのだよ。
ニール:
わかってます、わかってますよ。わざと言ったんです。
みんなが言うことを、まねしただけです。
でも、そういうひとたちには、どう答えればいいでしょう?
どんな答え方がありますか?
神:
「正邪」に対するひとの考え方は、文化によって、
時代によって、宗教によって、地域によって、…
それどころか家庭によって、ひとりひとりの個人によって…
いくらでも変わるし、変わってきたと言えばいい。
ある時代におおぜいのひとが「正しい」と考えてことが、
たとえば魔女だと思ったひとを火あぶりにするといったことが、
現在は「間違っている」とされる。
「正邪」の定義は時代ばかりでなく、単純に地理にも左右される。
地球上の活動のあるもの(たとえば売春)は
ある場所では違法行為だが、
ほんの数マイル離れたら合法行為になるではないか。
誰かが「間違った」ことをしたかどうかは、
行為そのものではなくて、どこでしたかによって判定される。
さて、そんなはずはない、理解できない、
と言うひとがいるのはよく知っているがね。
ヒトラーは天国へ行ったのだよ。
ニール:
そういう考え方は受け入れられるかなあ。
神:
この本の目的、三部作のすべての目的は、
新しいパラダイム、新しい理解、大きな視野、
偉大な考え方を受け入れる準備を整えることなのだ。
ニール:
それでは、きっとおおぜいのひとが考え、
聞きたがっている質問をさせてください。
どうして、ヒトラーのような人間が天国に行けるんですか?
世界中のどんな宗教だって…どんなひとだって、
彼は有罪だと宣言して、地獄に送るに決まっています。
神:
第一に、彼は地獄には行けない。地獄というものがないからだ。
だから、彼が行けるのは一か所しかない。
そこで問題が起こる――。ほんとうの問題は、
ヒトラーの行動が「悪」かどうかということだ。
ところが、わたしは、宇宙には「正」も「悪」も
ないとくり返して言っている。
ものごと自体が正であったり、悪であったりすることはない。
ものごとはものごと、それだけだ。
さて、ヒトラーは怪物だと考えるのは、
彼が何百万人もの人びとを殺せと命じたからだろう?
ニール:
もちろん、そうです。
神:
では、あなたがたが「死」と呼ぶものが、
じつは誰にとっても最高の出来事だと言ったらどうかな?
ニール:
とても、そうは思えません。
神:
あなたは地上の暮らしのほうが天国での命よりも
良いものだと思っているのか?いいかね、
死の瞬間にあなたは、かつて味わった最大の自由、
最大の平安、最大の喜び、最大の愛を知るだろう。
ニール:
でも、たとえ死後にどんなすばらしい天国での命が待っていようと、
当人の意志に反してこの世の人生を絶たれるべきじゃない、
その事実を無視していらっしゃいますよ。
わたしたちは、何かをなしとげ、経験し、学ぶためにここに来た。
狂った考えの犯罪者が、その人生を中断する権利はないでしょう。
神:
第一に、あなたがたは、ここに何かを学びに来たわけではない。
人生は学校ではないし、ここでのあなたの目的は、
学ぶことではなく思い出すことだ。
それに、人生はいろいろなことで「中断」されるよ。
…台風、地震、災害…
ニール:
それは、話がべつですよ。
おっしゃるのは、神の業(わざ)ではありませんか。
神:
すべては、神の業だよ。
わたしが望まなければ、どんなことも起こりえないとは思わないか?
わたしの意に逆らおうとしても小指一本、上げられないとは思わないか?
わたしの意に逆らってはどんなことでもできないのだよ。
それはともかくとして「間違った」死という考え方について、
一緒に探ってみようか。病気で人生が中断されたら、
それは、「間違っている」だろうか?
ニール:
「間違っている」という言葉は、ふさわしくないでしょう。
病気で死ぬのは、自然なことですから。
ヒトラーのような人間が殺人を犯すのとは、わけがちがいます。
神:
それでは、事故は?愚かしい事故――は?
ニール:
同じことです。
運が悪いし、悲劇でしょうが、それも神の意志です。
わたしたちには神の心をのぞくことはできないし、
なぜ、そういうことが起こるのかわからない。
知ろうとすべきではないんです。
だって、神の意志は不変で、不可知ですから。
聖なる謎を解こうとするのは、人智を超えた
知識に対する欲望です。罪深いことです。
神:
どうして、わかる?
ニール:
だって、そういうことを理解させたいと
神が望んでおられるなら、理解できるはずでしょう。
理解していない、できないという事実が、
神が理解させようという意志をもっておられない証拠です。
神:
なるほど。あなたが理解できないという事実が、
神の意志の証拠か。それが起こったという事実は、
神の意志の証拠ではないわけだね。ふうん…。
ニール:
どうも、あんまりうまく説明できなかったようですけど、
でも、自分が何を信じているかは、わかっているんです。
神:
では、神の意志を信じるかな、神は全能だと信じるか?
ニール:
はい。
神:
だが、ヒトラーに関することだけはちがうわけだ。
あれは、神の意志ではなかった。
ニール:
ええ。
神:
どうして、そんなことになるのかな?
ニール:
ヒトラーは神の意志を踏みにじったんですよ。
神:
わたしが全能なのに、どうしてそんなことが起こったのだろう?
ニール:
それは、彼の行動を放置しておいたからでしょう。
神:
わたしが放置したのなら、それがわたしの意志だろう。
ニール:
うーん、そのようですね……。
でも、あなたがそんな意志をもつなんて、
いったいどんな理由が考えられますか?
考えられないですよ。
いや、彼に自由な選択をさせる、それがあなたの意志だった。
そうじゃないですか。彼は自分の意志で行動したんです。
神:
うん、なかなか近いところをついている。非常に近いよ。
もちろん、あなたの言うとおりだ。
ヒトラーは――誰もがそうだが――
自由に選択することができる。
そして、わたしが望む選択をしなかったからといって、
そのひとを未来永劫に罰するという意志をわたしはもっていない。
もし、そうだとしたら、どうして「自由」な選択ができるだろう?
わたしの望みに反したら、
言語に絶する苦しみを味わうとわかっていたら、
あなたは自分のしたいようにできるかね?
それが自由な選択と言えるだろうか?
ニール:
罰せられるということではないでしょう。
たんなる自然の法則ですよ。因果(カルマ)の問題だ。
神:
あなたは神学の組み立て方をじつによく勉強したようだね。
それで、わたしを復讐の神だと考え、しかも、
その責任をわたしに負わせないという工夫ができるらしい。
だが、その自然の法則を創ったのは誰だろう?
自然の法則を定めたのもわたしだとしたら、
どうしてわたしは自然の法則を創り――
つぎに、自然の法則を超える力をあなたに与えたんだろうね?
あなたがたが自然の法則に影響されないことを望んだとしたら――
わたしが生み出した素晴らしい存在が、
決して苦しまないようにというのがわたしの意志だとしたら――
どうして、わたしはあなたがたが苦しむ可能性を残したりしたのか。
それに、どうしてあなたがたを昼も夜も誘惑し、
わたしが創り出した法則を破らせようとしたりするのだろう?
ニール:
誘惑するのは、あなたではない。悪魔です。
神:
そら、またわたしには責任を負わせまいとしている。
あなたの神学を合理化する唯一の方法は、
わたしを無力な神にすることだ。
そこがわかっているのかな?
あなたの倫理の筋を通そうとしたら、
わたしの倫理には筋が通っていないというしかない、
それがわかっているのかね。
あなたはほんとうに、神は自分が創り出した存在の行動を、
コントロールする力がないと思っているのかな?
ニール:
あなたが悪魔をコントロールできないとは言っていません。
もちろんあなたは、すべてをコントロールできる。
だって、神ですよ!ただ、あなたはそうしないんだ。
あなたは、悪魔にわたしたちを誘惑させて、
わたしたちの魂を奪おうとさせているのです。
神:
しかし、何のために?
あなたがたが神のもとへ戻ることを望んでいるとしたら、
どうしてわたしは、そんなことをするんだろう?
ニール:
それは、ほかに道がないから行くのではなく、
わたしたちが自ら選択して、神のもとへ行くことを
望んでいらっしゃるからです。
あなたは天国と地獄を創り出し、選択できるようになさった。
だから、わたしたちはほかに道がないから
その道を進むのではなく、自分で選択して行動できるんです。
神:
どうして、そう考えるのか、よくわかるよ。
あなたがたの世界をそんなふうに創ったのはわたしだ。
だから、あなたがたはわたしの世界も同じだろうと考える。
あなたがたの現実では、神は悪なしには存在しえない。
だから、わたしの世界もそうなのだろうと、あなたは思う。
しかし、いいかね。
わたしのいるところには「悪」はないし、悪魔もいない。
あるのは存在のすべて、それだけだ。
すべてはひとつ。そしてその認識と経験だ。
わたしの世界は、絶対の世界であって、
そこでは、ひとつのものが他との関係によって存在しているのではなく、
何ものからも独立して存在している。
私の世界は、存在するすべてが愛であるところだ。
ニール:
そして、わたしたちが地上で考えたり、言ったり、
したりすることの結果は何もないんですか?
神:
おやおや、結果はあるだろう。まわりを見てごらん。
ニール:
わたしが言うのは、死後のことです。
神:
「死」というものはない。
生命は永遠に続く。生命はある。
ただ、かたちを変えるだけだ。
ニール:
わかりました。それでは――かたちが変わったあとに、と言い換えます。
神:
かたちが変わったら、結果も存在しなくなる。
ただ、知があるのみだ。
結果は、相対性の世界の要素だよ。
絶対の世界ではありえない。
結果とは、線を書く「時」と「ものごと」の
連鎖によって決まるのだから。
絶対の世界には、それも存在しない。
そこにあるのは平和と喜びと愛、それだけだ。
そこで、あなたがたはついに「良い知らせ――福音」
を聞くだろう。「悪魔」は存在しないし、
あなたがたはつねに自分が考えたとおりの存在、
善であり愛であると知るだろう。
自分はそんなものじゃないという思いは
外部の狂気の世界の産物で、
それがあなたがたを狂気の行動に駆り立てる。
審判と非難、そういう外部の世界だ。
他者があなたに審判をくだし、その審判にしたがって
あなたは自分に審判をくだす。
そこで、あなたがたは、今度は神に審判してほしいと願う。
だが、わたしは審判をくださない。
あなたがたは人間のように行動しない神を理解できない、
そこで途方に暮れる。
あなたがたの神学は、自らをもういちど発見しようという試みだよ。
ニール:
わたしたちが信じているのは狂気の神学だとおっしゃる――
だが、報酬と懲罰というシステムのない神学なんて、
ありえるのでしょうか?
神:
すべてはあなたがたが人生の目的をどう見るか、
つまり神学の基礎をどこにおくかによって決まる。
人生はテストだ、試練だ、自分が「価値ある存在」
かどうかを知ろうと試みる時間だと考えれば、
あなたがたの神学は筋が通る。
だが、人生は機会であり、自分に価値があるということを
発見する(思い出す)プロセスだと考えれば、
あなたがたの神学がとても、まともとはいえないよ。
逆の考え方をして、神は利己的で、
関心や賛美、評価、愛を要求する、
そして、そのためには殺すことも辞さないと考えれば、
あなたがたの神学はつじつまがあうようになる。
神は自我もなければ何かをする必要とすることもない、
存在するすべての源であり、
すべての知識と愛の座であると考えるならば、
あなたがたの神学はばらばらに崩れる。
もし、神は復讐心が強く、彼は愛すれば嫉妬し、
怒れば荒れ狂うと考えるなら、あなたがたの神学は完璧だ。
もし、神は平安だ、彼女は愛すれば喜びに満ち、
歓喜すれば恍惚(こうこつ)となると考えれば、
あなたがたの神学は無益だ。
いいかね。人生の目的は神を喜ばせることではない。
人生の目的は、自分とは何者であるかを知ること、
自分を再創造することなのだよ。
自分を知り、再創造すれば、神を喜ばせるし、
彼女をほめたたえることになるのだ。
ニール:
いま「彼女」とおっしゃいましたね。
あなたは女性なのですか?
神:
わたしは「彼」でも「彼女」でもない。
あなたのせまくるしい、偏った考え方をゆすってやろうとして、
女性代名詞を使ってみただけだ。
あなたは、神がある者であるなら、べつの者ではないと考える。
それが、大きな誤りだ。ヒトラーは天国へ行った。
地獄というものはないから、ほかに行くところがないのだ。
彼の行動は、あなたがたに言わせれば、
「過ち」--未発達な者の行動だ。
しかし、過ちは非難して罰するべきものではなく、
修正するチャンス、発達するチャンスを与えるべきものだ。
ヒトラーが犯した過ちは、彼が死にいたらしめた人びとを
なんら害することも、侵すこともなかった。
あの人びとの魂は、地上の束縛から解放された。
さなぎから蝶が解放されるようにね。
残された人びとが彼らの死を悼むのは、
彼らの魂がどんな喜びへと分け入ったかを知らないからだ。
死を経験したら誰も死を悼んだりしないよ。
彼らは時ならぬ死をとげたのだから「間違っている」
とあなたは言うが、それは、宇宙では起こるべきでないことが
起こりうると言っているのと同じだ。
だが、わたしが何者で、どのような存在であるかを考えれば、
それは不可能だよ。宇宙で起こることはすべて、
完璧に起こるべくして起こっている。
神はずいぶん長いあいだ、過ちを犯してはいないのだ。
すべての完璧さを見るなら
――あなたが賛成できることばかりでなく、
とりわけ賛成できないことでも完璧だと考えるなら――
悟りを開いたことになる。
ニール:
どうして、ヒトラーが天国へ行ったのか?
さっき、説明してくださっとっことはわかりますが、
でも、もう少し聞かせてほしいんです。
それから、そうした出来事の背後にある目的とは何か?
その大きな目的と、ヒトラーやほかの独裁者とはどう関係するのか?
神:
では、目的ということから説明しよう。
すべての出来事、すべての経験には、
機会を創出するという目的がある。
出来事も経験も、機会なのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「悪魔のしわざ」とか「天罰」とか「神からの褒美」
などと考えるのは過ちだ。
出来事や経験は出来事や経験として起こるにすぎない。
それに意味を与えるのは、わたしたちがどう考え、
どう行動し、どう応えるかだよ。
出来事も経験も、あなたに引き寄せられる機会で、
意味を通じて個人的、集団的に創り出される。
意識は経験を創り出す。その意識を、
あなたがたは向上させようとしている。
機会を引き寄せるのは、あるべき自分を創り、
体験するためで、あるべき自分とは、
いまのあなたよりも高い意識をもった存在ということだ。
わたしは、あなたにあるべき自分を知らせ、
体験させようと思って、そのために自分が創り出そうとする
出来事や経験を引き寄せさせているのだよ。
宇宙のゲームに参加しているほかのプレイヤーが
ときどき、あなたと一緒になる。
短い出会いであったり、ちょっとした通りがかりであったり、
一時のチームメイトということもあれば、
長年の知り合い、親戚、家族、愛する者、
人生のパートナーであったりする。
そうしたひとたちの魂は、あなたが引き寄せているのだ。
そして、あなたも彼らに引き寄せられている。
お互いの選択や欲望を表現する、共通の創造的な経験だね。
誰も、偶然にあなたのもとへやってくるのではない。
偶然などということはない。
なにごとも、いきあたりばったりに起こりはしない。
人生とは機会の産物だ。
出来事も同じく、あなた自身の目的のために、
あなたが引き寄せている。
全地球的な経験や展開は、集団的な意識の結果だ
グループ全体の選択や欲望の結果として、引き寄せられてくる。
ニール:
「グループ」というのは、何のことですか?
神:
集団(グループ)意識というのは、あまり理解されていないが、
きわめて強力なもので、注意しないと
個人の意識をはるかにしのいでしまう。
だから、地球上の大きな人生経験が
調和のとれたものであってほしいなら、
どこにいても、何をしても、自分自身も
集団意識を創り出そうと努力しなければならない。
あなたの意識を反映しない集団意識をもったグループにいて、
集団意識をうまく変更できないとしたら、そこから離れたほうがいい。
そうしないと、グループに引きずりまわされてしまう。
あなたの意思とは関係なく、
グループが行きたいところへ連れていかれてしまうよ。
自分の意識と合った集団意識をもつグループが
見つからないなら、自分で作りなさい。そうすれば、
似たような意識をもった人びとが引き寄せられてくるだろう。
個人や小さなグループは大きなグループに影響を与え
ーー最後にはいちばん大きなグループ、
つまり全人類に影響を与えーーなければ、
地球上に、永続的で有意義な変化を引き起こすことはできない。
あなたの世界、そして世界のありようは、
そこに住むすべてのひとたちの意識の集合の反映だ。
まわりを見まわせば、やるべきことがたくさんあるのがわかるだろう。
もちろん、いまの世界で満足していればべつだが。
驚いたことに、たいていのひとは満足している。
だから、世界は変わらない。
たいていのひとは、類似点ではなく、
相違点が重視され、意見やものごとの不一致が、
紛争や戦争で解決される世界で満足している。
たいていのひとは、適者生存で、「力は正義なり」で、
競争が不可欠で、勝利が最高の善とされている世界で満足している。
そういうシステムが「敗者」を生むとしても
ーー当然、生むのだがーー
自分が敗者でなければ、それでいいと思っている。
そういう世界では、
「間違っている」と判定されたひとは殺害される。
「敗者」であれば飢えたりホームレスになったりし、
「強者」でなければ抑圧され、搾取されるが、
そんな世界でも、たいていのひとは満足している。
たいていのひとは、自分とちがうことがあると
「間違っている」と決め付ける。
宗教的な相違はとくに認めないが、
ほかにも社会的、経済的、文化的な相違を許さない。
上層階級は下層階級を食いものにしていながら、
前よりは良くなっているじゃないか
という勝手な理屈をつけて正当化する。
上層階級はそうやって、恐るべき状況が
わずかばかり改善されたことを理由に、
ひとが真に公正に扱われるとは
どういうことかを無視し、きたない利益を得る。
いまあるシステム以外のシステムを提案すると、
たいていのひとはあざわらい、
競争や殺人や「勝者による戦争の利益」が、
偉大な文明を築いてきたのだと反論する!
たいていのひとは、
ほかに生き方があるかもしれないとは考えもせず、
いまのような行動が人間の本性だから、ほかのやり方では、
人類の成功の原動力となってきた精神が破壊されるとすら考える。
(だが、誰も「どんな成功か」を問わない)。
こんな考え方は、真の悟りを開いた者には
とても理解しにくいが、地球上のたいていのひとは、
そうしたやり方を信じている。
だから、おおぜいの苦しみや少数派の抑圧、
下層階級の怒りに見向きもせず、
自分と家族以外のひとたちだって、
生きる必要があるということを顧みない。
たいていのひとは、自分が地球を
ーー命を与えられた星をーー
破壊していることに気づかない。
自分の暮らしを良くすることばかり考えているからだ。
驚くほど近視眼的だから、
短期的な利益は長期的には喪失につながるかもしれない。
それどころか、そういうことのほうが多いのに気づかない。
たいていのひとは集団的な認識におびえる。
集団的な善や、世界はひとつ、すべての創られたものと離れず、
一体として存在する神といった考え方におびえる。
離ればなれに存在するものがひとつになって
地球にたたえられる、そういう状態につながること、
すべてへの不安が、分裂、不和、軋轢を生む。
だが、あなたがたは経験から学ぶという能力すらもっていないらしく、
同じ行動を続け、同じ結果を生じさせている。
他のひとの苦しみの経験を
自分のものとして学ぶ能力がないこと、
それが、いつまでも苦しみが続く原因だ。
分裂は相違や誤った優越感を作り出す。
一体感は共感と真の平等を生む。
あなたがたの星で起こる出来事は
ーーもう三千年も続いてきたわけだがーー
さきほども言ったように、
「あなたがたのグループ」、
つまり地球という星のすべての集合意識の反映だ。
この意識のレベルは、どんなにひいき目に見ても、
原始的と言うほかない。
ニール:
うーむ。たしかに。でも、当初の質問からはずれたようですね。
神:
そうでもない。あなたはヒトラーについてたずねた。
ヒトラーという経験が可能になったのは、
グループの意識の結果だ。
多くのひとは、ヒトラーがグループを
ーーこの場合は国民をーー
たくみなトリックを使って狡猾にあやつったと言いたがる。
こう考えれば、何もかもヒトラーのせいにして、
ヒトラーだけを非難すればすむ。
それこそが、大衆の望みなのだ。
しかし、ヒトラーは何百万人もの人びとが協力し、
支援し、積極的に服従しなければ、何もできなかった。
だから、ドイツ人と呼ばれる小グループは、
ホロコーストの大きな責任をになうべきだ。
しかし、ある意味では、人類という大きなグループにも責任がある。
人類は、どんなに冷酷は孤立主義者でも
無視できないほど惨事がひろがるまで、
ドイツ国内の苦しみに無関心で、鈍感だったのだから。
いいかね、ナチの運動を発展させた肥沃な土壌は、集合意識だった。
ヒトラーはそのチャンスをつかんだだけで、
創り出したわけではない。
この教訓を理解することが大切だ。
つねに分離と優越ばかり口にしている集団意識は、
大々的な共感の喪失を生み出す。
共感の喪失は、必ず良心の喪失につながる。
ちっぽけなナショナリズムに根ざす集合的な概念は、
他者の苦しみを無視するくせに、
自分の苦しみについては他者にすべての責任を押しつけ、
仕返しと「矯正」と戦争を正当化する。
アウシュヴィッツは、ナチによる「ユダヤ人問題」
の解決策 ーー「矯正」の試みーーだった。
ヒトラー経験の恐ろしさは、
彼が人類に対して罪を犯したということではなく、
人類が彼に罪を犯させたということだ。
驚かなければならないのは、ヒトラーが登場したことではなく、
あれほど多数の者が彼と行動をともにしたことだよ。
恥ずべきは、ヒトラーが何百万人もの
ユダヤ人を殺したことだけでなく、
何百万人ものユダヤ人が殺されるまで、
誰もヒトラーを止めなかったことだ。
ヒトラー経験の目的は、人間性を示すことだ。
歴史を通じて、注目すべき教師たちが現れては、
あなたがたのほんとうの姿を
思い起こさせるめざましい機会を提供した。
これらの教師たちは、人類がもつ最高の可能性と
最低の可能性を教えた。
人間として何かについて、彼らは
息をのむような生なましい手本を示した。
自覚的な意識があれば、その経験をもとに
多くの者はどこに到達でき、どこに到達するか
を教えてきた。
いいかね、覚えておきなさい。
自覚的な意識がすべてで、経験を創りあげる。
グループの意識は強力で、
言語に絶する美しさや、みにくさを生む。
どちらになるか、選択するのはつねにあなたがただ。
グループの意識に満足できなければ、変える努力をしなさい。
他者の意識を変える最善の方法は、
こちらからお手本を示すことだけだ。
あなたの手本だけでは充分でないなら、
グループを創りなさい。
他者に経験してほしいと思う意識の源になりなさい。
あなたが行動すれば、彼らも行動する。
まず、あなたから始まる。
何もかも、すべてがあなたから始まるのだ。
世界が変わってほしいと思うか?
では、あなた自身の世界を変えなさい。
ヒトラーはそのために黄金の機会を与えてくれている。
ヒトラー経験は ーーキリスト経験と同じようにーー
深遠な意味をもち、あなた自身についての
深い真実を明らかにしている。
だが、そうした偉大な認識が生きているのは
ーーヒトラーの場合でも、仏陀、ジンキスカン、
ハーレクリジュナ、アッチラ大王、イエス・キリストの場合でもーー
あなたが彼らを記憶しているあいだだけだ。
だから、ユダヤ人はホロコーストの記念碑をつくり、
決して忘れるなと要求しているのだ。
あなたがたすべてのなかに、ヒトラーのかけらがある。
程度の問題にすぎない。人類抹殺は人類抹殺だ。
アウシュビッツでも、インディアンが
虐殺されたウーンデッドニーでもまるで同じだ。
ニール:
それじゃ、ヒトラーは、人類がどれほど恐ろしいことを
やってのけるかを教えるために、どこまで
人間が堕ちるかを教えるために、送られてきたのですか?
神:
ヒトラーは送られたわけではない。
あなたがたによって創りだされたのだ。
彼はあなたがたの集合意識から生まれた。
集合意識がなければ、存在しえなかった。
それが教訓だよ。分裂、分離、優越の意識、
「われわれ対彼ら」、「こちら対あちら」が、
ヒトラー経験を創り出す。
聖なる友愛、統一、一体感、
「あなたのもの対わたしのもの」ではなくて、
「わたしたちのもの」という意識が、キリスト経験を創り出す。
「あなた」の苦痛ではなく、「わたしたちの」苦痛なら、
「わたしの」喜びではなく、「わたしたちの」喜びなら、
人生経験のすべてがわたしたちのものなら、
そのときこそ、完璧な命の経験になる。
ニール:
しかし、ヒトラーがどうして天国に行ったのですか?
神:
ヒトラーは、何も「間違った」ことをしなかったからだ。
ヒトラーは自分らしく行動した、それだけだ。
念のために言うが、何年ものあいだ、おおぜいのひとたちが、
彼は「正しい」と思っていたのだよ。
本人がそう思うのは当然ではないか?
あなたが狂気じみた考えを思いついたとしても、
それに一千万人が賛成したら、あなたは自分を狂人だと思うまい。
世界は ーーようやくーー
ヒトラー は「間違っている」と判断した。
ということは、世界の人びとが、
ヒトラー経験との関係を通じて、
自分は何者であり、何者であろうとするかについて
新しい考えを抱いたということだ。
彼はものさしを提供したのだよ!
パラメーターを設定した。わたしたちが自分自身に
ついての考えを計測し、限界を決めるための境界をつくったのだ。
対極ではあるが、キリストも同じことをしたのだよ。
キリストはほかにもいたし、ヒトラーもいた。
これからも出現するだろう。
だから、警戒を怠ってはならない。
高い意識の者も低い意識の者も、あなたとともに歩いている。
それどころか、あなたが彼らとともに歩いている。
あなたは、どちらの意識をとるかな?
ニール:
しかし、わたしにはまだ、ヒトラーがどうして
天国に行ったのか、理解できません。
どうして、彼はそのような報償を得ることができたのですか?
神:
第一に、死は終わりではなく、はじまりだ。
喜びだ。閉鎖ではなく、開放だ。
人生で最も幸せな瞬間とは、それが終わる瞬間だ。
なぜかといえば、それは終わりではなく、
形容しがたく理解不能でありながら、
もっとすばらしい、平安と知恵と喜びに満ちた前進だからだ。
だから、まず理解しなければならないのは、
ーーすでに説明したとおりーー
ヒトラーは誰も傷つけはしなかったということだ。
ある意味では、彼は苦痛を強いたのではなく、終わらせたのだよ。
「人生は苦である」と言ったのは仏陀だが、彼の言うとおりだ。
ニール:
たとえ、それを認めるとしても、ヒトラーは自分が
善行を行っているとは知りませんでしたよ。
彼は悪事をしていると思っていたんです。
神:
いや、そうではない。
彼は「悪事」をしているとは思っていなかった。
彼は同胞を助けていると思っていたんだよ。
そこが、あなたには理解できていない。
どんな者でも、自分なりの世界モデルにてらせば、
何も間違ったことはしていない。
ヒトラーの行為が狂気のそれであり、
当人は自分が狂っていることを知っていたと思うのなら、
あなたは、人類の経験の複雑さをまったく理解していない。
ヒトラーは同胞のために善行を行っていると考えていた。
それに、彼の同胞もそう考えていたのだ!
それこそが、狂気なのだよ!
国の大半が、彼に同調したのだ!
あなたは、ヒトラーが「悪事」をしたと言う。
よろしい。そのものさしで、あなたは
自分自身を定義し、自分をもっと知るだろう。
よいことだ。だが、それを教えてくれた
ヒトラーを非難するのは筋ちがいだ。
誰かが教えてくれなければならなかった。
冷たさがわからなければ、熱さもわからない。
下降がなければ上昇もない。左がなければ右もない。
一方を非難し、一方をほめるのはやめなさい。
それでは、真実を理解できない。
何世紀も、人びとはアダムとイヴを非難してきた。
彼らは原罪を犯したのだと言われてきた。
だが、いいかね。あれは最初の祝福だった。
あの出来事がなくて、善悪の分別がつかなければ、
あなたがたは善と悪の可能性が
存在することすら知らなかっただろう!
じっさい、アダムの堕落と言われる出来事がなければ、
善悪二つの可能性も存在しなかった。
「悪」はなく、誰もが、何もかもが、
つねに完璧な状態で存在していた。
文字どおり、パラダイス、天国だ。
だが、それがパラダイスであることもわからなかっただろう。
完璧さとして経験することもできなかった。
他のことを何も知らなかったからだ。
アダムとイブを非難すべきか、それとも感謝すべきか?
そして、ヒトラーの場合はどうだろう?
いいかね。神の愛と神の憐れみ、神の知恵と神の赦し、
神の意図と神の目的は、どれほど凶悪な犯罪、
どれほど凶悪な犯罪者をも包みこんでしまうほど大きい。
あなたは賛成しないかもしれないが、
それはどうでもよろしい。
あなたはいま、ここで発見すべきものを学んだばかりだ。
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