むかし、と言っても還暦を過ぎたころだが、バックパッカーでたどりついたタイカオサンのドミに沈没していた頃、同世代のTと同宿した。Tとたまり場で酒を呑むうち、渋沢龍彦の話がでた。「快楽主義の哲学」。高校のころ熱中したそうな。
六十年安保世代、アンチがかっこいい時代にデカダンは少数派。白状すると、ぼくも当時読んで、カバーをはがして本棚の奥に隠していた。あの頃の本はカバーをとると、白表紙。何の本かわからない。思うにその頃のぼくは、表むき社会改革派、樺美智子支持、その実自我意識ありありのデカダン。勇ましい連中が闊歩する表通りをしりめに、裏町でおおいばりで酒を呑んではばかることなくデカダンをいく渋沢栄一にある種のまぶししさを感じていた。
数十年が過ぎた。タイのカオサン、数十年前渋沢栄一に熱中したTと遭遇した。誰はばかることなく語れる。おかしかったのは、やつも当時カバーをはがして本棚の奥にかくしていたと言った。
ときは移り、快楽主義がなんかあたりまえの時代になった。主義なんてもったいをつけて言うのもおこがましい時代になった。でも、渋沢が裏町の酒場で吼えていたころは、別の意味で、現実社会への挑戦。彼が主義と表題した心意気よし。渋沢も還暦までとどかず。昭和末年この世を去ったが、快楽を吼える時代は去っていた。カバーをはがしてかくしたいのは、渋沢本人だったかも知れない。
ともあれ、そういう時代をたどりながら、今を迎えた自分をつむぎだしてくれた時の流れに感謝したい。z