蘇州大学「酔話会」

不問過去的事、在中国生活快楽、交換消息

中国江蘇省蘇州市蘇州大学
高嶺者留学生の談話室

OB会

2012年03月18日 | 酔話会からお知らせ

第二回、OB会のおしらせを、谷山氏から連絡があり。私の帰国のスケジュールにあわせて、開催とのことで、私も参加しますと連絡。

谷山、尾関、中西、私(片山)の四名で、3月19日PM3時に、熱海に集合。

温泉、こんぱにおん??!。後日詳細をUPします。

田舎のインターネットカフェで、暇つぶし。tomo.


蘇州はかって世界最大の都市だった?

2012年03月18日 | つぶやき

きのう午後、新区の桃園でSBF(蘇州ビジネスフォーラム)主催第27回目の講演会があった。演題は「ガイドブックにない蘇州の歴史の見所」

代表幹事の薛さんから「我々は日ごろ蘇州でビジネスしながら、歴史を知らない。みんななんとなく‘山中にあって山を見ず’おぼつかなさを感じていたんだろう、SBF記録の45名参加いただいた。」と前置きして、講師紹介。

わが「蘇州歴史探訪会」会長荒木氏が壇上にのぼる。彼は、9年前新区商業街で蘇州美人の奥さんをみそめて結婚、一旦広州へ行ったが、蘇州に戻ってきて、4年前自分の会社設立。長女美穂ちゃんは8歳。ママとは中国語、パパとは日本語で話すが、やはり中国語が得意。「日本語がかすんでしまわなければいいが」と彼。「歴史会」のほかにも「懐メロ会」「国際結婚の会」などの世話をするやや控えめな社交派、夢枕獏似の48歳。その彼が、多忙の中、歴史探訪の経験に加え、十数冊の本と資料を読破してやっとまとめたレジメ。プロジェクターを使ってとつとつと説明する姿に人柄がにじんでいた。

先ず、歴史会の活動紹介。

2年前4月発足。孫武公園、孫武が「孫子の兵法」を書いた弩穹山公園、林彪アジト、孫武派兵出発地、司馬遼太郎「江南の道」取材通訳呉小媛さんを囲んで、無錫鴻山遺跡、蘇大日本語科教師手塚山学院学長を囲んで蘇州物好き探訪談義、ぼくのビデオ上映会、唐実書法園など。4月には孫武、文徴明の墓、6月は胡錦濤、梅蘭芳の故郷泰州見学を予定。ぼくも、1年前林彪アジト見学から参加、くしくも東北大震災の翌日だった。

さて、蘇州はいつ世界最大の都市だったのか?

1600~1850の頃、清代、人口百万人。(江戸が途中で追い越したかも)当時、江南の地は比較的平穏で、軍隊も小規模、従って租税も軽く、絹織物、紙、金銀細工などの産業とそれを取引する商業が発展したため、蘇州へ外地から多数移住してきた。絹織物職工数千人、染色工数千人、今の三香路道前街中間学士街との交差点に通じる万世橋付近が人口の密集地だった。夜は城内への通行が制限されるので、城外に位置し城内に近い万世橋に人が集まったのだろう。蘇州府のもとに3県が置かれたが、府下3県は全国唯一で、北京でさえ順天府下2県であった。

20分間の休憩後、古代史、中世史、近代史と続くが、あとは、コメント欄でぼちぼちメモってみよう。

午後6時、2階宴会場へ移動。荒木氏は正味2時間の独演会を終えて、放心状態。数週間ずぶん根をつめてまとめたらしい。容貌がますます夢枕獏に似る。とりあえず、彼の労をねぎらって、乾杯。こっちも、2時間、数千年の歴史物語傾聴後、ビールがかわいたのどを通る感触がなんとも言えない。勉強した後のビールののどごし感が病みつきになって、毎度SBFへも歴史会へものこのこ出かける。いつも、酒の話で締め。ご勘弁。z