こんなんは、ショートショートで書けるわけがない。でも、呑んでふと思ったことを羅列しておけば、あとは仲間がフォローしてくれるだろう。正岡子規も高浜虚子、河東碧梧堂に託したではないか。
うそはおそらくひとだけが言う。“かわうそ”もうそは言わない。なぜ、言うか?他を思いやるゆえに、、、自己弁護のために、、、ひとを乗せるために、、、いろいろある。「折れたたばこのすいがらで、あなたのうそがわかるのよ、、、」ひところ流行った細川?某のヒット曲。「男と女、あやつりつられ、、、」夢舞台。衝突をカバーする潤滑油にはちがいない。
昔、ぼくも、うそをついた。しかし、うそをつかない、いやつけない種類にひとがいたのを知っている。かりに、ぼくが、戦国の武将になったとしよう。うそをつけない側近は貴重。戦略を組み立てるのに、不動のレンガとなる。うそをつくかも知れないスタッフは、かりに才能があっても、重用のしかたがむつかしい。しかし、もともと、動機はともあれ、うそをつくのがひとのさが。そうゆうひとを使い切るには、うそを見抜くのではなく、うそをつかなくてもはげんでくれる状況をたえず維持するほうに、力を注ぐにしかず。
退職十数年、ぼくのまわりには、うそをつかなくてもすむひとたちばかり。やはり、落ち着く。でも、今でも、やさしさゆえにうそをついているひとを否定しない。ひとは、やさしさがいちばん。じゅうなんがいちばん。もっと話を展開したいんだが、アドレナリン切れ。z