2011年は東北大震災により多くの尊い命が奪われた悲しい年でした。
幸いにしてその難を逃れた方々も、親子兄弟を亡くされ自宅を失い仮の住まいで寒い冬を迎えて居られ、そのご苦労はいかばかりかと察するに余りあります。
難を逃れ生かされた子供達・青年達には、何としても未来に希望を持ち続け強く生き抜いて欲しいと願わない訳にはいきません。
私が末席を汚すITの世界でも今年一人の巨星がその天命を全うしました。
「スティーブ・ジョブズ」
Appleコンピュータ創業者の一人、パーソナルコンピュータMacintosh発明者でありAppleコンピュータの再建者です。
彼が2005年スタンフォード大学の卒業式で卒業生に贈った有名なスピーチ(翻訳版)を転載させて頂きます。
既に読まれた方も多いかと存じますが、未来に羽ばたく若者達に向けた素晴らしいスピーチです。
そのスピーチは
「ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。それだけです。大したことはありません。たった3つです。」で始まります。
スピーチは長くなりますので、4回に分けて転載します。
--------------------------------------------(以下転載)
ABOUT CONNECTING THE DOTS.
最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。
彼女は育ての親は大学 を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。
ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。
そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受け たのです。
彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。
そこ で、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。
これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに 学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。
半年もすると、私はそこに何の価値も見出せな くなっていたのです。
人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。
なのに 自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。
だから退学を決めたのです。
それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖 かったです。
ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって 面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。
夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。
これが私の楽し みでした。
こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。
ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。
見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベ ルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。
私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶこと にしたのです。
私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手 法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。
フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。
しかし、それから10年経って 最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。
こうして初めて美しいフォントを持つコ ンピュータが誕生したのです。
もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、 ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。
もし私が大学を退学していなかったら、あのカリ グラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。
もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と 点をつなげることはできませんでした。
しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
もう一度言います。
未来に先回りして点と点をつなげることはできない。
君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。
だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。
歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。
たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。
※スティーブ・ジョブズ
1955年2月24日 - 2011年10月5日膵臓癌により死亡(享年56歳)
(尾)
幸いにしてその難を逃れた方々も、親子兄弟を亡くされ自宅を失い仮の住まいで寒い冬を迎えて居られ、そのご苦労はいかばかりかと察するに余りあります。
難を逃れ生かされた子供達・青年達には、何としても未来に希望を持ち続け強く生き抜いて欲しいと願わない訳にはいきません。
私が末席を汚すITの世界でも今年一人の巨星がその天命を全うしました。
「スティーブ・ジョブズ」
Appleコンピュータ創業者の一人、パーソナルコンピュータMacintosh発明者でありAppleコンピュータの再建者です。
彼が2005年スタンフォード大学の卒業式で卒業生に贈った有名なスピーチ(翻訳版)を転載させて頂きます。
既に読まれた方も多いかと存じますが、未来に羽ばたく若者達に向けた素晴らしいスピーチです。
そのスピーチは
「ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。それだけです。大したことはありません。たった3つです。」で始まります。
スピーチは長くなりますので、4回に分けて転載します。
--------------------------------------------(以下転載)
ABOUT CONNECTING THE DOTS.
最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。
彼女は育ての親は大学 を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。
ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。
そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受け たのです。
彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。
そこ で、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。
これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに 学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。
半年もすると、私はそこに何の価値も見出せな くなっていたのです。
人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。
なのに 自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。
だから退学を決めたのです。
それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖 かったです。
ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって 面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。
夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。
これが私の楽し みでした。
こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。
ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。
見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベ ルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。
私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶこと にしたのです。
私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手 法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。
フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。
しかし、それから10年経って 最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。
こうして初めて美しいフォントを持つコ ンピュータが誕生したのです。
もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、 ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。
もし私が大学を退学していなかったら、あのカリ グラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。
もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と 点をつなげることはできませんでした。
しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
もう一度言います。
未来に先回りして点と点をつなげることはできない。
君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。
だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。
歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。
たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。
※スティーブ・ジョブズ
1955年2月24日 - 2011年10月5日膵臓癌により死亡(享年56歳)
(尾)