町田鶴川駅近くの白洲次郎邸・武相荘へ。
白洲次郎・白洲正子という人物について、ここを見たいと
いう動機がそれぞれの視点で、建築物として、歴史上の
人物として、夫婦の個性的な生き方として、器や料理人と
して・・・・というご同行様でした。
今回私の場合、動機はまぁ軽く言えば、田原俊彦のもっとも
尊敬する人であることかなlぁ。
筋を通す男、そして日本で最初にジーンズはいた人として、
ミュージアム行ってTシャツ買ってきた・・・・と、トシチャンは
言っていた。
若い頃から古いものが好きで京都・高山等に良く行き、日曜日
ごとに骨董市にも通っていたのですが、カメラをやるようになって
からすっかりポップなものが好きになって、和のよさから少し
遠ざかっていましたが、ここ白洲邸は究極の和でした。
しかしながらやっぱりカメラ目線で見てしまうのでした。
漆喰と黒光りする木の柱に床、黒皮のソファーに暗い照明で
全体にモノトーンの中にアクセントカラーは赤。
赤のランチョンマットや赤いストライプのクッションなど。
すべての写真はアンティーク調にパソコンでフィルターを
かけ、赤文字にしました。
彼の故郷は私の住むこの三田市で彼と彼の奥方の墓石が近くのお寺に有り、お参りに来られる方も多いですよ。
私は、小林秀雄から白洲正子を知り、
次郎を知り、という順番でした。
数年前、修士論文を西行で書いたので、
久しぶりに、小林秀雄、白洲正子を
読み返したものでした。
この武相荘は、若い頃に、訪問しました。
懐かしいです。
いつもいつも、素敵な写真、楽しませて
頂いています。
それは知りませんでした。
吉田首相の側近としての活躍はよく知っています。
当時日本を憂いて白洲氏が語った言葉が随所に展示されていましたが、どれも現在の日本の姿を見事に言い当てていて驚愕しました。
書棚からその分野の広さを感じました。
私は戦争おたくだった時代があってその時次郎氏を知りました。
生き方はじめ、あらゆるものが最強の美につながるものでしたので、写真の勉強にも大いに役に立ちました。