蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

中国南方の旅(尾)

2011年12月04日 | 旅行
年も押し迫り残すところあと僅か。
この一年を振り返えれば反省すべき点ばかりが脳裏を過ぎるが、それはさて置き、今夏中国南方へ一人旅に出た話を。


旅は8月27日から9月15日の20日間、くそ暑い時期に南方への旅行は如何なものかとも考えたが、思い立ったが吉日である。
今回の計画ルートは写真地図の様に、蘇州(江蘇省)から浙江省、江西省、湖南省、広西チワン自治区、広東省、福建省を回る旅。

旅行のテーマは「中国の隣国へ行ってみよう!」である。
・広西チワン自治区南寧市から陸路「ベトナム・ハノイ」
・広東省珠海市から陸路「マカオ」(既に中国の一部だが私は未だ行ったことがない)
・福建省アモイ市から海上を「台湾」

汽車の切符はひとつ手前の都市で購入、切符が入手できたらホテルをネットで予約すると言う按配で順次コマを進めてゆく旅である。
原則、移動は夜間寝台列車を利用しホテル代を浮かせた。

結論から言えば、日本パスポートの威力は絶大で何らトラブル事もなくスムーズな越境が可能だった。

何せ長い旅であり全行程を書き連ねるわけにも行かないので「ハノイ」への移動を写真を交えて書きます。

○広西チワン自治区から陸路「ベトナム・ハノイ」(2011/09/01~09/06)


 長沙(湖南省)から16時間の長距離夜行列車で早朝の南寧(広西チワン族自治区)駅に到着。
到着早々翌日のベトナム・ハノイ行き切符を購入に切符売場へ、聞けばベトナム行きは7時から窓口販売と言う。
駅前で朝食を取り(実に不味い小龍包だ)7時前に窓口へ、既に窓口は開いており私の前にベトナム人の女性が切符を購入中。
彼女は中国語が全くダメな様で係員に携帯電話を渡し中国語が出来る誰かを仲介に切符を購入中、面倒がらずに係員も根気よく対応している。

私の番、紙に書いてハノイ行きの往復切符購入希望を伝える。
「帰りの切符はここでは買えない、ハノイで買え」と言う、ま仕方がないね、向こうで買いましょう。

1等寝台で248元、切符も何かいつもの切符らしくない。

南寧で一泊、翌日南寧18:45発の国際列車T8701次に乗った。


列車には国際列車であることの中国国家エンブレムが付いており、南寧-河内(ハノイ)と書かれている。
車両は国内で使われている一般の一等寝台の型落ちの様な車両で、永く使われている様子である。


乗客はベッド4つの部屋に私を含めて2名、一等寝台の利用客は殆ど居らず1車両に7,8名程しかいない。
同室の中国人のにーちゃん、ビルの浄水設備の仕事でハノイから更に1200km北へ仕事に行く途中らしく、ベトナムは何度も往復しておりベトナム情報を色々と教えてもらった。彼には後に大変お世話になる。
隣の部屋から日本語が聞こえてきた。
挨拶に出向くと、部屋には日本人の旦那さんベトナム人の奥さんのご夫婦と台湾人で日本のクラブで歌手をやっていたと言う元気なおばちゃんが居り、偶然とはいえ日本語が出来る人間が一車両に4名乗り合わせ、ベトナム経験豊富な中国人、日本人、ベトナム人からベトナムが初めての台湾人、日本人(私)がベトナム情報を得る事となった。


22:20中国側国境の駅ピンシャン到着、国境事務官が乗り込んで来、パスポート提出と出国カードを書かされる。
全員荷物を持って列車から下車、ピンシャン駅の待合室で手荷物検査とパスポートの出国スタンプをもらい再度乗車、この出国手続きで約1時間半停車(すごく長い)。
出国手続きに降りてきた乗客は全員で19名、これがここまでの8両の乗客全て、利用率の低さが分かる。
ピンシャンからは約同数のベトナム人が乗車してきたが、合わせても40名足らずである。


ピンシャンを出発し2時間後の0時20分、ベトナム側の入国駅ドンタンに着く。
ここでも1時間ほど停車し入国手続き、同室の中国人にーちゃんが奥の部屋へ連れて行かれ何やら押し問答。
後で聞くと彼は、パスポートを一度無くし再発行しておりそこへイチャモンを付けられたらしい、人民元10元で決着したとのこと、何処の世界も金次第である。


ベトナム時間朝6時近くに最終駅ゼーラム駅に到着。
中国国内の軌道は広軌、ベトナム国内は狭軌、広軌の軌道はこの駅が終点である。
私は帰りの切符を購入したいが出口近くには売り場が全くないし、ネット情報では両替商がやってきて中国元からベトナム・ドンへの両替が出来ると書いてあったが、寄ってくるのはハノイ市内方面への客引きタクシーばかり。
わたしゃベトナム通貨を1ドンも持ってないく銀行も無さそうな田舎駅、バスにもタクシーにも乗れない。
困った所で同室の彼がハノイまでタクシーで行くと言うので同乗を頼むとスンナリOKをくれた・・助かった。
(隣の部屋のグループは別の処へ行くと駅前で別れた)


ハノイ駅はメチャ小さい駅、これがベトナム首都駅かと目を疑うほどである。
タクシーに同乗させて貰った中国人のにーちゃんは、ハノイ駅で降りたとき人民元を渡そうとしたが受け取らず彼は自分のホテルへと向かい別れた、感謝である。
しかし、わたしゃ1ドンも無くホテルも無い。
でも慌てることは無い銀行が有るでしょ、窓口は開いていないがATMが有る。
思惑通り中国の銀聯カードが使える、早速ベトナム・ドンを確保、銀聯カードのネットワークはすごい、お金が有れば問題ない。

寄ってきたバイクのにーちゃんがしつこいので、当りを付けていたホテルまでとバイクの後ろに乗った。
ホテルへ着くと何とシャッターが下り閉まってる。
こりゃマズイな、でもホテルはやたらと多い地区の様で飛び込みで何とかなると踏み、ホアンキエム湖を散策、早朝だが散歩する高齢者が非常に多い、暑いここは早朝の散歩が最適なんだろう。


湖に面したカフェで朝食を取る、アイスコーヒーが旨い。(ベトナム珈琲は旨い)
綺麗な環境のカフェである、欧米人の客ばかりで皆バックパッカー。
アイスコーヒが50,000ドン、パンと卵焼きが45,000ドン、貨幣感覚が変になる。
ここで解った事は、100の位を切り捨て約3分の一すれば概ね人民元の感覚で考えられると言う事。
しかし早くデノミすべきだねこの国の貨幣は。

1時間ほど時間をつぶし閉まっていたホテルの近くGolden Spring Hotelへ飛び込み、宿泊費はUS$30/泊と言う、部屋を見せて貰うと小奇麗で問題なし。
このホテルに2泊することとした。


やたらと街中に国旗が目立つと思ったら、9月2日は「建国記念日」なんだそう、偶然なのかホーチミンさんのお招きなのか、とにかくおめでたい日にハノイに滞在しているようだ。

初めてのこの街の印象その1
 とにかく聞きしに勝るバイクの数、半端じゃない、バイクの大群が街中を何時も大移動している、皆どこへ行くのか?
70年代北京で見た自転車の大群をバイクに置き換えたような按配で、中国とは違った活力に溢れている。
4人乗りバイクは当たり前、しかし事故現場を見たことは無く皆さん運転が上手なんだろう。
またほぼ全員、運転者も同乗者もヘルメットを着用してる、真面目な国民性なのかもしれない。


印象その2
 綺麗な街と汚れた街が同居している感じ。
フランス統治が長かった性だろうかフランス風の綺麗な街並みが多く有るが、一歩外れるとアジアらしく汚れている。
投宿している旧市街地(OLD TOWN)は建物も道路もゴチャゴチャ、散歩に出てもホテルへの帰り道が解らなくなるほどに道が入り組んでいる。


印象その3
 とにかく「カフェ(Cafe)」がやたらに多い街である。
おしゃれなカフェ、露店の様なカフェと至るところにカフェが有り、皆コーヒー・お茶を飲んでいる。これもフランスの影響なのかも、それとも怠け者が多いのか?
私も何度かカフェでコーヒーを飲んだがベトナムコーヒーは味が濃く美味しい。


印象その4
 商店での買い物、商品を投げないし、お釣りを投げないし、外人とみると英語で金額を丁寧に伝えてくれるし、売り子さんに笑顔が有るしで、ダメ・チャイナに比べ好感度がメチャ高い、だけど言葉が通じないんだな~。
ベトナムで会った女の子(ベトナム料理店のHUEちゃん、ゼーラム駅で親切にしてくれたPhamちゃん)、おじさんには優しいのである。


印象その5
 やたらに欧米人が多く、その多くがバックパッカー。
投宿している旧市街地(OLD TOWN)には、パッカー向けの安ホテルが至るところに有り、街中にはリュックを背負った白人が多く目に着く。
ハノイに来られる時は旧市街地(OLD TOWN)での宿泊をお勧めする、ホテルマンンも英語で対応してくれるし値段も安い。

印象その6
 日本料理屋が自分の予想以上に多い。
日本人向けの情報誌が2冊出ており、情報誌に載っているハノイの日本料理は60店ほどもある。
何処の国でも同じだが、日本大使館近くには日本料理屋が集まっている。
昨夜も情報誌を頼りに「寛」と言う日本料理屋に出かけたが、料理長は日本人のYさん、顧客も日本人が多い。
隣り合わせたハノイ国立大学で学ぶ日本の若者二人と楽しい時間を過ごした。
年間留学費用は学費・宿泊費・生活費込みで日本円70~80万円程らしく中国留学と変わらない。
しかしアパート代が高い事と物価上昇が激しく昨年比40%の上昇と嘆いている、この国は政府のコントロールが上手く行ってないのかもしれないな。
ベトナム語は6声あるんだそう、中国語の4声より多い、店の仲居さんにベトナム語を教えてもらったが発音が難しい。
でもこの店高い、写真の料理(生ビール6杯含む)で808,500ドン、ハノイには食べ飲み放題システムは今の処無いようです、やれば当るかも。

印象その7
 物価は中国とほぼ同じか少し高めの印象。


「ホーチミン博物館」界隈を散策、建国記念日の為だろうか「ホーチミン廟」には参観する客の長蛇の列が出来ていた。
美術館、展示されている絵の多くは「ベトナム戦争」をモチーフにした絵が多く、この国にとって先の戦争の意味の大きさが偲ばれる。



日中は暑い。
9月5日 最高32度(最低気温30度)晴れ 昼と夜の気温が変わらない。

こんな所で、長々と失礼。

日本人、なぜ長生き?(さわ)

2011年12月04日 | つぶやき

われら「酔話会」60余歳びとにとって、あと何年生きるかは、やはり気になるところ。そこで、最近のニュースから、日本人の長寿秘訣にせまってみた。先ずは、データーから、そして最後に私見。

12月2日のニュース
厚生労働省は2日、国内最高齢の長谷川チヨノさん(115)=佐賀県基山町=が同日午前8時28分、入居していた老人保健施設で死亡したと発表した。老衰だったという。これにより国内最高齢は、男性の世界最高齢でもある京都府京丹後市の木村次郎右衛門さん(114)となった。女性の国内最高齢は川崎市に住む113歳。
(チョット私見)木村さん、明治30年生まれ、日清戦争後下関条約―調印会場と伊藤博文像現存―で台湾が日本に割譲された翌年。あっぱれ、日本男性の星、世界の星。オリンピック金メダルよりすごい。祈、自己記録更新。

9月13日のニュース
敬老の日を前にして、厚生労働省は100歳以上(9月15日時点)の高齢者が4万7756人となったと発表した。昨年より3307人増え、41年連続で過去最多を更新。女性が全体の約87%を占めた。
 人口10万人当たりの100歳以上の人数は、全国平均で37.29人。都道府県別では島根県(75.70人)が2年連続で最多となり、2位は昨年3位の高知県(67.58人)。2009年まで37年間1位を維持し、昨年2位だった沖縄県(66.04人)はさらに順位を下げ、3位となった。上位13位まで西日本の県が占め、今年も「西高東低」となった。最少は22年連続で埼玉県(21.13人)。
 厚労省は「沖縄は人口が増えているが、島根と高知は減少しているため、高齢者の比率が高まったのではないか」と分析している。今年度新たに100歳となる人は、昨年度より1683人多い2万4952人。

日本人の平均寿命2010年データー

日本人の平均寿命は
 日本人の平均寿命が、さらに延び女性は22年間も世界の1位を続けている。また、男性も4位から2位へ躍進した。
1)平成18年「簡易生命表」厚生労働省
 日本人の平均寿命は、男性79.00歳、女性85.81歳で過去最高を更新した。男性の20.6%、女性の43.9%が、90歳まで生きる計算になるそうだ。(チョット私見)つまり、男で5人にひとり、女で5人に2人が90歳まで生きる。つまり、酔話会の諸兄はほぼみんな90まで生きる。コマッタね。
2)平成17年との比較
 17年はインフルエンザの流行で男女とも平均寿命がわずかに縮まった。しかし、18年は男性が0.44歳、女性が0.29歳と再び延びた。男女差は6.81歳で、前年より0.15歳縮まった。
3)世界との比較
(1)女性
 厚労省が集めた世界各国・地域のデーターと比べると、女性は昭和60年から22年連続の長寿世界一を維持。2位の香港(84.6歳)、ともに3位のスイス、スペイン(83.9歳)を大きく引き離している。
(2)男性
 男性は17年は4位だったが、18年はアイスランド(79.4歳)に次いで2位で、香港(78.8歳)、スイス(78.7歳)を抜き返した。
(3)将来見込み
 日本の場合、3大疾患で死亡する確率は男性が56.00%、女性は53.57%。3大疾患が克服されれば、男性の平均寿命は8.31歳、女性は7.20歳延びる見込みという。(チョット私見) ということは、節制すれば、酔話会全員百歳まで生きるかも。
長寿の要因は
(1)高い医療レベル
 寿命を延ばす要因としては、国民皆保険制度を基盤とした医療制度や高い医療レベルが挙げられる。具体的には、がん、心疾患、脳血管疾患の3大死因の改善が寄与していた。
(2)食事などの国民の生活習慣
 OECD加盟国のなかでは,日本の総カロリー摂取量や砂糖摂取量が最も少なく、肥満指数(BMI)が30を超える成人(肥満人口)の割合も最も少ない。
 肥満人口は,米国では30.6%であるのに対し、日本は3.2%である。10年ごとの肥満人口の割合の増加率も、日本は他国より明らかに少ないという。
 平均寿命は長ければ長いほどよく、疾患死亡率は低ければ低いほど望ましい。そのためには運動習慣の徹底、食生活の改善、禁煙、減酒など、生活習慣の改善によって疾病を予防しないといけない。また、何らかの目的を持って生きるのが長寿の秘訣。 

さて、ここからは私見
小生、毎日午後通学中の蘇大外語学院の学習資料に次のような記事が載っていた。題名“Graying Population Stays in The Pink”「歳はとっても、ぎっちらこ」。日本人は長寿記録を更新し続けている。その秘密は、医療の進歩、幼児期の栄養。ここは“?”、小生幼児期は毎日ハングリー、むしろ粗食がプラスしているのでは――あとで述べるが、これは根拠がある。あと、規律ある生活習慣、適度な運動、栄養、目的意識をもった生活、みな厚生省の分析に同じ。記事は、60歳以上のひとびとが、どのくらい”Independence”「自活」しているかにも言及している。食事、着物、料理、家計やりくりなど。酔話会同胞はもちろん問題なし。

別のページに“The Search for the Anti-aging Pill”「不老長寿研究」という記事がある。秦の始皇帝が徐福をして、蓬莱に不老長寿の薬を求めさせたが果たせず、兵馬俑に守られて、地下宮殿に眠って二千二百有余年を経た今日、ついに老化を防ぐてだてが、見つかったという記事である。始皇帝ならずとも、老けたくないのはおたがいさま。何が書いてあるのか? 老化を遅らせるには、老化しにくい細胞をつくりあげる。そのためには、低カロリーのバランスの取れた栄養をとる。低カロリー栄養の摂取は長寿の秘訣。老人は30%のカロリーカットが望ましい。日量2500カロリーを1750カロリーに減らす。低カロリー飼育のラットはフリーにえさをたべたラットよりすべて長生きした。カロリー制限されたモンキーは低体温で、膵臓ホルモンのインシュリン分泌レベルが低く、通常は年をとるとともに減少するホルモンを若いままに保つ。また、カロリー制限された動物は、高齢化してかかりやすい病気にもかかりにくい。例えば、低血圧、心臓疾患などにかかわる血液中のグルコース成分が低レベルで正常に保たれる。リーサスモンキーの実験では、15年間慢性疾患にかからなかった。細胞は食物から摂取するグルコースを使って自ら老化していく。

結局、細胞が速く老化しないように、グルコースの供給をおさえる。そのためには、カロリー摂取をおさえる。
すなはち、粗食が長寿の秘訣。さきに、日本人の長寿は、子供の頃粗食がプラスしているのではないかと述べたが、その後も粗食の習慣が身についてしまっている今の日本人高齢者が長生きなのは、うなずける。

始皇帝も美食をしてあんなに太ってしまわなければ、長寿をまっとうできたろうに、49歳(前259~前210)の寿命では、当時としても短命だったと言わざるを得ない。ちなみに、孔子は73歳、老子は83歳まで生きた。

さて、2012年おたがいまた一つ年をとることになるが、酔話会同胞、おたがい暴飲暴食をつつしみ、更に、規律ある生活習慣、適度な運動、栄養、目的意識をもった生活をこころがけ、長寿をたのしもうでは。

中検の話し

2011年12月04日 | つぶやき
事務局から何か近況を報告しろ、とのメールをいただいたので思案のあげくにお恥ずかしい報告を一つ届けましよう。

 昨年の春、突然に脳梗塞の発作が出てその後の経過もよくなっていたのですが、学校から入学に難色を示されたものだから、潔く退学しました。そして、今年の初め頃に、こんなことをしていては語学学習の進歩が無いではないか、と一念発起して日本で行われている中国語検定試験を上海で受けることにしました。三月の下旬に行われるおよそ一ヶ月前に受験票が届いてから慌てて復習を始め「ヒヤリング」に力を入れて復習をしていたのですが、そこへあの東北地方大地震が発生しました。


 当然のことながら、試験は中止となり心理的には緊張の糸が途切れてしまいました。そして、六月に実施されることになったのですが、今度は、それまでの緊張感が戻ってこなくて、毎日を無為に過ごしていました。まぁいいか、このままで受けてみよう、などとずぼらな気持ちで試験会場に向かいました。勿論のこと結果は不合格でしたが一番苦手と考えていた「ヒヤリング」が合格点を少々超えていて、「筆記」が合格点に達していませんでした。実は、私のウィークポイントは「ヒヤリング」である、と本人は自覚していたのですがそれが合格点を超えていたとは、自身も驚きだったのでした。

 よし、それならもう一度チャレンジしてやろう、として、一週間前の先月最後の日曜日に上海の受験会場に向かいました。そして、その一週間前、つまり十一月二十一日月曜日から始めて金曜日までの四日間、「語法」の復習をしました。それも、家にいると机の上には、パソコンが置いてあり、どうしてもそれを触って日本のニュースを読んでしまい勉強にならないものですので朝から喫茶店に行って片隅で教材の本を眺めていました。まぁ、そんな程度の復習だから、あまり効果もないのでしょうがそれでも本人は、納得して、「久しぶりに勉強したなぁ・・・」ってな気分で当日を迎えたのでした。

 結果は、どうだったかって・・・。前の試験で従来から自信がなかった「ヒヤリング」が合格点だったので「語法」に力を入れて復習したのでしたが、今度は、復習していた「語法」が合格点を超えていたのに「ヒヤリング」が不合格となりました。 どうして二つそろって合格しないのだろうか、少々苛立っています。

 長年人生をやっていると脳みその記憶細胞が一杯になっていて新しく覚えると前の事項が忘れてしまう現象が起こってきているようですね。といって、ほうっておくと穴の開いたバケツに水を注ぐがごとく忘れる方が早いか覚えを追加するのが多いか、競争になってしまいます。パソコンの硬盤(ハードディスク)容量は年々大きくなってきて今ではギガ単位を超えてテラ単位にまでなってきている。デジカメでも十年前には、30万像数(画素)だったのが今では1300万像数にまでなっている。こんなに電子産業は進歩しているのに医学界はどうしているんだ!なんて時折ぼやいたりしています。

 これが、冒頭に書きました、「お恥ずかしいお話」の顛末でした。
                             2011/12/03  柏尾 記