12月23日金曜日午後2時から蘇大本部西門すぐ内側の敬賢堂で恒例の「留学生クリスマス晩会」開催。
ぼくたちの班から誰も出ないので、急遽ぼくが飛び入りでなにかやることになった。演題は「楓橋夜泊」、寒山寺を詠った張継の唐詩にまつわる故事と伊藤博文の銘入りの鐘が寒山寺にきた由来を張継になったり、博文になったりしながら一人芝居でやってみようというこんたん。
故事の背景は下記のとおりかいてみたが、せりふは即興で。うまくいったらごかっさい。
十分くらいの芝居だけど、おひまだったら、来てみてね。
席は五百席くらいあるので、あまりがらがらだと張り合いないし、誰か見てくれないと呑み会のとき話してみても興が伝わらない。
できればだれか舞台に上がって後ろで掛け軸を支えてくれたり、ビデオで撮ってくれるとなおありがあたい。よろしく。
访寒山寺的故事
那是我第一次来到苏州的事了。我早就知道苏州城外有闻名的名刹寒山寺。
有一天我带着摄影机去参观了寒山寺。下面是那时听到的故事。
寒山寺有一千五百年的历史。一千两百年前唐代的诗人张继来到苏州在枫桥边停泊的船上过了一夜。他当时科举考试落榜了,怀着悲伤的心情,到半夜也睡不好觉。忽然咚咚的钟声传到客船上,他有了灵感,就作诗了;月落乌啼霜满天 江风渔火对愁眠 姑苏城外寒山寺 夜半钟声到客船。这就是脍炙人口的唐诗;枫桥夜泊。后来好多名人把这首诗写而刻石。尤其清代末的书法家俞樾写的诗碑是苏州市重点文物的。我到手了一幅这首诗碑的拓本。
还有另外一个故事。甲午战争时日本士兵抢走了寒山寺钟楼的吊钟。后来日本的首相伊藤博文听到这件事。他在日本的各个角落寻找这口钟,都找不到。他只好开始募集捐款,过了一段时间汇集了一大笔钱。因为日本人都惦念“夜半钟声”里描写的寒山寺的吊钟。他用这笔钱铸造乳头吊钟就把它还给寒山寺了。这是一百多年前的事。这口钟现在挂在寒山寺大雄宝殿里,表面刻着伊藤博文和铸造钟的工匠的名字。伊藤博文是我的同乡人,也是我国第一代首相。想到他们对寒山寺的友好情谊,我回想往时感慨颇深。
ちなみに、「風橋夜泊」の日本語は、

月落ち鳥(からす)啼いて霜天に満つ 江村の漁火愁眠に対す
故蘇城外寒山寺 夜半の鐘声客船(かくせん)に至る
英語は
The moon is coming down in the midst of the crow calling and the frost covering all over the sky.
Looking at the fishing fires across two bridges of Jang & Feng, I’m having a lonely sleepless night.
Outside of Suzhou, stands the temple by the name of “Han Shan Si”.
I hear the temple bell ringing all the way to my boat at midnight.