『きみは悲しい』(OHSO)
きみは悲しい。
何らかの活動に、何らかの従事に逃げるより、
友達に会ったり、映画を見たり、
ラジオやテレビを点けたりするよりも、
自分の悲しみに入っていきなさい。
それから逃げるよりも、
それに向かって向きを変え、
すべての活動を落としなさい。
目を閉じ、それに入っていきなさい。
それが何か、なぜそうなのかを見ることだ。
―そして、それを非難することなく見なさい。
なぜならもしきみが非難したら、
その全体を見ることができないだろうから。
判断することなく見なさい。
もしきみが判断をしたら、
その全体を見ることはできないだろう。
判断することなく、非難することなく、
評価することなく、ただそれを、それが何かを見なさい。
それがまるで花であるかのように見なさい。
悲しみ、雲、暗闇、
だがきみがそのすべての面を見ることができるように、判断することなく見なさい。
そうすれば、きみは驚くことだろう。
きみがそれに深く入って行けば行くほど、
それはどんどん消え始めていく。
もし人が自分の悲しみに深く入っていくことができれば、
彼はすべての悲しみが蒸発していくことが分かるだろう。
その悲しみの蒸発が喜びだ。至福だ。
至福は、外側で悲しみに対抗して見出される必要はない。
至福は、悲しみそれ自身の背後に深く隠されていることが見出されなければならない。
きみは、自分の悲しみに満ちた状態を深く調べなければならない。
そうすれば喜びの源泉を見出すだろう。
OSHO Book of Wisdom
☆**~☆**~☆**~☆**~☆**~
OSHOというマスターの言葉です。
ネットで偶然見た記事ですが(辻本恒さん)
前回の記事に合わせ
OSHOという方の言葉をご紹介したいと思いました。
ハイヤー:
『目覚めようという意識』
そこを中心に置き、
そこでそのような(ネガティブな)感情・思考を
経験、体験しつくしていけば良いのです。
それもただ避けたり、遠ざけたりするように、
意識的なジャッジではなくすべてあるがまま、
全てあって良し、すべてあるがまま。
そのような状態で駄目だとか、
良くないだとか、悪いだとかジャッジせずに、
それらを上手に公平に、水平に取り扱えるように意識して行うのです。
(省略)
そこに没頭するのではなく。
その没頭の中で気が付き、その没頭している行為の背景に
常に根源主の恩恵が働きがあり、
没頭させていると同時に、
その没頭から抜け出す道を、
ヒントがまた同時に含まれている、隠されている、
そのことを上手に見抜いてゆくのです。
(OSHOの本。)
(著:辻本恒)
☆**~☆**~☆**~
また手放すという事について、次回に続きます。
「何かをしっかりともつまでは、
それを手放すことはできない。
何かを捨てるには、まず所有しなければならないのだよ。」
今日も読んでいただきありがとうございました。
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きみは悲しい。
何らかの活動に、何らかの従事に逃げるより、
友達に会ったり、映画を見たり、
ラジオやテレビを点けたりするよりも、
自分の悲しみに入っていきなさい。
それから逃げるよりも、
それに向かって向きを変え、
すべての活動を落としなさい。
目を閉じ、それに入っていきなさい。
それが何か、なぜそうなのかを見ることだ。
―そして、それを非難することなく見なさい。
なぜならもしきみが非難したら、
その全体を見ることができないだろうから。
判断することなく見なさい。
もしきみが判断をしたら、
その全体を見ることはできないだろう。
判断することなく、非難することなく、
評価することなく、ただそれを、それが何かを見なさい。
それがまるで花であるかのように見なさい。
悲しみ、雲、暗闇、
だがきみがそのすべての面を見ることができるように、判断することなく見なさい。
そうすれば、きみは驚くことだろう。
きみがそれに深く入って行けば行くほど、
それはどんどん消え始めていく。
もし人が自分の悲しみに深く入っていくことができれば、
彼はすべての悲しみが蒸発していくことが分かるだろう。
その悲しみの蒸発が喜びだ。至福だ。
至福は、外側で悲しみに対抗して見出される必要はない。
至福は、悲しみそれ自身の背後に深く隠されていることが見出されなければならない。
きみは、自分の悲しみに満ちた状態を深く調べなければならない。
そうすれば喜びの源泉を見出すだろう。
OSHO Book of Wisdom
☆**~☆**~☆**~☆**~☆**~
OSHOというマスターの言葉です。
ネットで偶然見た記事ですが(辻本恒さん)
前回の記事に合わせ
OSHOという方の言葉をご紹介したいと思いました。
ハイヤー:
『目覚めようという意識』
そこを中心に置き、
そこでそのような(ネガティブな)感情・思考を
経験、体験しつくしていけば良いのです。
それもただ避けたり、遠ざけたりするように、
意識的なジャッジではなくすべてあるがまま、
全てあって良し、すべてあるがまま。
そのような状態で駄目だとか、
良くないだとか、悪いだとかジャッジせずに、
それらを上手に公平に、水平に取り扱えるように意識して行うのです。
(省略)
そこに没頭するのではなく。
その没頭の中で気が付き、その没頭している行為の背景に
常に根源主の恩恵が働きがあり、
没頭させていると同時に、
その没頭から抜け出す道を、
ヒントがまた同時に含まれている、隠されている、
そのことを上手に見抜いてゆくのです。
(OSHOの本。)
(著:辻本恒)
☆**~☆**~☆**~
また手放すという事について、次回に続きます。
「何かをしっかりともつまでは、
それを手放すことはできない。
何かを捨てるには、まず所有しなければならないのだよ。」
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