大隈庭園 2012年11月09日 21時50分42秒 | その他地域 早稲田大学敷地内には築800年とも言われる古い民家や早稲田祭ではお茶会が開かれていた日本庭園やホテルがあります。 大隈庭園内のホテル、リーガロイヤルホテル東京。秋の日の夕日を浴びたホテルロビー。同窓会はここで行われることが多いのでは? 姉妹サイト「カメラぐらし」でも更新中 人気blogランキング参加中 #写真 « 早稲田大学周辺 | トップ | 秋論争 »
7 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 カーテン (かささぎのはた) 2012-11-10 15:13:41 重厚な風格ある佇まいですね。丈高き水色のカフェカーテン、でいいのかな、なんともいえないくらいアクセントになって、柔らかく感じられます。素敵だ。行ってみたい。大隈重信っていい男だよな。 返信する かささぎのはたさん (さくら) 2012-11-11 07:49:51 日曜日が仕事日になってから、ただの遊びや散歩で出かけたことがないのです。これは本当に久々の遊びで出かけました。大学めぐりもいいなと思ったのですが、例えばお茶の水の明治大学などはただのビジネスビルで囲いがなくビジネス街を歩いているのと同じで風情のあるキャンパスはどんどんなくなっています。早稲田大学も明治の創世記、同時代の東京駅と同じ仕様で洋風オンリーだったことが工事中の囲いの壁にイラストで紹介されていました。今はすべて普通のビルと化しています。 返信する Unknown (かささぎ) 2012-11-12 07:22:06 さくらさん。ひとつきいてもいいですか。靖国神社の拝殿を斜めから撮ったときにうしろにニョッキり写り込むビルは何大学?きっと大学じゃないかな。↑自分のコメント、なぜ大隈しげのぶがかっこいいと思っているんだろうかと振り返りましたところ、小島直記の無冠の男でなぜかそこのところをせっせと写していたことに思い当たった。自分では、乙骨太郎乙の出ているところだけをカットしてたつもりだった。あの時代のおとこたち、西洋にはりあってはりあって、一歩もひかなかった。今から弁当つめ。自分の分だけ。けっつ。 返信する かささぎさん (さくら) 2012-11-12 10:01:37 >靖国神社の拝殿を斜めから撮ったときにうしろにニョ>ッキり写り込むビルは何大学法政大学です。本当ににょっきりって感じですよね。校舎の前は桜並木で有名な外堀公園です。早稲田祭に行って人並みに飲まれず唯一静かな館を見てきたのが、大隈重信記念館、学長のしるしの真っ赤なマントみたいな上着の実物や功績を展示してありました。常に要職にあり学校を創設できるような立場に居た人だったと言うことだなと思いました。その立場に居たって言うことは学問がありイギリス人とも対等に渡り合える人物であったということなんですけどね。当時の政府要人たちがいかに西洋と対峙、同調していたかの証として、あの大げさとも言えるきらきらした勲章を胸いっぱいにつけた服装に驚くのです。ほんの最近まで着物に袴に刀だったはずなのに。東京駅をはじめとして建物だってことごとく西洋館、それいけ西洋、なにはともあれ西洋・・・・・って感じだったんだなぁと想像します。 返信する そこなんです。 (かささぎの旗) 2012-11-13 20:34:54 法政大学ですか!ありがとうございます。写真とっていたのですが、なんかちぐはぐに思えて、アップしなかった。でも、そうと知れば逆に面白いかもしれないな。あの明治五年の改暦(これも大隈重信が断行した)も、東京大阪などの都会では余り反対もなかった、というから恐れ入ります。そういえば、石橋秀野さん時代でもすでに新暦感覚で花祭りや盆をしている。ここ。おもしろいです。はりつけました。大隈さんの業績のひとつ。佐賀のひとじゃもんねえ。 返信する 真逆のセンスはおなじもの? (himeno) 2012-11-16 06:58:50 >当時の政府要人たちがいかに西洋と対峙、同調していたかの証として、あの大げさとも言えるきらきらした勲章を胸いっぱいにつけた服装に驚くのです。ほんの最近まで着物に袴に刀だったはずなのに。そこなんですよねえ。ほんにふしぎじゃ。だけど、はりあうってことがいかにたいせつかわかる。昨夜から今朝にかけて、中山そらんの蔦紅葉の句をみていたら、さくらさんとのこの会話と、もうひとつ木をはいのぼるつたの青い写真がうかびました。関東州の赤より赫し蔦もみぢ かささぎ 返信する himenoさん (さくら) 2012-11-17 11:57:59 写真見ました。言われてみるとなんとも奇妙な景色ですね。日本建築の粋を集めた靖国神社とのっぽビルの法政大学。何か意図があるとしか思えん景色。立てる前から分かっていたろうに。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
丈高き水色のカフェカーテン、でいいのかな、なんともいえないくらいアクセントになって、柔らかく感じられます。素敵だ。行ってみたい。大隈重信っていい男だよな。
大学めぐりもいいなと思ったのですが、例えばお茶の水の明治大学などはただのビジネスビルで囲いがなくビジネス街を歩いているのと同じで風情のあるキャンパスはどんどんなくなっています。
早稲田大学も明治の創世記、同時代の東京駅と同じ仕様で洋風オンリーだったことが工事中の囲いの壁にイラストで紹介されていました。
今はすべて普通のビルと化しています。
靖国神社の拝殿を斜めから撮ったときにうしろにニョッキり写り込むビルは何大学?きっと大学じゃないかな。
↑自分のコメント、なぜ大隈しげのぶがかっこいいと思っているんだろうかと振り返りましたところ、小島直記の無冠の男でなぜかそこのところをせっせと写していたことに思い当たった。自分では、乙骨太郎乙の出ているところだけをカットしてたつもりだった。
あの時代のおとこたち、西洋にはりあってはりあって、一歩もひかなかった。
今から弁当つめ。自分の分だけ。けっつ。
法政大学です。
本当ににょっきりって感じですよね。
校舎の前は桜並木で有名な外堀公園です。
早稲田祭に行って人並みに飲まれず唯一
静かな館を見てきたのが、大隈重信記念館、
学長のしるしの真っ赤なマントみたいな上着の
実物や功績を展示してありました。
常に要職にあり学校を創設できるような立場に居た人だったと言うことだなと思いました。
その立場に居たって言うことは学問がありイギリス
人とも対等に渡り合える人物であったということなんですけどね。
当時の政府要人たちがいかに西洋と対峙、同調していたかの証として、あの大げさとも言えるきらきらした勲章を胸いっぱいにつけた服装に驚くのです。
ほんの最近まで着物に袴に刀だったはずなのに。
東京駅をはじめとして建物だってことごとく西洋館、
それいけ西洋、なにはともあれ西洋・・・・・って感じだったんだなぁと想像します。
ありがとうございます。
写真とっていたのですが、なんかちぐはぐに思えて、アップしなかった。でも、そうと知れば逆に面白いかもしれないな。
あの明治五年の改暦(これも大隈重信が断行した)も、東京大阪などの都会では余り反対もなかった、というから恐れ入ります。
そういえば、石橋秀野さん時代でもすでに新暦感覚で花祭りや盆をしている。
ここ。おもしろいです。はりつけました。大隈さんの業績のひとつ。佐賀のひとじゃもんねえ。
ほんの最近まで着物に袴に刀だったはずなのに。
そこなんですよねえ。ほんにふしぎじゃ。
だけど、はりあうってことがいかにたいせつかわかる。
昨夜から今朝にかけて、中山そらんの
蔦紅葉の句をみていたら、さくらさんとのこの会話と、もうひとつ木をはいのぼるつたの青い写真がうかびました。
関東州の赤より赫し蔦もみぢ かささぎ
言われてみるとなんとも奇妙な景色ですね。
日本建築の粋を集めた靖国神社とのっぽビルの
法政大学。
何か意図があるとしか思えん景色。立てる前から分かっていたろうに。