スコとyuwataの部屋

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『人生の目的』

2018年12月06日 03時44分58秒 | 書籍

 

五木寛之は私が若い頃、集中して彼の著書を何冊か読んだ事がある。

好きな作家の一人である。

今思えば、彼が今の私くらいの歳であった。

近年は人生について語る著書が多くなったと思う。

過酷な人生を送ってきたからこそ語れる彼の人生観である。

その中の1冊を読んでみた。

彼は私の父親の歳とさほど変わらない。

彼の今の姿は想像できる。

彼は13歳で終戦を迎える。

遥か彼方の平壌の地で・・・・・・。

ソ連軍の包囲が狭まる中、逃げ帰るように、家族で内地に帰ってきた。

まだ帰ってこれた方が幸いだった。

終戦の1ヶ月後に母を亡くす。

父も彼が東京の大学で学んでいる時に他界する。

2.5畳間のアパートでは、寒さをしのぐ為に新聞紙を身に包み、を履いて寝たという。

激動の少年期、青年期を過ごした。

私もそうだが、今の人には考えられない。

 

1977年、東京のある工員の父親が二人の幼子を抱きかかえて、マンションから飛び降り自殺をする。

父親は妻に蒸発され、真面目に働いていたが、子供の世話で「疲れた」と言っていたという。

父親のズボンのポケットには10円しか入っていなかった。

子供が持っていた手帳には「おかあさん、僕たちが天国からおかあさんのことをうらむ。

おかあさんもじ国(地獄)へ行け」と書いてあった。

胸を締め付けられた

私も泣いた。

こんなことがあっていいのだろうか。

子供に罪はない、まだ人生を選べないのである。

その記事からこの著書は始まる。

 

私にも若い頃は漠然とした人生の目的はあった。

その目的が脆くも崩れ去った今、混沌としているのは事実だ。

彼はこう結論付けている。

人生に決められた目標は無い。

人生の目的は、「自分の人生の目的」を探すことである。

その為には生きなければならない。

生き続けていてこそ、目的も明らかになる。


こんな便利な時代になっても、自殺者は多い。

毎日といっていいほど、列車に飛び込んで自殺する人の記事をツイッターで見かける。

それも若い人が多い。

心の平安がないのだ。

私も自分の死については、毎日といっていいほど考えている。

 

この著書を読んで、私の心の重しが少しは軽くなったと思う。

昨日嫌なことがあっても、昨日は晴れだと思おう。

今日、朝を迎えることに感謝する。

今日1日を大切に生きればいいのだ。

それしかないのである・・・・。


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